七十八歳の同窓会
2016.10.05
先日、叔母から電話が入りました。
「小学校の同窓会があるので、久しぶりに帰省します。○○ちゃん、よろしくネ」
もうじき還暦を迎える初老の男をつかまえて、もう「○○ちゃん」はないと思いますが、叔父、伯母たちからは、未だに「○○ちゃん」で通っています。
大阪に嫁ぎ、現在は和歌山県で暮らしている叔母。
今年で、78歳になったとのこと。
近年大病を患って入退院を繰り返し、随分心配しましたが、すっかり元気を取り戻したようです。関西方面と遠距離であることと、子育てなど、日々の生活に追われたこともあり、今までほとんど欠席してきたという同窓会。「今回が最後の同窓会」ということで、やや健康面に不安を抱えつつも、出席を決断したようです。
「××さんに、久しぶりに会える。△△さんに会えることを楽しみにしている」と、明るい声で話す叔母。楽しげな声が電話口から響いてきますが、誰一人として知っている人はいません。
余程楽しみにしているのでしょう。
78歳で、小学校の同窓会。
聞くだけで、すごいことです。
叔母の同級生が何人いたのか、知る由もありません。当然、亡くなられた方もおられるはず。
同窓会を開くだけのクラスメートが生きておられること、そして同窓会を開こうという思いを抱かせる学級であったこと。何よりも高齢にもかかわらず、世話をしている幹事さんもすごいと思います。
何といっても、叔母たちが小学校を卒業して、65年以上も過ぎているわけですから。
叔母が卒業した小学校は、小生にとっても母校になります。
祖父も祖母も、父、母、伯母、伯父たちも、そして亡き姉も、この小学校の卒業生です。
小学校の統廃合にともない、木造校舎は半世紀以上も前に壊され、今は跡形もなくなっています。グランドも、以前は地域運動会や盆踊りなどに使われましたが、過疎化や少子化の影響で、運動会自体開くことが出来なくなり、5~6年前から荒れ放題と聞いています。
小生は、この小学校で男子6名、女子11名とともに学びました。
わずか18人の学級でしたが、とても仲が良く、まとまりのあるクラスでした。熱心で、大変良い先生方に恵まれ、想い出の多い日々を送れたと個人的に思っています。
同級生は皆、県内で生活しており、時々顔を合わす人もいます。
しかしながら、このメンバーとは、一度も同窓会を開くことなく、今日まで来ています。
本来ならば、小生が幹事役を担うべきだったのかナーと内心考えています。成績は、際立つ方ではありませんでしたが、お調子者で、以前からこういう時の旗振りはお前だという空気を感じていました。
受け持っていただいた先生は、3人おられました。
同窓会を開かないうちに、お一人は既に亡くなられ、もう一人の先生は認知症がかなり進んでいると聞いており、一番親しみを覚えた5年生の時の先生も、先月初め亡くなられてしまいました。
たとえ同窓会を開いたとしても、もうお呼びできる先生はおられません。
中学校、高校を含めても、俗にいう同窓会なるものに出席したことがありません。
どうも、大人数の同窓会は肌に合わないようです。
それでも、5~6年に1回開催される中学時代のブラスバンドの同窓会、年2回開いている高校時代の悪仲間の「六人会」には、「永久幹事」として出席しています。気心の知れた仲間たちとの会話、近況報告、ちょっとしたことですが、とても楽しいひとときとなっています。
和歌山の叔母は、10月15日に帰省してきます。
少しでも良き思い出を残してもらえるようにと、プランを練っています(O)