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花に囲まれた、潤いのある空間

2016.04.04

[花]フリージア(アラジン)、スイートピー、ホワイトレースフラワー、[葉]レモンリーフ、モルセラ

[花]フリージア(アラジン)、スイートピー、ホワイトレースフラワー、[葉]レモンリーフ、モルセラ

 百花繚乱。
 文字どおり、いろいろな花々が山野に咲き乱れています。
 ツバキ、沈丁花、すみれ、菜の花、水仙……。
 目にやさしい、美しい季節となりました。

 農協会館近くにある桜の名所・松川べりも、桜が見事に咲き揃っています。
 4月2日、土曜日に松川近くを歩きましたが、満開の桜の下で大勢の家族連れが花見を楽しんでいました。暖かな日和に誘われ、どの顔も笑顔に満ち溢れています。
 いつになく、あちこちで外国人観光客の姿を見かけました。これも、北陸新幹線の影響なのでしょうか?桜が咲くこの時期に、これだけ多くの外国人を目にするのは初めてです。
 日本人に昔から愛されてきた桜。外国人の方々の目には、この桜の花はどのように写ったことでしょうか。

 農協会館周辺のハンギングバスケットが、このほど新しくなりました。

新しく入れ替えられたハンギングバスケット。

新しく入れ替えられたハンギングバスケット。

 平成25年から始まった、このハンギングバスケット。今年で、4年目に入りました。会館の周りに、11基設置してありますが、3月から12月までの間、季節の彩りに合わせて年4回、寄せ植えを変えてもらっています。
 この草花の管理を依頼しているのは、富山市内にある㈱柴崎農園さん。
 草花の寄せ植えを飾るだけではなく、水やりもお願いしています。仕事だからといえばそれまでですが、猛暑が続く夏場でも一度も枯らすことなく、時には午前5時前から水やりに頑張っていただき、きれいな花を維持してもらっています。ありがたいことです。

 会館周辺に植えてある樹木の管理や剪定なども、併せて依頼しています。
 昨年の夏、外周にある配管の入替工事を行った際に、会館前の両側に小さな庭園を造ってもらいましたが、評判が良いようです。小さいながらも、四季の移ろいをしっかりと感じさせてくれます。

 
 会館1階、エントランスホールの受付に飾られている生け花。
 週に1回、月曜日の朝に、会館近くにある立山農園さんが活けてくださいます。毎回写真に撮り、小生の拙文とともに、ブログにアップさせてもらっています。以前にも書かせてもらいましたが、この生け花を楽しみにしている人が、多くおられます。生け花を「写メ撮り」している人も、時々見かけます。
 正月や節分、バレンタインデー、ひな祭り、七夕、ハロウィーン、クリスマスなど、季節の変わり目を先取りして、いつも素晴らしい空間を創造してもらっています。
 立山農園さんは時々、週半ばにこっそり立ち寄られ、弱った花があると新しい花と差し換えてくださっているようです。なかなか出来ることではありません。感謝なことです。

 花に囲まれた、潤いのある空間。
 農協会館として出来ることは限られていますが、少しでも多くの方々に喜んでもらえるように努力していきたいと思います。(O)

早春のさえずり

2016.03.29

[花]グロリオーサ(ミサトレッド)、トルコききょう(ボレロフレア)、千日紅、[枝]雲竜柳、[葉]ドラセナ、ハラン

[花]グロリオーサ(ミサトレッド)、トルコききょう(ボレロフレア)、千日紅、[枝]雲竜柳、[葉]ドラセナ、ハラン

 すっかり春めいてきました。

 ウグイスが、自宅近くでよく鳴いています。
 春を告げる鳥として、昔から心待ちにされたウグイス。「ホー、ホケキョ」と、早朝から家々にさえずりが響き渡ります。あの声は、恋の相手を探しているのだとか。ウグイスといっても、上手に鳴くウグイスとたどたどしく鳴くウグイスとがいるようです。近所にいるウグイスは見事なさえずりを聞かせてくれます。

 若くして亡くなった詩人に、八木重吉さんという方がおられます。飾らない、素朴な詩を作る詩人で、学生時代から好きな人です。
 この方の詩に、「鶯(うぐいす)」という詩があります。

 朝はやく鶯の声をきくと
 障子の向うが明るくなったように思われる

 たった2行だけの短い詩ですが、ほのぼのとした味わいがあります。

 
 自宅の小さな庭ですが、3日間に分けて草むしりを終えました。
 この時期の草むしりは、風が冷たく、指先がかじかむ時もありますが、草丈も伸びておらず、地面も柔らかいため、作業がはかどります。大きなバケツにして、7~8杯分ほどあったでしょうか。最後に竹ボウキで掃き清めると、何か清々しい思いがします。
 ただ、腰痛持ちの身にとって、腰をかがめる姿勢は、つらいものがあります。
 除草剤を撒けば、簡単に済むことですが、大切に育てているコケ類まで根こそぎ枯らしてしまうため、暇をみては小まめに草をむしるしかありません。

 春の農作業が、もう始まっています。
 「江ざらい」は、4月第1週の日曜日と集落で決まっています。
 年に1度、用水の溝さらいや溜め枡(ます)の清掃、ポンプの調整などをします。水田に使う水を確保するために、大切な仕事です。

 全員が参加する江ざらいの前に、毎年、役員5~6人で前作業をします。
 昨年は、降雪の影響で、農道に老木が根こそぎ倒れ、さらに用水が倒木で塞がれるなど、復旧するのに半日掛かりました。整備が進む平場の農地と異なり、中山間地で水田を守る農業者にとっては、イノシシ対策といい、農作業以外にやるべきことが多いようです。
 今年は、車両の通行を邪魔している農道脇の立木や枝などの伐採作業をしましたが、途中から雨模様となり、さすがに3月の雨は肌寒く、2時間ほどで切り上げました。

 野菜づくりも、いよいよ始まります。
 プランターによる家庭菜園でしか、野菜を作ったことのない者ですが、今年は少し気合を入れて畑で本格的に栽培するつもりです。というのも、野菜づくりの達人ともいうべき母親が、高齢化とともに体力が衰え初めているからです。

 今までに、食べきれないほどのジャガイモ、たまねぎ、なす、きゅうり、トマト、だいこん、ごぼう、白菜などの野菜を当たり前のようにもらっていました。夏場など、バケツに一杯になるほどの、なす、きゅうりを持たされ、「どうしてこんなにたくさん、一度に食べられるのか」などと、毒づいていました。恥ずかしい限りです。
 今年は、4か所に点在している土壌の違った畑で、野菜栽培に少しでもチャレンジするつもりです。何よりも、野菜づくりを一番の楽しみにしている大先生が傍にいる訳ですから……。チャレンジといいつつも、見よう見まねで母親の手伝いをするだけですが……。

 ゆっくりと、春が進んでいます。
 温かな春を心から満喫したいと思います。(O)

初女さんのおむすび

2016.03.22

[花]ゆり(ウィルケルアルベルティ)、オレンシジューム(ハニーエンジェル)、アルストロメリア’[枝]リョーブ、斑入りヒバ、[葉]ドラセラ

[花]ゆり(ウィルケルアルベルティ)、オレンシジューム(ハニーエンジェル)、アルストロメリア’[枝]リョーブ、斑入りヒバ、[葉]ドラセラ

 青森県弘前市で「森のイスキア」を主宰していた、佐藤初女(はつめ)さんが2月1日に亡くなられました。94歳だったそうです。

 本の中でしか知らず、一度も初女さんにお会いすることが出来ませんでしたが、不思議と親しみを覚える方でした。
 かなり前から「森のイスキア」に一度は訪ねてみたいと思っていましたが、結局、願いは叶いませんでした。初女さんが握られたおむすびを食べることが出来なかったことが、心残りです。

 「初女さんのおむすび」は、とても有名です。
 学校や職場、家庭などで心傷ついた多くの人たちが、森のイスキアを訪れ、初女さん自ら心を込めて作る、手料理やおむすびで元気を取り戻し、帰って行ったと聞いています。自殺を思いとどまった方も、何人もおられるようです。
 お金を出せば、おむすびはコンビニやスーパーなど、簡単にどこででも手に入ります。市販のおむすびででも、美味しいものがたくさんあります。
 それでも、初女さんが握るおむすびは、単なるおにぎりではなかったようです。
 何が違っていたのでしょうか?

 もう4年前になりますが、初女さんの事務所に電話したことがありました。
 初女さんに講演会の講師をお願いするためです。

 「食はいのち」と語り、「食」をとても大切にする初女さん。
 この方こそ、JAグループが現在取り組んでいる「みんなのよい食プロジェクト」の講師として、相応しいと思ったからです。無鉄砲極まりないのですが、講師料や様々な条件が分からないまま、「とにかく来てもらいたい」という一心で電話しました。
 年配の男性が出られ、日程などお聞きしたのですが、結局、お願いしたい時期にスケジュールが詰まっていて、駄目だということが分かりました。電話から受ける感じでは、かなり前から日程が埋まっていたようでした。色々と親切に声掛けしてくださいますが、こちらのスケジュールを変更することも出来ず、残念ながら初女さんを富山県にお呼びすることは出来ませんでした。

 
 赤ちゃんは生まれてくるとき、ほとんどの赤ちゃんは手を握り締めて、生まれてくるそうです。
 「その手の中には、目には見えないが、一人ひとり違った宝物や賜物(たまもの)をしっかり握りしめている」と、ある方の本に書いてありました。

 94歳の生涯を閉じられた、佐藤初女さん。
 初女さんは、この世に生を享けられたとき、何を握り締めて誕生されたのでしょうか。
 誰にもない良き宝物、初女さんにしか出来ない素晴らしい賜物を十二分に生かして、地上の生活を終えられた気がします。

 ドキュメンタリー映画で、「地球交響曲・第二番」という映画があります。
 映画監督は龍村仁さんで、チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマさんとともに、佐藤初女さんらが取り上げられています。全国各地で自主上映され、多くの方から共感を集めていると聞いています。
 残念ながら鑑賞したいと思いつつも、今まで観る機会がありませんでした。
 もう、生きた佐藤初女さんにお会いすることは出来ませんでしたが、せめて画像を通じてお会いしたいと思っています。(O)

至福の美術館めぐり

2016.03.15

[花]グリーンベル、オーニソガラム(ダビウム)、ラナンキュラス、マーガレット、ホワイトレースフラワー、スイートピー[葉]レモンリーフ

[花]グリーンベル、オーニソガラム(ダビウム)、ラナンキュラス、マーガレット、ホワイトレースフラワー、スイートピー[葉]レモンリーフ

 久しぶりに美術館と博物館のハシゴをしてきました。
 東京にある向井潤吉アトリエ館と東京国立近代美術館工芸館、東京国立博物館平成館の3館です。

 向井潤吉アトリエ館は、上京するたびに訪ねています。
 向井潤吉さんは、日本古来の伝統的な古民家を求めて、全国各地を旅し、油画や水彩画に残した画家です。いつもこのアトリエ館に来ると、我が家に帰ったようなやすらぎとくつろぎを覚えます。ここで勤務するスタッフの皆さんも、気さくな方ばかりで、他の美術館にありがちな「ツーン」と澄ましたような素振りが全くありません。
 展示されている絵画を丁寧に一点ずつ鑑賞していくうちに、いつの間にか四季折々の美しい景色と郷愁に引き込まれていきます。向井さんの画を観ていると、一度も足を運んだことのない所にもかかわらず、なぜか懐かしい思いにさせられるから不思議です。

 今回の企画展は、「西日本紀行」。
 紀州や奈良、京都、倉敷など、西日本各地を題材とした約40点が展示されていました。
 初めて鑑賞する絵画がかなりあり、画に添えられた向井さん自身が書かれた紀行文とともに十分に堪能できました。

 普段は、一人で鑑賞することが多い、このアトリエ館。今回は7~8人が来館しておられました。顔ぶれを見ると、ほとんど夫婦連れや友人仲間で、比較的年配者が多いのは、この美術館の特徴なのでしょうか。

 先日、NHKのEテレ「日曜美術館」で、向井潤吉さんの特集が放映されました。
 再放送を含め、見せてもらいましたが、向井さんの新たな側面を知ることが出来、とても嬉しかったです。改めて、向井潤吉さんが好きになりました。

 二つ目は、東京国立近代美術館工芸館。初めて、この工芸館に足を運びました。
 皇居近くの千鳥ヶ淵に、このような工芸館があるとは……。赤レンガ造りの建物から重厚な伝統が感じられ、すっかり気に入りました。

 企画展は、「未来へつづく美生活展」。
 磁器、陶器、ガラス、木工品、漆、竹、絹など、国立近代美術館が所蔵している作品、約100点が展示されていました。
 最大の目的だった、志村ふくみさんの草木染め「紬織着物 水煙(すいえん)」に、圧倒されました。しばらく志村さんの作品の前で、立ち尽くしました。
 草木染めは、機会あるごとに鑑賞していますが、志村さんの作品は別格だと思います。志村さんが人間国宝であり、文化勲章を受章されたからいうのではなく、作品そのものに他の追従を許さない気品と気迫が満ちているからです。
 今回展示された志村さんの作品は、この1点だけでした。39歳と若い時に制作されたものでしたが、この作品に出会えただけでもう十分満足出来ました。

 このほか心に留まった作品は、稲木東千里(いなき ひがしせんり)の鉄刀木、加藤土師萌(かとう はじめ)の陶器、富本憲吉(とみもと けんきち)の磁器などでした。

 最後は、東京国立博物館平成館の特別展「始皇帝と大兵馬俑(へいばよう)」。

 ネットによると、「20世紀の考古学で最大の発見のひとつといわれる『兵馬俑』。始皇帝の陵園そばに埋められていたその数は、なんと約8千体。1974年の発見以来、今もなお、発掘調査は続いています。
 本展では、兵馬俑をはじめ、始皇帝や秦にまつわる文物、約130件を展示します。兵馬俑のなかでも、弓の準備をした『立射俑』と『跪射俑』、両手で手綱を操る『御者俑』は、日本初公開の作品です。
 もうひとつの大きな見どころは、兵馬俑坑の再現です。実際の兵馬俑と同じ製法で中国で作った、レプリカ約70体が会場に並びます」と、紹介されています。

 覚悟して国立博物館に出掛けましたが、会場内はやはり多くの人で大混雑。
 「最終的には、約48万人が来場した」と報道されていたのも、頷けます。

 小国であった秦の国が、始皇帝によって国家の統一が進められ、中国で初めて皇帝となり、生前の住まいである「咸陽宮殿」と死後の住まいである「陵園」を壮大なスケールで造り上げる流れを、順序立てて知ることができて、とても興味深かったです。
 歴史が苦手中の苦手の私でも、わかりやすい解説文により、十分に理解できました。

 何といっても一番の見どころは、兵馬俑坑の再現。
 兵馬俑のレプリカが約70体、整然と並べられた会場は、臨場感と迫力がありました。面白いことに兵馬俑の顔は、一体として同じものはなく、すべての表情が異なっていました。レプリカとはいえ間近で見ることができ、得難い経験をしました。
 2時間半近く掛けて鑑賞しましたが、快い疲れが残りました。

 趣向の異なった、3カ所の美術館・博物館めぐり。
 自分にとっては、何よりの至福の時間でした。(O)

余命3週間といわれたら、何を食べたいですか?

2016.03.08

春爛漫です。[花]ヒヤシンス(ジェネラルコーラー)、コワニー、カーネーション、スィートピー(ハッピー)、[葉]オクラレルカ、玉シダ、ゴットセファナ

春爛漫です。[花]ヒヤシンス(ジェネラルコーラー)、コワニー、カーネーション、スィートピー(ハッピー)、[葉]オクラレルカ、玉シダ、ゴットセファナ

 余命、わずか3週間といわれたら、
  あなたは、何を食べたいですか?

 このような問いかけをしている病院があります。
 大阪にある淀川キリスト教病院のホスピス・こどもホスピス病院です。
 この病院では、毎週土曜日に「リクエスト食」を実施しています。
 最近、ふと手にした、青山ゆみこさんの著書・「人生最後のご馳走」(幻冬舎)で、「リクエスト食」という言葉に初めて触れました。

 末期がんになった場合、最期の頃になると、ほとんどの人は口から食べ物を摂ることが出来ず、点滴や胃瘻などにより、延命治療を受けます。仮に口から食事を摂ることが出来たとしても、残念ながら美味しいとはいいがたい、お粥や流動食などが、病院食として出されることが、一般的なようです。
 亡き父や姉を看ていても、そのような最期の日々を迎えて行きました。

 ご存知の方も多いと思いますが、ホスピス病院とは主に末期がん患者に対し、緩和治療や終末期医療(ターミナルケア)を行う病院のことです。
 本人には、末期がんであることが告知され、本人の意思にもとづいて、最期の日まで少しでも快適に生き、安らかで尊厳に満ちた死を迎えることが出来るように、病院全体でサポートするのがホスピスです。
 このホスピスを日本で最初に始めた病院が、淀川キリスト教病院であり、当時ホスピス長だった柏木哲夫医師は、ホスピス、緩和ケアの第一人者として有名な方です。多くの著書を執筆されており、心温まる文章を書かれる方です。

 ホスピス病院では、抗がん剤などによる無理な延命治療は行われません。
 オピオイドなどによる緩和治療により、痛みのコントロールが行われ、苦痛がやわらぐ中で、残された時間を家族と過ごしたり、趣味に励んだり、その人らしく思い思いに静かな日々を過ごされるようです。

 淀川キリスト教病院のホスピス・こどもホスピス病院には、成人病棟15床、小児病棟12床が備えられているそうです。

 リクエスト食。
 この聞きなれないリクエスト食とは、病院が決めた献立ではなく、患者一人ひとりが好きなメニューを自由にリクエストできる食事のことです。

 毎週金曜日に管理栄養士がそれぞれの病室を訪ね、患者に寄り添いながら、いま食べたいもの、味付けの好み、食べたい量などの要望に、丁寧に耳を傾けます。聞き取りが終わると、希望の献立は、その料理に込められた患者さんの思いや細かなニュアンスも含めて、調理場の調理師に伝えられます。
 調理師は、すぐに食材の手配と段取りにかかります。ここの調理師は、単に料理を作る人ではありません。若い時に老舗料亭で修業し、有名なホテルの和食部門で活躍してきた、プロの料理人なのです。このような調理師が、患者一人ひとりの希望に応えて、丹精込めて異なる料理を作るわけです。もちろん和食に限らず、洋食や中華料理の要望にも応えられます。
 プラスチックの容器を使うことが多い病院食。ここでは、料理の盛り付けや器にもこだわり、食材を含めて季節感をとても大切にしています。

 延命治療を受けている時は、抗がん剤による副作用などで食欲が落ちていた患者も、緩和ケアを受けることにより、再び食欲を取り戻すことが多いようです。

 本で紹介されている、実際に患者さんが要望したリクエスト食は、天ぷら、ハイカラ洋食、お寿司、秋刀魚の塩焼き、ポタージュスープ、お好み焼き、ステーキ、芋の煮物、うどんとパイナップル、天ぷらと鰻、ウインナーピザ、すき焼きです。
 それぞれの料理に、「食」にまつわるエピソードがあり、家族の想い出や幼い頃の記憶などが凝縮されています。当然、末期がんの患者さんですので、調理師の手によって食べやすいようにと、様々な工夫が施されています。

 臨終の間際によみがえる「食」。
 1週間に1度のリクエスト食ですので、数回しか食べることが出来ないまま、亡くなられる方もおられます。それでも最期に、想い出の料理を食べられたことを大変喜ばれるそうです。

 富山県内には、県立中央病院、富山市民病院、高岡市民病院、砺波総合病院にホスピス病棟があり、厚生連高岡病院も現在準備中と聞いています。いずれ末期がんになった場合は、利用させてもらいたいと考えています。

 最後にお聞きしたいと思います。
 あなたは余命3週間といわれたら、何を食べたいですか?(O)

天井を見上げつつ

2016.02.29

ひな祭り第2弾です。[枝]啓翁桜、[花]菜の花、トルコききょう(セレブラブリーピンク)、[葉]ナルコラン

ひな祭り第2弾です。[枝]啓翁桜、[花]菜の花、トルコききょう(セレブラブリーピンク)、[葉]ナルコラン

   久しぶりに風邪でダウンしました。
 高熱は出なかったものの不自然な微熱が続き、頭痛もひどく、身体中の節々も痛くなりました。毛布を重ね着し、温まっているつもりでも、悪寒が走り、足先や指先も冷たいまま。電気アンカで、やっと体が温まるような状態でした。
 ほぼ2日半の間、水分とゼリー、ヨーグルト以外は、ほとんど口に入りませんでした。
 当然インフルエンザかと懸念を抱きましたが、掛かりつけの医師の診断によると、通常の風邪とのこと。

 先日、東京へ2日間出張する機会がありました。
 帰りの新幹線で、自分が座った席より2席ほど後方で、変な咳をする女性がいます。
 大宮駅を通過した辺りから咳が始まり、ずっと続きます。咳から受ける感じでは、どうもマスクを着用しておられない様子。内心「困ったナー」と思いつつ、あいにく自前のマスクも持ち合わせていません。いつもなら集中するはずの読書も、今一つ身が入りません。
 かれこれ、咳は30~40分近く続いていたように思います。

 これが原因とは言いませんが、この日の夜から体調を崩し始めたことは事実です。
 翌土曜日の午前中、耐震改修工事の関係で出勤し、さらに日曜日午後、「せめて顔だけでも」と、地域の行事に無理矢理に出席したことが致命的な結果を招くことになりました。
 「たかが風邪ごときで…」「風邪など、気の持ちようだ」などと、軽く見たつもりもなかったのですが、結果的には……。

 
 トイレ以外は起き上がれず、床に伏したまま。テレビを見る気力もなく、終日、天井ばかり見つめていました。
 こんな時、ある2人の男性のことが気に掛かりました。
 2人とも、私とほぼ同い年です。

 A君は、昨年秋に病院から退院し、現在C市にあるアパートで独り住まい。
 家庭の事情があり、実家に戻ることが出来ず、生まれて初めての独り暮らし。少し障害が残り、食事などはヘルパーさんの手助けを受けながら、何とか頑張っています。

 B君は現在、東京近郊にあるD市のアパートで独り暮らし。
 B君は、血液の難病に罹り、当初はD市の近くにある大学病院で治療を受けますが、故郷に戻りたいとの本人の強い希望で、C市の総合病院に転院。長い間、その総合病院で様々な治療を受けますが、その治療にも限界があり、完解に至らないまま、結局、D市へ帰ることに。
 先日、連絡をとりましたら、強い薬の副作用が影響したのか、腰椎を圧迫骨折してしまったとのこと。何とか入院せずにアパートで頑張っているが、独り暮らしにも限界が近づいていると、気弱に語ります。

ひな祭り第1弾です。[枝]桃、[花]アマリリス、オンシジューム[葉]レザーファン、アオキ

ひな祭り第1弾です。[枝]桃、[花]アマリリス、オンシジューム[葉]レザーファン、アオキ

 独り暮らしをしている際に、病気になった時の心細さ。
 最近、「独居老人」という言葉をよく耳にしますが、高齢者に限らず、一人暮らしの人は確実に増えています。今後、将来に向けて、一層増加すると言われています。
 普段、健康な時は「独り暮らし」を意識することは少ないのかもしれませんが、いざ病気で伏した場合、独り暮らしの心細さ、不便さが身に染みます。

 という私も、学生時代に急病で床に伏した際、4畳半1間の古アパートで辛い日々を過ごした経験があります。今のように携帯電話やコンビニがある時代でもなく、誰とも連絡がとれず、友人たちも気付いてくれず、なんとか常備薬で直しました。
 あの時の心細さと、夜が長かったことをよく覚えています。

 幸いなことに、今回の風邪にあたり、家人達は思い思いに買い物をして来て、枕元に色々な品を届けてくれました。
 しみじみと、家族のありがたさを痛感した次第です。
 口に入る、入らないは別として、心遣いがとても嬉しかったです。

 これが、A君やB君の場合、特に身寄りが近くにいないB君の場合は、どうなっているのかと。自ら選んだ道とはいえ、厳しい現実があります。
 はたしてどのような思いをして、B君は日々天井を見つめているのかと、つい考えてしまいました。(O)

耐震改修工事、約50%終了しました。

2016.02.16

[花]矢車草、フリージア(アラジン)、シクラメン(白)、[葉]ゼンマイ、ナルコラン、紅ツゲ

[花]矢車草、フリージア(アラジン)、シクラメン(白)、[葉]ゼンマイ、ナルコラン、紅ツゲ

 6階、7階耐震改修工事の完成検査が2月12日、山瀬中央会専務や松田全農富山建築設計事務所長、株式会社竹中工務店の工事関係者らが出席して行われました。

 今回、完成引渡しされたのは、会館東側・エレベータ横にある6階、7階のホール。
 ホールには、幅8メートル、高さ3メートル、重量約3トンの耐震フレームが、新しく設置されました。この耐震フレームは、10ピースの鉄骨からなり、1個ずつクレーン車で吊上げられ、窓から取込み、台車で運搬し、工事エリアで慎重に組み立てたものです。
 鉄骨フレームは、白い化粧カバーできれいに覆われ、中央には人が通れるように出入口が作られ、両端にはステンレス製の柵と手摺も付けられました。

 ロビーの完成にともない、6階、7階については、エレベータ横にある北側機械室の耐震改修工事を除き、すべて終了したことになります。
 7階は、昨年4月下旬からの工事開始以来、約9カ月間。
 6階については、5月中旬から工事を開始し、西側(公園側)の和室に耐震フレームを設置するなど、複雑な工事もありましたが、約8カ月で工事を終えています。

 耐震改修工事では、農協会館全体で耐震フレーム68台の設置と、耐震壁4基の設置が計画されています。
 耐震壁は、強度の足りない壁を補強するために行われます。耐震強度が不足している、2階から5階までの西側の一角に、従来の壁を一度すべて取り壊し、鉄筋などで強度を補強したうえで、改めて壁を新設するものです。
 5階の耐震壁については、アンカー打ち、鉄筋組立、型枠組立、コンクリート打ち、無収縮モルタル圧入、脱型など、一連の工事が終了しており、今後は天井や壁のボード張り、塗装を経て、最後の仕上げ作業に入る予定です。
 4階、3階でも、同様の作業が進められており、順次、耐震壁が完成することになります。

 1月末現在、耐震改修工事の進捗率は、会館全体で約50%となりました。
 工事は、計画をやや上回って進んでおり、順調に経過しています。
 現在、耐震改修工事は、主に5階、4階、3階で行われています。今後は、2階が4月上旬から、1階が6月上旬から、それぞれ工事を開始する予定です。
 工事終了は、平成28年12月下旬を予定しています。(O)

 PS.写真をクリックしていただくと、さらに大きく見ていただくことができます。

7階ホールに、新しく設置された耐震フレーム。

7階ホールに、新しく設置された耐震フレーム。

耐震フレームの中央部に作られた、ステンレス製の柵と手摺。

耐震フレームの中央部に作られた、ステンレス製の柵と手摺。

6階西側の和室に、新しく設置された耐震フレーム。

6階西側の和室に、新しく設置された耐震フレーム。

5階西側作られている耐震壁。

5階西側作られている耐震壁。

小学校の閉校

2016.02.08

バレンタインです。[花]バラ(サムライ)、(ルビーレッド)、スプレーバラ(湘南キャンディレッド)、ホワイトレースフラワー、[葉]丸葉ルスカス

バレンタインです。[花]バラ(サムライ)、(ルビーレッド)、スプレーバラ(湘南キャンディレッド)、ホワイトレースフラワー、[葉]丸葉ルスカス

 現在住んでいるA市で、小学校統合の話が出ています。
 3地区にある小学校3校を統合して、別の場所に新しく小学校を建設しようというものです。今後、5年以内を目途に、地域と協議を進めたうえで、方向性を決定するそうです。

 少子化が叫ばれて、久しい今日。
 確かに周りでも、子供たちは少なくなっています。
 平日はもちろんのこと、休日でも子供たちが遊んでいる姿を目にすることは、滅多にありません。40軒足らずの小さな町内ですが、小中学校へ通っている子供たちは、ごく少数のようです。

 町内に児童公園があり、年に2~3回、町内あげて早朝から草むしりをしています。花壇にさまざまな花を植え、公園の整備もしています。子供向けの遊具も色々設置してありますが、公園で遊んでいる子供たちを見掛けることは、まずありません。

 児童数が年々減少する中で、適正な規模を保つために、小学校を統廃合することは、自然な流れだと思います。ただ、小学校の統廃合については、何かと地域と密着しているだけに、地域に及ぼす影響は少なくないようです。

 昭和40年代前半、もう半世紀も前のことになります。
 B市の統廃合計画にともない、通っていた小学校が廃校となりました。小学校5年生の時です。
 全校生徒、100人にも満たない小さな小学校。山あいにある、2階建ての古びた木造校舎。明治時代に尋常小学校として建てられ、長く地域で愛され、多くの卒業生を送り出して来ました。祖父も、祖母も、父も、母も、姉も、皆この小学校の卒業生でした。

 校庭の周りに桜の木が多く植えられ、春には爛漫たる桜で満ち溢れ、葉桜も色鮮やかで、秋には色とりどりの紅葉で溢れていました。豊かな時代とは言えませんでしたが、あの小学校には、濃厚でゆったりとした時間が流れていた気がします。

 6年生を卒業式で送り出した翌日、閉校式が行われました。
 生徒や先生、卒業生、地域の人々、そして市役所の関係者ら。小さな体育館は、多くの人で一杯になりました。最後に校歌を歌う時に、なぜか無性に淋しくなり、大人の人たちと泣いたことを覚えています。
 今も閉校したあの小学校の校歌を、ほぼ覚えています。中学校、高校の校歌は、まったく記憶にありませんが、不思議なものです。小学生には理解しづらく、格調の高い、漢文のような歌詞ですが、今となれば独特の味わいがあります。

 4月から「街の小学校」に通い始めました。
 約3.5キロ離れた平場の小学校。徒歩での通学は、小学生にとって結構遠く感じられました。それ以上に辛かったのは、女子生徒からの「いじめ」。転校して早々、「山ザル」とか「山の学校に帰れ」とか、面と向かっていわれました。帰れといわれても、帰る小学校はもうないのに……。理由が分からず、理不尽な思いをしたものです。
 男子生徒とは、自然と打ち解けましたが、同じクラスの5~6人の女子生徒からは、なぜかヒソヒソ話をされたり、無視されたり、色々とありました。どうしてか編入した同学年の中で、一番つらくあたられた気がします。
 今から思うと、どこか私に不遜な態度があったのかもしれません。

 それでも、3~4カ月経つうちに、いじめはいつの間にか収まりました。
 環境が変わったうえに、担任の先生も気付いてくれず、もちろん家族にも言えず、何とも言えない悶々とした日々を送りました。ただ、このメンバーには、「勉強でも、スポーツでも、絶対に負けないゾ」という闘志を、密かに燃やしていたことも事実です。

 当時、「いじめ」という言葉は、一般化してなかった時期です。
 でも、いじめ自体は、現在ほどではないにしろ、あったと思います。あの時のことは、いまだに小さなトゲとして、心に疼きます。忘れたくとも消し去れない、嫌な思い出です。わずかな期間とはいえ、いじめを体験したものとして、いじめを受けている人の痛みが、少しはわかる気がします。

 いじめのリーダー的な存在だった女子生徒とは、中学校で同じ部活となりました。
 同じブラスバンドの部活動を通じて、すっかり親しくなり、コンクールでも共に頑張りました。今では5~6年に1回開催している部活の同窓会で、会うことを楽しみにしている11人のメンバーの1人です。(O)

静寂閑雅

2016.02.01

[花]ガーベラ(ケンタッキー)、スプレーデルフィニューム(プラチナブルー)、スィートピー(オレンジ染)(ピンクスロース)、[葉]レモンリーフ、ブプレリューム

[花]ガーベラ(ケンタッキー)、スプレーデルフィニューム(プラチナブルー)、スィートピー(オレンジ染)(ピンクスロース)、[葉]レモンリーフ、ブプレリューム

 久し振りに降雪に見舞われ、今年初めて雪かきに追われました。
 今回はどちらかというと、県西部の方が多かったようです。

 早いもので、もう如月(きさらぎ)に入りました。
 毎年この時期、県内の美術館は冬眠じゃありませんが、これといった企画展が少なくなるようです。

 そういった中で、先日、楽翠亭美術館の「静寂閑雅 - 美の佇まい」に行ってきました。
 近年、県内には数々の美術館が誕生しており、すべての美術館に足を運んだわけではありませんが、この美術館が、私にとって一番心通じ合える美術館に思えます。規模は異なりますが、どこか東京の根津美術館と相通じるものを感じます。
 1時間余りの鑑賞中、私のほかに来館者はなく、終わりごろになって女性の方がお二人、入館して来られましたが、自分のペースでゆっくりと回らせてもらいました。

 静寂閑雅(せいじゃくかんが)
 その名のごとく、館内全体はひっそりとした静かさが漂い、雅やかな風情に満ちていました。今回印象深く残ったのは、篠田桃紅、十二代三輪休雪、十四代酒井田柿右衛門、三浦小平二、深見陶治さんらの作品です。

 現在、103歳になられた篠田桃紅さん。
 作品は、「水墨の抽象画」とも呼ばれ、最近ではエッセイ「103歳になってわかったこと」(幻冬舎)がベストセラーとなり、大きな話題を集めています。1月初め頃だったと思いますが、NHK・Eテレで104歳の現役医師・日野原重明さんとの対談が放映され、大変興味深く見せてもらいました。
 墨に金箔、銀箔、朱色などが複雑に絡み合い、年齢を感じさせない、若々しさと力強さが漲っていました。

 十二代三輪休雪(きゅうせつ)さん。
 山口県萩焼の窯元。以前、東京・虎の門にある菊池寛実記念 智美術館で開催された、「三輪壽雪・休雪― 破格の創造」で、初めて三輪壽雪(じゅせつ)・休雪さん親子の存在を知りました。その時は、通常の萩焼を遥かに超えた独特の造形に、ただただ圧倒されました。それ以来、不思議と休雪さんの作品に魅せられています。

 十四代酒井田柿右衛門さん。
 佐賀県有田焼の代々続く名門の陶芸家。柿右衛門様式は、余りにも有名です。
 当日は、「濁手蓼文花瓶」などの作品が展示してあり、静寂な中でしばらく正座し、作品と対峙させてもらいました。実に繊細で、流麗な印象を受けました。

 知ったかぶりをして、色々と書いています。
 しかしながら、実のところ美術品、芸術品の基礎的な知識を持ち合わせていません。正規の鑑賞方法というものが、仮にあったとしても知りません。ただ、個々の作品と向き合う中で、自分なりに感じるもの、何か通じるものがあれば、それでよいと考えています。美を味わう心、美を美として感じられる心だけは、大切にしたいと思います。
 何よりも美術館巡りが、自分にとっては至福の刻(とき)だからです。

 帰りに美術館の売店で、女優・山口智子さんのエッセイ「名も知らぬ遠き島より」(筑摩書房)、「楽しい和-」(小学館)を見つけました。以前から探し求めていた本です。思い掛けない所で手にすることが出来、嬉しくなりました。
 いいこと続きのひとときでした。(O)

白いタペストリー

2016.01.26

[花] ゆり(レクサス)、ラナンキュラス、麦、[枝] ねこ柳、[葉] ドラセナ、コンパクター

[花] ゆり(レクサス)、ラナンキュラス、麦、[枝] ねこ柳、[葉] ドラセナ、コンパクター

 諏訪内晶子さんの著書、「ヴァイオリンと翔る」(NHKライブラリー)を読み終えました。

 世界的に活躍をしているヴァイオリニストの諏訪内晶子さん。
 ご存知の方も多いと思いますが、諏訪内晶子さんは世界3大コンクールである、ベルギーのエリザベート王妃国際音楽コンクールで第2位、4年に1回開催のロシア・チャイコフスキー国際コンクールで、18歳、史上最年少で優勝という輝かしい経歴の演奏家です。

 著名な人ですので、名前は知っていましたが、今まで生演奏を聞く機会もなく、本を手にするのも今回が初めて。どなたか忘れましたが、この本を素晴らしい良書として紹介する方がいて、読んだ次第です。

 諏訪内さんが26歳の時に執筆したという、この本。
 語彙力が豊かで、文体も理路整然としており、多くのことを教えてもらいました。この若さで、きちんと自分の考えを持ち、文章として表現できることが驚きです。ヴァイオリンといい、文章力といい、神は諏訪内さんに最高の賜物を与えたのでしょうか。

 本の中では、数々の国際コンクールで輝かしい栄誉に浴するも、テクニックの最高峰のみを求めるのではなく、自分だけの音に仕上げるために、必死に向き合う姿が書かれています。そのために、作曲家が書き上げた譜面に秘められた、時代背景や思想、心情などを含めて深く読み取るとともに、音楽とは別に、人間として幅広く成長することを真摯に求める姿が記されています。

 文章の上手な方は、各分野におられますが、音楽界にも何人かおられます。
 知っているだけでも、指揮者では小澤征爾さん、岩城宏之さん、佐渡裕さんなど。ピアニストの中村紘子さん、ヴァイオリニストの千住真理子さんも有名です。N響関係では、コンサートマスターの篠崎史紀さん、オーボエ奏者の茂木大輔さん、元・第一ヴァイオリン奏者の鶴我裕子さんなど。

 主なものは読ませてもらっていますが、個人的には岩城宏之さんと鶴我裕子さんのエッセイが好きです。「バイオリニストに花束を」(中公文庫)などの著書がある鶴我さん。新刊本がなかなか出版されないのが、残念です。
 岩城さんは、既に故人となられましたが、洒脱で軽妙なタッチの文章が好きです。特に「九段坂から ― 棒ふりはかなりキケンな商売」(朝日文庫)は、赤裸々な岩城さんを知ることが出来、一番好きな本です。諏訪内さんの本に刺激されて、音楽関係の本が読みたくなり、「岩城音楽教室 ― 美を味わえる子どもに育てる」(知恵の森文庫)を読み始めています。久しぶりに懐かしい岩城宏之さんにお会いしているようで、いつもに増してウキウキしながら読み進めています。岩城宏之さんは、いい人ですね。

 この頃、人生はタペストリーではないか、と思う時があります。

 この地に生まれた時、一人ひとりに見えないが、1枚の白いタペストリーが与えられています。
 このタペストリーに生涯にわたって、毎日々々、一本ずつ幾度となく糸を通していきます。赤、黒、白、黄色など、糸は数多くあり、複雑に絡み合っていきます。時には、糸の太さも微妙に違います。
 いつの間にか、真っ白だった布地が、意識しないうちに少しずつ埋まっていきます。
 生きている間は、裏側しか見ることが許されず、途中は複雑怪奇で、何を作っているのか、自分でも皆目わからない。まるで、刺繍の裏側を見ているように……。
 それでも、ひと針、ひと針、心をこめて糸を通し続けます。
 そして最期に、初めて表側をみせてもらう時、いつのまにかきれいな作品に仕上がっています。
 「どうして自分だけが…」「なぜこのようなことばかりが起きるのか…」と悩み苦しみ、糸が複雑に絡み合い、多岐にわたればわたるほど、逆に表は立派に完成するようです。

 諏訪内晶子さんは、17歳でエリザベート王妃国際音楽コンクール2位、18歳でチャイコフスキー国際コンクール優勝という、若くして素晴らしい糸をタペストリーに紡いておられます。でも、芸術家として、日々悩み苦しみ、悶々とした中で、さらなる音の高嶺を求めて、日々糸を通しておられることと思います。

 すべての人にも、白いタペストリーが届いているはずです。
 一人ひとり、大きさも模様も異なっていても、どの作品も最高傑作に仕上がると思います。もとより諏訪内晶子さんとは比べる必要もありませんが、小生も倦むことなく、片時も休むことなく、糸を紡いでいきたいと思います。(O)

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