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松山善三さん

2016.09.20

 

[花]ゆり(タランゴ)、ケイトウ(サカタプライド)、てまり草、[枝]われもこう(星生の泉)、ヒペリカム(紅葉)

[花]ゆり(タランゴ)、ケイトウ(サカタプライド)、てまり草、[枝]われもこう(星生の泉)、ヒペリカム(紅葉)

 映画監督で脚本家の松山善三さんが、亡くなられました。
 91歳で、老衰だったそうです。

 「二十四の瞳」に主演した俳優の高峰秀子さんと昭和30年に結婚。
 おしどり夫婦として知られていたご夫妻。平成22年に高峰さんが旅立って、早や6年。養女で作家の斉藤明美さんと暮らしておられることは知っていましたが、その後どうされているのかと、ずっと気になっていました。

 訃報に接した時、たまたま高峰秀子さんの著書「旅日記 ヨーロッパ二人三脚」(ちくま文庫)を読んでいました。
 この本は、昭和33年にご夫妻がヨーロッパを旅した際の旅行記。約7カ月間にも及ぶフランスやドイツ、スペインなどを旅行した、水入らずの旅日記です。食事や散歩、買い物など、心から楽しむお二人。のびのびした様子が、とても微笑ましく感じられます。
 松山善三さんという「生涯の伴侶」を得た高峰秀子さんの幸せの証が、いきいきと伝わって来ていただけに、訃報を聞いた時は感慨もひとしおでした。

 

 松山善三さん。
 名前を聞いても、もうピンと来る人は少ないと思います。
 ろうあ者同士の夫婦を描いたデビュー作「名もなく貧しく美しく」など、映画監督として数多くの話題作を手掛けておられますが、小生が観ていた映画は、「典子は、今」だけでした。

 この映画は、実在のサリドマイド病患者・辻典子さんの半生を描いたものです。
 サリドマイド剤の副作用で、生まれつき両腕を持たない辻典子さん自らが主演し、明るく生きる姿を描いて大ヒット。昭和56年に放映され、手の代わりに両足を使って日々の生活をしっかりと生き抜く姿は、その当時、大きな反響を呼びました。
 社会人になって間もない頃に、この映画を観て、大変感動したことを覚えています。

 知りませんでしたが、辻典子さんはその後、熊本市役所に就職され、結婚されて「白井のり子」となられています。2人のお子さんを産み、育て、平成18年3月末に熊本市役所を退職され、半生記をまとめ上げ、「典子44歳 今、伝えたい」(光文社)として、出版されています。
 白井のり子さんが、あのような不自由な体で、どのように勤務され、どのように子供さんを育てられたのか知りたくて、あちこちの書店やブックオフなどで探しましたが、残念ながらこの本は見つかりませんでした。近いうちに買い求めて、読むつもりです。

 

 小学校、中学校時代の同級生が、先日不慮の死を遂げました。
 30歳前後で障害のある身となり、長い間、苦しんでいる姿を傍らで見てきただけに、いまだに心の整理がつかないでいます。
 彼の生涯は、何だったのかな……と、時々思い返しています。

 生きとし生けるものは、いつの日か死を迎えます。
 高峰秀子さんが、そうであったように。
 そして、松山善三さんもまたそうであったように、「凛」とした生きかた。
 そのような歩みをもって、静かに生涯を閉じられればと願っています。(O)

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