素敵な笑顔の人
2015.01.26
笑顔の素敵な人がいます。
登山家の田部井淳子さんです。
1975年、世界最高峰エベレストに女性で初めて登頂に成功した田部井さん。
その田部井さんが、「余命3か月?…」と癌を宣告され、手術を受けられていたと聞き、大変驚きました。いつも笑顔が絶えず、元気いっぱいで、福島独特の温かみのある語り口で話す田部井さん。
1992年に7大陸最高峰の登頂を女性で初めて達成され、世界各地の有名な山々を踏破され、丈夫で頑丈な女性で、病気とは全く無縁な方と思っていました。
むしろ、あのさわやかな笑顔に病魔の方が恐れおののくのでは……と。
田部井さんの癌のことを知ったのは、NHKラジオ深夜便。
ご自身の口から淡々と、あたかも他人事かのように、癌からの克服、そして抗がん剤治療の合間を縫って、山に向かう日々を語られました。
近著「それでも わたしは山に登る」(文藝春秋)によると、2度目の癌がわかったのは2012年3月。東京・がん研有明病院での検査の結果、腹膜癌でステージは3C期。抗がん剤を12回投与し、手術を受け、さらに抗がん剤を12回受けたとのこと。吐き気、おう吐、食欲不振、脱毛、しびれなど、激しい副作用を経験されたとのこと。
田部井さんの凄いのは、抗がん剤点滴の間も、登山を続けられたことです。
「しばらくすると副作用が出はじめた。がんをつぶした薬の効果はてき面だが、その副作用もかなりのものだ。むろん個人差はあるというが、わたしの手足のしびれは強かった。それでもわたしは点滴の合間に山に行き、歩き続けた」(3P)
「今ががんばり時なのだから歩こう。そうだ、今がんばらなくて、いつがんばる。こうがん剤のつらさを耐えるのは今なのだ。弱音をはかず、楽しいことをいっぱい考えて乗り切ろう」(138P)
70歳を超えてから、癌を発病した田部井さん。
抗がん剤治療をはじめた3月から7月の手術までの間に、福島、山梨、埼玉、大分、岩手、秋田、北海道など、信じられないほど数多くの山を踏破されます。
現状は、ひどい副作用に苦しみつつ、
「太ももが上がらない。ひざに力が入らない。息が切れる……。つらいことはたくさんあったが、山に来られたといううれしい思いのほうが強い」(141P)
あくまでも山に挑もうとする、その精神力の強さ。
私には到底理解できませんが、そこが山の持つ魅力なのでしょうか。
幸いなことに、田部井さんの癌はほぼ消失し、寛解(かんかい)となったとのこと。今も抗がん剤による副作用とみられる手足のしびれが残こり、体調は万全ではないとのこと。それでも、精力的に登山を続けておられます。
一方では、2011年3月11日の東日本大震災で、生まれ故郷の福島が原発事故による放射能漏れと風評被害で、未だに復興のきざしが見えていないことに心を痛め、様々な支援活動も続けられています。
小学校5年生の時、島津亮一という若い先生が担任でした。
山あいの小さな小学校で、クラスはわずか18名。先生はスポーツマンで、とても教育熱心な方でした。授業中、脱線することが多く、色々な話をされましたが、1つだけ覚えている言葉があります。
「男は40歳になったら、自分の顔に責任を持ちなさい」
確かリンカーンの言葉だといわれた気がします。
特別、優秀な生徒でもなく、平均的な子で、勉強の事はすべて綺麗に忘れましたが、なぜかこの言葉だけが心に残っています。人は持って生まれた顔があるが、歳とともに自分の新しい顔を作り上げるものだと、話されたように記憶しています。
はっきり言って、当時の自分には難しい話でしたが、その頃からこのようなことに興味を示すところがありました。
果たして、もうじき還暦を迎えようとする私の顔は……。
田部井淳子さんの写真は、いつも笑顔が満ちています。
テレビから拝見する田部井さんも、満面の笑みで、常に前向きな姿に励まされます。多くの苦難を抱えながらも、あの内側から滲み出るほほえみ。
なにか、とても尊い気がします。
その笑顔だけで、その存在だけで、周りをほのぼのと明るくする。周りの人々の心に、そっと小さな燈を灯す。
そのような素敵な笑顔の人が、羨ましいです。
ご存知かもしれませんが、詩人・相田みつをさんの詩をご紹介します。(O)
「ただいるだけで」
あなたがそこに
ただいるだけで
その場の空気が
あかるくなる
あなたがそこに
ただいるだけで
みんなのこころが
やすらぐ
そんな
あなたにわたしも
なりたい