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もう健さんの文章が読めない。

2014.11.26

 

(花)ガーベラ、シンピジューム(枝)ヒペリカム(葉物)ポボラス、ドラセナ、シラス

(花)ガーベラ、シンピジューム(枝)ヒペリカム(葉物)ポボラス、ドラセナ、シラス

 高倉健さんが、83歳で旅立たれました。
 突然の訃報に、とても驚きました。人知れず、忽然(こつぜん)とこの世を去る姿は、いかにも健さんらしい気がします。

 家内も映画好きなため、時間を合わせて、時々邦画を中心に観に出掛けます。
 健さんの遺作となった映画「あなたへ」も、2年前、ロードショーとともに観に行きました。映画終了後、家内も私も目頭が熱くなり、字幕スーパーが流れている間、言い尽くせない深い余韻の中に浸っていました。周りも、席を立つ人がほとんどなく、すすり泣く声があちこちで聞こえていたことを覚えています。

 健さんの映画を初めて観たのは、山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」でした。
 大学生だったその当時から、高倉健さんは大変人気がありました。でも、私にとっては「任侠映画の俳優」というイメージが強く、かってに嫌悪に近いものすら抱いていました。それだけに、「幸福の黄色いハンカチ」を観た時は、不器用ながら朴訥(ぼくとつ)と誠実に生きる主人公と、健さんがダブって映り、すっかり健さんの人柄に魅せられました。
 以来、折に触れ、健さんの映画を観てきました。好きな映画を強いて挙げるとすれば、「鉄道員(ぽっぽや)」です。

 健さんのお母さんが亡くなった時、健さんは「あ、うん」という映画の撮影中でした。葬儀に間に合わず、1週間後、ふるさと福岡に帰ったそうです。お線香をあげ、おがんでいるうちに、おかあさんの骨を見たくなり、仏壇の骨箱をあけます。お母さんの骨を見ているうちに、むしょうに、おかあさんと別れたくなくなって、骨をバリバリかじってしまったそうです。そばにいた妹さんたちが、驚いて悲鳴をあげ、気が狂ったのかと思ったとのこと。でも、そうではない。りくつではなく、そのとき、おかあさんと、どうしても別れたくないと強く思った。と、著書「南極のペンギン」(集英社文庫)に、健さんは著しています(85P)。

  健さんが、エッセイストであることは、意外でした。
 安価本や絶版本、珍しい本を見つけるため、時々、BOOK・OFF(ブックオフ)に足を運びます。7、8年前だったと思いますが、本棚で「高倉健」の名前を見つけて驚きました。人違いかと思いました。俳優のイメージと作家のイメージとが、どうしても一致しなかったからです。やはり、あの「高倉健」さんでした。

  その時、手にした本が、「南極のペンギン」です。
 逝去を知り、改めて再読しました。健さんらしい、飾らない、いい本です。まるで、童話を読んでいるような、心温まる不思議な本です。中でも「ふるさとのおかあさん」が、特に好きです。知っている限りでは、健さんは他に「旅の途中で」(新潮文庫)と「あなたに褒められたくて」(集英社文庫)を残しておられます。
 著書「あなたに褒められたくて」の最後に、お母さんに関する随筆が載っています。

 お母さん。僕はあなたに褒められたくて、ただ、それだけで、あなたが嫌がっていた背中に刺青(ほりもの)を描(い)れて、返り血を浴びて、さいはての『網走番外地』、『幸福の黄色いハンカチ』の夕張炭鉱、雪の『八甲田山』。北極、南極、アラスカ、アフリカまで、30数年駆け続けてこれました。
別れって哀しいですね。
いつも――。
どんな別れでも――。(202P)

 頑固で、優しくて、そして有難い母だったんです。
 自分が頑張って駆け続けてこれたのは、あの母に褒められたい一心だったと思います。(201P)

 背筋の伸びた、たくましい健さんの後ろ姿。その背骨には、いつもお母さんの言葉があったといいます。
 「辛抱ばい」
   「家族に恥ずかしいことをしなすんな」
 健さんは今頃、愛するお母さんの膝許に帰って行かれたのでしょうか。

  映画もさることながら、もう健さんの新たな文章が読めないと思うと、淋しいです。(O)

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