興味の尽きない不思議な病院
2015.07.21
最近、聖路加国際病院に関する本を読みました。
東京・築地にある聖路加(るか)国際病院。日本を代表する総合病院のひとつと言われています。
医師や看護師、職員らすべてのスタッフを合わせると1,000人を超えるといいます。1年間に8,000件以上の手術を行い、延べ17万人の患者が入院するというから驚きです。
言うまでもなく、この病院の理事長は日野原重明さん。103歳になられた今も、現役の医師として勤務され、数多くの著書や講演、メディア出演など、多岐にわたる活躍ぶりは余りにも有名です。
今回読んだ本は、早瀬圭一氏の「聖路加病院で働くということ」(岩波書店)。
初めて早瀬さんの本を手にしたのは「長い命のために」(新潮社)。もう30年以上も前のことだったと思います。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したこの本。故・児玉隆也氏の「ガン病棟の九十九日」(新潮文庫)とともに、私にとって医療や老人問題などに関心を抱く、きっかけとなった本です。
「聖路加病院で働くということ」では、聖路加国際病院で働く数多くの医療スタッフの中から医師2名、看護師2名が選ばれ、取り扱われています。
小児科医として、最前線で活躍してきた前副院長・細谷亮太さん。訪問看護の先駆者である押川真喜子さん。看護のスペシャリストであり、聖路加国際大学学長の井部俊子さん。そして副院長・救急部長として、今も第一線に立つ石松伸一さんの4名です。
細谷亮太(ほそや りょうた)さん。
ご存知の方も多いと思います。
小児科医として、小児がん特に難病といわれる白血病の子供たちの治療の最前線に立ち、子供たちのターミナルケアにも早い時期から取り組んでおられます。
エッセイストとしても有名で、「小児病棟の四季」(岩波現代文庫)、「川の見える病院から― がんとたたかう子どもたちと」(岩崎書店)、「いつもこどものかたわらに」(白水社)など、数多くの本を出版されており、10冊以上読ませていただきました。
持論の「泣けなくなったら、医者をやめる」のごとく、細谷先生はよく泣かれます。
「小児科医になり、治せなかった子ども達のそばで涙をどれくらい流しただろう。
非力であることを思い知らされての『くやし涙』、やさしさに触れての『うれし涙』、そして人々の運命
のつらさに共感しての『かなしみの涙』。
泣いてはいけないとアメリカ帰りのボスに教えられたのに、我慢ができない、流れ落ちる涙を止められな
い」「いつもこどものかたわらに」(白水社、29p)
細谷亮太さんの本は、どの本もほのぼのと温かく、人間味にあふれています。幼いたましい、小さないのちを預かる医師として、小児難病の治療に全力を尽くすも、幼くして、若くして死を迎える場合があります。
改めて、命について、死について考えさせられます。
3年前、聖路加国際病院を定年退職された細谷さん。今後、一層の活躍が期待されています。個人的には、新しい本が出版されることを心待ちにしています。
押川真喜子さん。
細谷亮太さんの著書を通じて、以前からその活躍ぶりを知っていました。
著書には、「在宅で死ぬということ」「自宅で迎える幸せな最期」(文春文庫)、「こころを看取る― 訪問看護師が出会った1000人の最期」(文藝春秋)などがあり、先駆者としての歩みと苦労話が赤裸々につづられています。
訪問看護。
「看護師などが居宅を訪問して、主治医の指示や連携により行う看護」とあります。
厚生労働省は、健康保険料の増大や在宅看護の希望者の増加などにともない、訪問看護を広めようとしているようですが、まだ一般社会に普及しているとは言い難いようです。
1990年代前半に、早くも本格的に訪問看護に取り組み始めた聖路加国際病院。訪問看護科立ち上げとともに、32歳の若さで押川さんがトップに就任。「自宅で看取りたい」「自宅で最期を迎えたい」という声に寄り添いながら、手探り状態で訪問看護を進めていきます。パイオニア的な存在であり、「カリスマ訪問看護師」ともいわれた押川真喜子さん。
現在は、聖路加国際病院を退職され、新たな道に進んでおられます。
聖路加国際大学学長の井部俊子さん。そして、地下鉄サリン事件で陣頭指揮を執り、今も救急部長として第一線で活躍する石松伸一さん。この2人のことは、初めてこの本で知りましたが、まさに聖路加国際病院を象徴する人材、この病院らしい人物という気がします。
今回、紹介されていたのは、この4人だけです。
でも、聖路加国際病院には、紹介されることがなくても、このような素晴らしい医師や看護師、職員が多く揃っている気がします。
進取の気性に富み、自由闊達な雰囲気のある病院。一度もこの病院に罹ったこともなく、見たこともない病院ですが、なぜかそのように感じられます。
長年、重責を担っている理事長・日野原重明さんの影響なのでしょうか。それとも、創設期からのポリシーが脈々と現在まで続いているためでしょうか。
私にとっては、興味の尽きない不思議な病院です。(O)