ある一冊の本
2014.11.05
「人生は邂逅(かいこう)である」といったのは、文芸評論家の亀井勝一郎氏だったと思います。
邂逅とは、思いがけない出会いやめぐり合いという意味です。自分の人生を振り返った時、ある人に出会ったことやある一冊の本を読んだこと、また、小さな出来事がひとつの転機になったということは、よくあることと思います。
私にとって、邂逅のひとつは、三浦綾子さんの著書「塩狩峠」です。
高校2年の秋に学校の図書館でふと手にした、この本。著者の名前も知らず、書名も聞いたこともありませんでしたが、何気なく読み進むうちに、惹きつけられ、一気呵成に読み終えました。
既に読まれた方も、おられると思います。明治末年、主人公・永野信夫が、結納のため旭川から札幌に列車で向かう途中、塩狩峠の頂上にさしかかった時、突然客車が離れ、暴走し始めます。鉄道職員であった信夫は、すぐにハンドブレーキに手をかけますが、列車は止まりません。結局、自らの命を犠牲にして大勢の乗客の命を救ったという、実話にもとづく小説です。こんな生き方もあるんだと、衝撃に近いものを受けました。
以来、三浦綾子さんの本をもっと読みたくなり、「道ありき」「塩狩峠」「この土の器をも」など、一連の著書を貪るように読んだことを覚えています。
そのうち、三浦綾子さんに直接会いたくなり、今から丁度40年前の大学1年生の夏休みに、ご自宅のある北海道旭川市を訪ねました。
訪問したい旨を電話で告げると、秘書の方に丁重に断られました。当然です。見ず知らずの者が、突然押しかけるのですから…。しかしながら、どうしても諦めきれず、住所を頼りに訪ね歩き、ご自宅に着いたのは午後8時半過ぎ。大変失礼と思いつつ、チャイムを押すとご主人の光世(みつよ)さんが出てこられ、快く受け入れてくださいました。残念ながら綾子さんは不在でしたが、光世さんと30分余り語らいの場を持たせていただきました。不躾な訪問にもかかわらず、光世さんは温かく誠実に接してくださり、今振り返っても心温まる思いがします。
結局、綾子さんとは、翌年の夏休みに北海道大樹町の牧場で働かせてもらった後、旭川に立ち寄り、お会いすることが出来ました。
三浦綾子さんは、約80冊の著書を執筆されたと聞いています。
三浦さんの本で、読んでない本はおそらく無いと思います。いつも発刊されるのを心待ちにし、店頭に並ぶと同時に購入したものです。三浦さんは、生前、多くの難病に罹っておられます。そのため、思うように出版が進みませんでしたが、一冊、一冊を絞り出すように、あたかも遺言を書くように執筆されている気がしていました。
好きな本を強いて挙げるとすれば、「塩狩峠」「道ありき」「泥流地帯」「銃口」です。特に「塩狩峠」と「道ありき」は、節目あるごとに読んでおり、これまでに7、8回読んだと思います。同じ本でありながら、不思議と毎回新たな発見があります。
先日NHKで、三浦綾子さんの本が東北地方、特に3.11の災害にあった地域で、よく読まれているという報道がありました。中でも、「泥流地帯」は、厳しい自然災害を扱っているだけに、多くの共感を呼んでいるとも聞きました。三浦綾子さんの本が、色々な方に用いられていることは、嬉しい限りです。
先日の10月30日に、三浦光世さんが亡くなられました。90歳だったそうです。
「道ありき」に出てくる前川正さん、三浦光世さんが私の目標でした。遠く及ばない存在でしたが、漠然としながらもお二人に近づきたいと思っていました。
三浦光世さんにとっては、あの夜の出会いは、小さな出来事であり、もう記憶にもなかったと思います。でも、私にとっては、新たな道へ踏み出す第一歩の夜となりました。改めて、感謝しています(O)