息子への最期の手紙
2015.11.02
徳永進さんという方を、ご存じでしょうか?
生まれ故郷である鳥取県で、ホスピス「野の花診療所」を開設しているお医者さんです。この方のエッセイが好きで、よく読んでいます。もうかれこれ15冊以上は、読んでいると思います。
先日、富山市のブックオフ黒瀬店で、徳永さんの本を見つけ、嬉しくなりました。
この店の100円均一コーナーに、よく掘り出し物が出ます。もう出版元にもない絶版本や一般書店では扱わないような単行本が、時々並んでいます。手に入りにくい珍しい本や、108円で本当に良いのだろうかと思うような本があり、びっくりします。
今回は、徳永進著「死の中の笑み」と「死のリハーサル」(ゆるみ出版)です。
30年以上も前に書かれた、人間の死に関するエッセイです。徳永さん自ら関わった患者さんの死や家族の関わりが、赤裸々に描かれています。徳永さんの目線は、いつも優しく温かく、患者の目線と同じ視点で物事をとらえています。
ともすれば、悲しみに満ち、忌み嫌われるはずの死を、時にはユーモアを交えて楽しく描き出しています。医師として、こんなこと書いてもいいのだろうかと思うような本音を、あからさまに語っています。
生きとし生けるものは、必ず死を迎えます。
何人も避けて通れない、厳格な事実です。
今、「エンディングノート」が静かなブームだそうです。
小生も、50代半ばに「遺書」を認(したた)めました。
50歳を過ぎた頃から、遺書というものを意識しはじめ、心の中でずっと温めてきました。少しずつ文章に書き残し、推敲に推敲を重ね、A4版で3枚、約2,300字にまとめました。告知、終末期医療、緩和ケア、ホスピス、葬儀社、葬儀の進め方、富山大学しらゆり会、納骨、寺院との関係などを、自分なりの言葉で書き記しました。
俗にいう財産や相続に関することは、全く触れていません。
ありがたいことに残せるような財産など、もとよりありませんから、記入の必要がないのです。過去に「子孫に美田を残さず」と語った方もおられたようですし……。
内村鑑三氏の著書「後世への最大の遺物」(岩波文庫)ではありませんが、残すべきものは目に見えるものではなく、目に見えないものにこそ価値があると勝手に考えています。
遺書は、転勤で県外にいる息子に郵送しました。
世の中、何があるかわからず、逆縁という可能性も否定できませんが、順番どおりならば喪主を務めてくれるであろう、息子に送った次第です。初めは驚き、戸惑っていた息子も、すぐに理解してくれました。
家人とは、普段から死や葬儀について話しており、価値観も似ており、明文化せずとも以心伝心で互いに事足りると思います。
人は、一定の年齢を重ねたあたりから、平均寿命から自分の年齢を差し引いて、「残り何年ぐらい」と漠然とした「引き算」をしている気がします。もちろん自分の寿命が残り何年かわかる人など、どこにもいません。何が起きるか、誰もわかりません。でも、終着点からの引き算が、底辺にある気がします。
不思議なものです。
遺書を書き、心の整理をしてからというもの、世の中が少し違って見える気がするのです。
55歳で遺書を書くことにより、一度完結した人生から、新たな人生が始まった気がします。新しく迎える1日々々が、とても新鮮に感じられます。本来ならば無かったはずの日々が新しく加えられ、毎日何か得をしているような気分です。
新たに与えられた「足し算」の歩みをしている、何かプラス思考でいられます。
「メメント・モリ」という言葉があります。
「日々、死を意識して生きなさい」といった意味でしょうか。誰かの本で初めてこの言葉に触れ、心にとまり、以来事あるごとに反芻しています。
死を美化するつもりは、まったくありません。
といって、否定するつもりもありません。
川が流れるように、自然な流れのまま、ただ流れていくものだと思います。
息子に、もうあのような長文を送ることはないと思います。
あの遺書は、息子への最期の手紙と考えています。(O)