30年目を迎えた「8月12日」
2015.07.28
また、あの暑い夏の日が来ます。
あの日は、異常に暑かったことをよく覚えています。
8月12日。
日航ジャンボ機墜落事故があった日。
今年で、30年目を迎えます。
昭和60年8月12日に起きた未曾有の大事故。
羽田発大阪行き日本航空123便が午後6時56分、乗員・乗客524人を乗せて群馬県上野村の「御巣鷹の屋根」に墜落。奇跡的に4人が救出されますが、単独機では史上最多の520人が死亡。航空機史上、空前の事故といわれています。
以前東京で、4年間勤務したことがあります。
文京区白山の東洋大学近くのマンション。このマンションの5階に住んでいましたが、ベランダ越しに相撲部屋が見えました。旧・伊勢ヶ浜部屋(元大関・清国)です。現在の伊勢ヶ浜部屋は、別の場所に移転していますが、当時は白山にあり、3階建ての堂々とした建物でした。
1階に稽古場があり、朝稽古を終えた後、屋上にある風呂場で汗を流し、浴衣姿で力士が休んでいるのをよく見掛けたものです。近所でも、しばしば力士に会うことがあり、逞しい体に驚くとともに、何となく愛らしい仕種に親しみを覚えたものです。
この伊勢ヶ浜親方の奥さんと中学1年の長男、小学校5年の長女の3人が、あの事故で亡くなられました。
当時、親方の事はマスコミが大きく取り上げていましたが、まさか伊勢ヶ浜部屋の近く住むとは思わず、事故からしばらく時間が経過していたとはいえ、家族全員を一度に失った親方の心中を思うと、居たたまれない思いを抱いたものです。
「日航ジャンボ機墜落」(朝日新聞社社会部編、朝日文庫)と「おすたかれくいえむ」(8・12連絡会【日航機事故被災者家族の会】、毎日新聞社)という本があります。
「日航ジャンボ機墜落」の後半に、「乗客名簿」が掲載されています。
亡くなられた520人全員の氏名や年齢、なぜこの飛行機に搭乗したのか、詳細に記載されています。朝日新聞社会部の記者が書いた、どのページの原稿よりも、この事実のみを書いた名簿の方が重く心に響きます。人生の縮図を垣間みるようで、何度読んでも滲みわたります。
この墜落事故に関しては、山崎豊子氏の「沈まぬ太陽」(新潮文庫)、横山秀夫氏の「クライマーズ・ハイ」(文春文庫)など、多くの著書が刊行され、ドラマや映画化されています。これらの本は、著名な作家が記述しただけに、フィクションとして興味深く読めますが、個人的にはこの「おすたかれくいえむ」に勝る本は無いと思っています。
「おすたかれくいえむ」。
御巣鷹の峯に散った日航機123便の犠牲者の家族が、故人の在りし日の姿を偲びながら綴った手記です。事故は時とともに風化しても、残された者の想いを消すことは誰にもできません。
一周忌を前に、遺族の方々が自分の言葉で直接思いのたけを綴ろうと、文集「茜雲(あかねぐも)」が出来ます。手づくりの47ページ建ての小冊子。題名は、JAL123便から見えたであろう夕日に染まる茜雲に、鎮魂の願いを込めて名付けられました。
毎年発行された文集「茜雲」がまとめられ、本として「おすたかれくいえむ」が出版されました。
妻から夫へ、夫から妻へ、子供から父へ・母へ、両親から子供たちへ、祖父母から孫へ、兄から弟へ……と、切々とした思いが語られており、胸に迫るものがあります。
30年の節目を迎え、「茜雲 日航機御巣鷹山墜落事故遺族の30年」(本の泉社)が、新たに発行されました。
本の帯に、ノンフィクション作家・柳田邦男さんは「喪失の深い深い悲しみというものは、30年という歳月の中で、こんなにも澄み切った慈悲の心をもたらすのかと、様々な手記の集積なのに大河小説を読んだような深い感銘を受けました」と寄せています。
あちこちの書店を探しましたが、残念ながらこの本はありませんでした。
予約して買い求め、鎮魂の思いを込めて読み進み、心新たに8月12日を迎えたいと思います。(O)