「翼をください」に思いを寄せて
2016.01.04
新年あけましておめでとうございます。
今年も、よろしくお願い申しあげます。
今年は例年になく、とても温かく、穏やかな正月三が日となりました。
人生、60年間近く生きてきましたが、これほど温暖な正月は記憶にありません。
年末年始、何かと気忙しかっただけに、足回りがよく助かりましたが、ここまで温かいとどこか末恐ろしい気もします。やはりエルニーニョ現象の影響なのでしょうか?
正月、何気なくBS朝日を見ていたら、「翼をください」のメロディーが流れていました。
フォークグループ・赤い鳥が歌い始め、やまがたすみこ、山本潤子さんらによって歌い継がれてきた、この曲。とても好きな曲です。歌詞もメロディーもよく、心に響きます。個人的には、やまがたすみこさんのカバーが、一番好きです。あの透明感のある声、のびやかな高音に惹きつけられます。
最近では、音楽の教科書にも取り上げられ、小中高の合唱コンクールでもよく歌われていると聞き、嬉しくなりました。
かつて、この「翼をください」を挿入歌とした映画がありました。
「翼は心に付けて」という映画です。
この映画が上映されたのは大学4年の秋、もう35年以上も前のことです。
実話にもとづいて制作された、この映画。鈴木亜里さんという中学3年の女の子が、骨肉腫と闘い、右腕切断という大手術をうけながらも、十五年間の人生を明るく、たくましく精一杯生きるというものです。
映画館で鑑賞した後、もう涙、涙で、館内にいた多くの方も感動のあまり、しばらく席を立てなかったのを覚えています。
高校受験に合格した鈴木亜里さんが入学するはずだった、和光高校の校長先生が書かれた文章を、少し長くて恐縮ですが、あえてそのまま引用させてもらいます。
「いまわたしの願いごとが かなうならば翼がほしい
この背中に鳥のように 白い翼つけてください
この大空に翼をひろげ 飛んでゆきたいよ
悲しみのない 自由な空へ
翼はためかせ ゆきたい
いい歌詞でしょう。とてもすがすがしいよね。そう一九七六年の四月、もう二十四年も前のことです。ひとりの女の子が、和光高校に入学したんです。いや厳密にいうと入学することになっていたんです。その子の名は鈴木亜里といいます。その子は公立中学校に学ぶ間、ずっと和光への入学を望んでいました。それなりに夜を日について勉強もしていました。ところがね、不幸にも中三の夏、骨肉腫という悪性の病気にかかってね、骨のガンだよね。右腕を犯されていたので、北里病院で肩から手術で切断したんです。右利きの子は左手だけになったんだ。
もう和光高校の受験はだめだね、とがっかりしたらしいけど、そのうちに左手があるんだからねと言って、左手で字を書く練習をはじめ、猛烈に勉強したそうです。十二月、一月の厳しい寒さの中、夜中まで起きてがんばる亜里さんを見ていて、お父さんは、もういいよ、高校なんてどうでもいいじゃないか、と幾度となく言ったそうです。
それでもこの子は、がんばらないと後で悔いが残るからと言ってがんばり続けました。そうして入学試験では見事に合格しました。ところがそのときは腕のガンは肺に転移していて、合格発表の一週間後には再び入院することになりました。彼女の体は全身ガンに犯され、手の施しようはなかったそうです。
亜里さんは、ずっと希望していた和光高校に入学したくて、病気と戦い続けましたが、四月十二日の入学式まであと一週間というところでついに力尽きてしまいました。
(中略)
私は生徒に鈴木亜里のことを話しながら、彼女の告別式の日のことを思い出す。
二十四年前の四月六日、彼女の告別式の日である。春たけなわの美しい日、彼女の家に行く多摩川べりの道は桜の花が咲きほこり、風に花吹雪が雪のように舞っていた。私は彼女にそっとお別れをしようと思って参列者のかたわらに立った。その彼女がいつも口ずさんでいた「翼を下さい」の曲が静かに流れていた。
子どもの時 夢みたこと
いまも同じ 夢にみている
この大空に翼をひろげ 飛んでゆきたいよ
悲しみのない 自由な空へ
翼はためかせ ゆきたい」
(和光高校ホームページより掲載)
鈴木亜里さんは、「翼をください」の歌がとても好きだったそうです。
いつも口ずさんでいたそうです。
歌詞の内容が内容だけに、どんな思いをもって、この歌を口ずさんでいたのでしょうか。
胸に迫るものがあります。
小生、今年還暦を迎えます。
60年で干支が一回りして再び生まれた年の干支にかえることから、 還暦と呼ばれているそうですが、別に赤いちゃんちゃんこを着るつもりもなければ、特別、これといった感慨もありません。
ただ、一つの節目として、再出発したいという思いはあります。
最近、「生きている」のではなく、「生かされている」という思いが、強くなっています。
世の中には、鈴木亜里さんように生きたくとも生きることが許されない人もいます。
この1年間、与えられた1日々々を大切にしていきたいと思います。(O)