tel:076-445-2051
アクセス

今週の花

カテゴリ

啓翁桜

2017.02.01

 

[花]エビデンドラム、ラナンキュラス(ラックスロティス)、ホワイトレースフラワー、てまり草、[葉]丸葉ルスカス、[枝]啓翁桜

[花]エビデンドラム、ラナンキュラス(ラックスロティス)、ホワイトレースフラワー、てまり草、[葉]丸葉ルスカス、[枝]啓翁桜

 ここ冨山は、まだ一面の銀世界。
 1年で、もっとも寒さの厳しいこの時期。春のきざしは、どこにも感じられません。
 しかしながら、母がいる実家では、ひと足早く春の訪れを告げる桜が咲いています。
 啓翁桜(けいおうざくら)です。
 この桜、ひとり暮らしをしている母に、先日届けたものです。

 
 昨年1月、初めて啓翁桜を買いました。
 山田村の生産者の方々が、富山駅で直売していたものです。母のもとに持参し、さっそく大きな花瓶に生け、茶の間の角(すみ)に飾りました。
 はじめは枝だけが目立った、この桜。固いつぼみが徐々に膨らみ、一輪、二輪と薄紅色の花びらを着けはじめます。みごとなまでに咲き揃った満開の時は、壮観なものがありました。
 可憐な花びらが散った後も、みずみずしい薄緑色の葉が生い茂り、しばらくの間、葉桜を楽しむことが出来ました。
 炬燵に入って、満開の桜やライトグリーンの葉桜を楽しむのも、なかなか風情があります。

 認知症になっている母。
 この啓翁桜を、母は大変喜んでくれました。寒さの厳しい真冬に、美しい花を咲かせる啓翁桜。その美しさもさることながら、日々少しずつ移ろいを見せるその姿に、言葉に言い尽くせない喜びを感じてくれたようでした。

 そのような母の喜ぶ姿をみたくて、今年も啓翁桜を買い求めました。

 昨年買わせてもらった山田村の啓翁桜は、残念ながらすでに品切れになっていました。
 親しくしている花屋さんにお願いして、啓翁桜を取寄せてもらいました。届いた啓翁桜は、山形県産のものでした。知りませんでしたが、啓翁桜の本場は山形県だそうです。

 最近、作家・落合恵子さんの本を読みました。
 「母に歌う子守唄 その後 わたしの介護日誌」(朝日文庫)です。
 NHKラジオから時々流れてくる、落合恵子さんの落ち着きのある声と語り口。何とも言えない、その人柄に魅せられて、手にしたこの本。目の前に母親の介護という、避けて通れない課題を抱えている小生にとって、まさに「バイブル」というべき本でした。
 この本は、落合恵子さんのお母さんがパーキンソン病を発病し、さらにアルツハイマーを併発し、多くの方に支えられながら、7年間にわたって自宅で介護を続け、84歳で見送るまでの体験を記したものです。

 
 介護に関するノウハウ本は、本屋に溢れています。
 しかしながら、実際に介護を体験した人の本、特に介護者の飾らない心情、赤裸々な思いを綴った本は、意外と少ないのではないでしょうか。
 本の底流に流れている、落合恵子さんの温かさと深さ。
 本当に、多くの事を教えていただきました
 今後も、母の介護の進み方に合わせて、幾度となくこの本を読ませてもらうことになると思います。

  とても落合恵子さんのようにはできませんが、少しでも母が喜んでくれる「目に見えない啓翁桜」を、今日も届けたいと思います。(O)

世界にひとつだけの本

2017.01.24

[花]ストック(アイアンパープル)、ゆり(アクティバ)、バンダ、ガーベラ(ピンクパペット)、アネモネ、かすみ草、[葉]旭ハラン

[花]ストック(アイアンパープル)、ゆり(アクティバ)、バンダ、ガーベラ(ピンクパペット)、アネモネ、かすみ草、[葉]旭ハラン

 以前から、小さな願いをひとつ持っています。
 この世を去るまでに、本を一冊書くことです。

 別に「○○賞をとりたい」とか、「△△賞を受賞したい」とか、だいそれたことを考えている訳ではありません。
 心にあるものを形あるものとして残したいという、ただそれだけです。
 「じゃー、心に何があるんだ」、「何を書きたいんだ」と問われるでしょうが、今の小生には、これといったものはありません。それでも、いつの日にか一冊の本として残したいという思いを、強く抱いています。

 「人は誰でも、1冊の本は書ける」と言う人がいます。
 出版に値するレベルなのか、本として売れるかどうか、といったことでは、もちろんありません。
 順風満帆な人生というものは、なかなか無いと思います。誰しも大なり小なり、波瀾万丈な人生を歩んでいるものと思います。そのような歩みを、自らの手で「自分史」として書き記す、あるいはアレンジしながら「私小説」風に仕上げる、そのような意味合いだと理解しています。
 確かに現代は、「自費出版」ブームだと聞いたことがあります。

 という小生も、本といえる代物ではありませんが、以前、小冊子を作ったことがあります。
 26歳の時です。
 結婚式の記念品の一つとして、当日、出席された方々にその冊子をお配りしました。家内との出会い、結婚にいたる歩み、そして結婚への思いなどを、心の赴くままに綴りました。改めて読み直すと、稚拙で肩肘(かたひじ)が張った文章になっていて、本当に恥ずかしい限りなのですが、若きしの我が身を振り返り、何か懐かしい気もします。

 
 小冊子の題は、「ぶどうの枝」です。
 題字は、職場の隣の席に座っていた女性の方に、揮毫(きごう)していただきました。この方は、その当時から北陸書道院で活躍されており、70歳を過ぎられた現在も、書道・茶道の分野などで頑張っておられます。
 ただ、余りにも達筆過ぎたのか、「ぶどうの枝(えだ)」を「ぶどうの杖(つえ)」と呼ぶ人が多く、苦笑したものです。

  印刷と製本は、地元の北日本印刷株式会社さんにお願いしました。限られた予算にもかかわらず、立派な小冊子に仕上げてくださいました。
 表紙と裏表紙は、朱色の上品な和紙。紫色の和綴じ(とじ)で、ひと針ひと針しっかり留められていました。約35年前のその当時、県内には和綴じを出来る職人がほとんどおらず、苦労したと聞きました。

 
 わずか30ページ足らずの小冊子。200冊製本しました。
 「お前の本など、誰が読むのか」と言われそうですが、大変ありがたいことに多くの方々に喜んでいただき、初め作成した200冊は、数カ月でなくなりました。改めて100冊増刷しましたが、それらの本も数冊しか、手元には残っていません。
 これらは、子供たちへの贈物のつもりで残しています。(おそらく子供たちは、読んでくれることはないでしょうが……)

 女優・木村多江さんが、朗読を続けている人気の番組あります。
 「Sound Library ~ 世界にひとつだけの本」です。FMとやまで、日曜日の夜に放送されています。
 一人の女性の日記風の物語を、木村多江さんがぬくもりのある静かな声で朗読している、この番組。バックに流れる音楽とうまくマッチしていて、聴いているだけで癒されます。なぜか、主人公の月原加奈子と木村多江さんが重なって聴こえてきます。

 月原加奈子は、旅行会社勤務の38歳、OL。日常の人々との関わりの中で起きる、喜びや悲しみ、ちょっとした気づき。そのような心の機微を、たったひとつしかない人生として丁寧に描かれています。
 いつも「世界にひとつだけの本」の世界に、引き込まれています。

 
 人に読んでもらおうとは思っていません。
 でも、自己満足かもしれませんが、いつの日にか形あるものとして、一冊の本を書き上げたいと願っています。
 どこにもない「世界にひとつだけの本」として……。(O)

内側に沁みいる喜び

2017.01.10

29-1-10 明けまして、おめでとうございます。
 健やかに、新しい年をお迎えのことと思います。今年も、よろしくお願いします。

 昨年を振り返りますと、何より耐震改修工事が無事終了することが出来、ホッとしています。足掛け3年、24カ月と長期にわたる改修工事でしたが、大きな事故やトラブルが発生することもなく、計画どおり終えることが出来ました。
 多くの方から「正面玄関が明るく、綺麗になった」「開放的で、気持ちがいい」などと、嬉しいお褒めの言葉をいただき、こちらも嬉しくなります。
 改めて、多くの方々に感謝申しあげます。

 

 個人的なことで恐縮ですが、年間100冊の本を読むことを目標としています。
 昨年はというと、残念ながら68冊止まりでした。一昨年の85冊に比べると、大幅なダウンです。読書ノートをみると、夏場の6月から8月に掛けて、明らかにペースが落ちています。言い訳がましいのですが、この時期、全くといっていいほど、土、日曜日の休みがありませんでした。水田の草刈り、そして生産組合長として、イノシシ対策や山道刈り、秋道刈りなどに追われ、多忙を極めた時期であったことは、事実です。
 夏場のペースダウンが、最後まで影響したようです。
 週2冊で、目標の数字に達成するのですが、現実は甘くないようです。

 心に留まった本としては、徳永進著「野の花 あったか話」(岩波書店)、同「野の花 ホスピスだより」(新潮文庫)、細谷亮太・大下大圓共著「『いのち』の重み」(佼成出版社)などがあげられます。
 昨年、山形を旅行した関係で、作家・藤沢周平さんの本を6冊読ませてもらいました。
 いつの間にか「周平モード」に引き込まれるとともに、一人娘である遠藤展子さんの著書「父・藤沢周平との暮らし」(新潮文庫)も繙き、子供の目から見た父・藤沢周平さんの生き様にも触れることが出来ました。
 併せて、米沢藩に興味が湧き、破綻寸前の藩財政を救ったことで有名な上杉鷹山を扱った「漆の実のみのる国」(文春文庫)や、延沢恒夫著「米沢の殉教者とその余影」なども読みました。
 特に「米沢の殉教者とその余影」は、350年以上も前に、上杉家の城下町である米沢の地で、50数名のキリシタンが信仰ゆえに処刑場で殉教した本で、長崎や雲仙、京都などではなく、東北の地に殉教者がいたことに驚くとともに、幼子から老人まで喜んで死を受け容れる姿に、言葉に表せない感動を受けました。

  美術館や博物館については、昨年、10数回訪ねることが出来ました。
 例年より少ない回数となりましたが、好きな向井潤吉アトリエ館に2回、昨年11月に新しくオープンした「すみだ北斎美術館」にも行くことが出来ました。ただ、「北斎美術館」については、開館間際に訪ねたせいか、浮世絵ブームの影響なのか、ものすごい人でゆっくり鑑賞することが出来ず、とても残念でした。

 昨年、一番印象に残った展示会は、石川県立美術館で開催された「日本伝統工芸展」です。毎年5月に高岡市美術館で開かれる「日本伝統工芸展富山展」が好きで、欠かさず足を運んでいますが、石川県の伝統工芸展は規模も、展示内容も数段上でした。
 NHK・Eテレ「日曜美術館」で紹介されていた、神奈川県・本間昇氏の日本工芸新人賞を受けた「神代桂菱紋重糸目筋箱」や、沖縄県・城間栄順氏の日本工芸賞を受賞した琉球紅型染着物「彩海」など、約350点にも及ぶ、日本伝統工芸の粋を集めた作品を間近に鑑賞することが出来、まさに至福の時となりました。

 もう新しい年がスタートして、10日余りが過ぎました。
 先日、集落の初寄会(はつよりあい)があり、忙しかった生産組合長も無事新しい方へ引き継ぐことが出来ました。今年は、少しは時間の余裕が出来るかナーと思っています。

  正月早々、柴田よしき著「さまよえる古道具屋の物語」(新潮社)、白洲正子・牧山桂子共著「白洲正子のおしゃれ 心を磨く88の言葉」(新潮社)、重松清著「その日のまえに」(文春文庫)を読み終えました。 重松清さんの「その日のまえに」については、既に読まれた方もおられると思いますが、「その日」、つまり「死」を扱った本で、最後の三連作を読む頃にはもう涙、涙で、グジュグジュになりました。実にいい本でした。

 重松清さんが、どこかで書いていましたが、

 「外に向かって弾けるような喜びではなく、内側に静かに沁みていく喜び」

 そのような喜びをいっぱい心に蓄える、そんな年にしたいものです。(O)

いい風を求めて…

2016.12.24

クリスマスです。 [花]ダリア(かまくら)、バラ(ミルナ)、ブバルディア(ダイヤモンドボルドー)、トルコききょう(ハピネスホワイト)、[葉]丸葉ルスカス、ブルーアイス、[枝]サンキライ、サンゴ水木

クリスマスです。
[花]ダリア(かまくら)、バラ(ミルナ)、ブバルディア(ダイヤモンドボルドー)、トルコききょう(ハピネスホワイト)、[葉]丸葉ルスカス、ブルーアイス、[枝]サンキライ、サンゴ水木

 久々のブログとなりました。
 長い間、お休みをいただいたこと。お許しください。
 今後も、毎週とはいえませんが、時々書かせてもらうつもりです。

 10月中旬に、京都の奥座敷、大原へ行ってきました。
 デューク・エイセスの歌、「京都 大原三千院 恋に疲れた女がひとり・・・」でも有名な大原。京都が好きで、ほぼ毎年、あちこちの名所旧跡を訪ねていますが、京都北部に位置する大原へは、なかなか足が運べませんでした。
 今回、長年の願いが叶って、やっと大原の里を巡ることが出来ました。

 三千院を中心に勝林院、宝泉院、実光院、来迎院など、静かな山里にたたずむ寺院。
 いずれの寺院も、苔の庭園がひときわ美しく、落ち着いた風情が漂っていました。紅葉シーズンが始まる前に訪ねたせいか、思いのほか観光客が少なく、静寂な空間を満喫できました。

 三千院の中でも、見事なまでに日本庭園に調和している往生極楽院。
 縁側から眺めた庭園が美しい宝泉院。
 そして、久し振りに聴いた水琴窟の調べ。

 時間に追われることなく、のんびりと過ごした半日は、何よりの得難いものとなりました。

 今回の旅で一番心を捉えたのは、声明(しょうみょう)でした。
 豊かな自然が残っている大原、数々の貴重な国宝や重要文化財。そのいずれも素晴らしいものでしたが、なぜか心の琴線に一番触れたのは、どこからとなく聞こえてきた声明でした。

 声明は、経典に節(ふし)をつけた仏教音楽のひとつ。
 三千院でも、勝林院でも、堂内に静かに流れていました。仏教音楽に造詣があるわけではありませんが、以前から声明には関心がありました。グレゴリア聖歌が好きで、ときどき聴いていますが、声明とグレゴリア聖歌とは、不思議と何か相通じるものを感じます。

 高校時代に、禅寺に2回籠もったことがあります。
 高校2年生の夏休みに、約1週間。2回目は、東京の大学へ進学が決まった高校3年生の春休みに、約2週間。
 お世話になった禅寺は、高岡市太田にある臨済宗国泰寺です。当時の管長は、達磨絵などで著名な故・稲葉心田(しんでん)師。入山する時と下山する時に、寺院の奥にある心田師の自室までご挨拶に伺いましたが、とても柔和で、豪放磊落な印象を受けました。

 現在はどうか知りませんが、その当時は事前に連絡すれば、入山が許されました。
 禅寺での生活は、午前5時前に起床、読経、座禅、清掃、朝食、作務(さむ)、昼食、作務、座禅、写経、夕食、読経、座禅、就寝などの繰り返し。テレビやラジオ、新聞などあるはずもなく、戒律が厳しく、食事や風呂など、一つひとつにすべて定まった作法があり、食事も、当然ながら粗食そのものでした。

 浄土真宗の家に生まれ、臨済宗とは全く無縁な中で育ちましたが、何かを求めて、禅寺の門をたたきました。今の小生には、当時のようなひたむきさや純真な思いは、もうありません。入山した2回とも、謹慎処分を受けた市内の高校生がいて、無期限で生活指導を受けていましたが、すぐに親しくなりました。

 「般若心経」も2~3日で覚え、体に沁みついたのか、今でも少しは諳んじることが出来ます。初め苦しかった座禅も、いつのまにか自然体で組めるようになりました。寺院には、ピーンと張り詰めた雰囲気が漂っていましたが、とても心地よく感じられました。

 一日に幾度となく、僧侶たちと唱えた般若心経。
 その読経の響きが、三千院で聞いた声明の響きへと繋がったのかもしれません。

 

 今年は、長野県から始まり、山形県、東北一周、京都府、沖縄県と旅行しました。
 旅をするということは、いい風に吹かれることと思っています。
 今いる所から離れて、違った風が吹くところに我が身を置く。いい風に吹かれると、少しは人に優しくなれる気がします。だから、いい風に吹かれるために、意識していい風が吹かれるようなところへ、我が身と我が心を意図的に持っていく。
 そして、新たな風の吹くところで、小さな発見や出会いをする。
 今回の声明のように……。

 いい風を求めて、来年も全国各地を旅したいと思っています。(O)

日々是好日

2016.11.01

[花]すかしゆり(フレミントン)、カラー(ゴールドフィーバー)、ブルースター(エンジェル)、ガーベラ(サンディー)、[葉]木苺

[花]すかしゆり(フレミントン)、カラー(ゴールドフィーバー)、ブルースター(エンジェル)、ガーベラ(サンディー)、[葉]木苺

 母の認知症が、少しずつ進んでいます。

 父を亡くして、ひとり暮らしを始めてから、もう13年。
 「風邪ひとつ、ひいたことがない」が口ぐせで、健康が何よりの自慢だった母。
 土仕事が生きがいで、水田を守り、いろいろな野菜づくりを楽しみながら、畑仕事に勤しんできた母。

 そのような母が、今年に入って、「軽い認知症」と診断されました。
 昨年の暮れに腰を痛め、歩行がやや困難になってからというもの、少しずつ物忘れがひどくなり、時々辻褄(つじつま)の合わないことを話します。物忘れについては、以前から兆候が見られましたが、80歳代半ばということもあり、年齢的に当然の成り行きと思っていました。
 今回初めて、医師から「認知症」として診断され、認知症の薬が処方される段になると、「ついに来たか」という複雑な思いになるとともに、ショックに近いものを受けました。

 腰を痛めたといっても、入院したわけでも、手術を受けたわけでもありません。
 整形外科の医師からは、湿布薬と痛止めの薬を処方されただけで、一時はトイレなど日常の生活に支障を来たす時期もありましたが、今は元気を取り戻しています。介護の杖(つえ)は離せなくなりましたが、ゆっくりと歩いています。
 春先には、大好きな畑仕事に精を出せるようになり、例年どおりトマトやきゅうり、なすなど、多くの夏野菜を植え、自然の恵みを満喫していました。
 先日も、玉ねぎを植えるため、自ら鍬で畝(うね)を打ち、100本の苗を植えました。

 初めの頃は、1日に何回も同じ質問をされ、幾度となく同じ昔話を聞かされ、イライラして、「ばあちゃん、さっきから同じ話ばかりしているよ」と、つい大きな声を出してしまう時もありました。感情的に反応してしまった後には、決まって自分の愛の無さ、人間として器の小ささに、自己嫌悪に陥ったものです。
 一方では、あれだけしっかり者だった母親の変わりように驚くとともに、徐々に手の届かない「遠い人」になりつつある母を受入れたくないという思いも、心の隅にあったようです。

 最近、A市で仕事を終えた後、ほぼ毎日B市にいる母を訪ねるようにしています。
 寒さとともに畑仕事が少なくなり、近所のおばあちゃんたちと会話をする機会が減るためです。
 滞在時間にして、わずか30分程度ですが、母の話し相手になるとともに健康状態の確認もかねて、足しげく通っています。ついでに、台所の後片付けやゴミの分別、居間の整理整頓などもしてきます。
 買い物に行けなくなったため、冷蔵庫の中を確認しながら、食べ物も届けています。

 
 この頃になってようやく、母との「間合い」の取り方が分かってきた気がします。
 以前にも増して、同じことを何度も話しており、母に頼んだことは見事に忘れていますが、こちらがイラつくことは少なくなりました。少しは、余裕をもって母に接することができるようになったと、自分では思っています。
 不思議なものです。
 こちらに少しでも心の余裕が出て来ると、母の表情もなぜか和らいできた気がします。
 まるで、心を映す鏡のようです。
 家内も、何かと協力してくれており、ありがたいことです。

 「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」という禅語があります。
 その日その日が最上であり、最高であり、かけがえのない一日といった意味でしょうか?
 残念ながら、一日々々遠くなりつつある母。
 母が、少しでもかけがえのない良い日々を送ることができるように、微力ながらしっかり支えていこうと思っています。(O)

 PS.先日、朝日新聞を読んでいると心にとまる文章がありました。少し長いですが、紹介させていただきます。

 「生きてていいんだ」

 
 私が精神の病気になったのは16歳の時です。
 病院に入院し、対人関係に苦しみ、社会から取り残されたような気がしました。
 やっと退院しても、自分ほど不幸な人はいないと本気で思いました。
 でも、最近になって、世界中の人がなにかしら苦しみや悲しみを抱えていると悟り、自分が恥ずかしくなりました。
 幸せな人と不幸な人は別の人だと思っていたのが、実は同じ人のなかに幸せと不幸が一緒に重なってあるのだと、気付きました。
 まわりの世界のことを知らなかったのが、病院や施設でいろんな人がいることを知るなかで、だんだんそれがわかるようになりました。
 そして、自分はここにいていいんだ、生きてていいんだと気付いた時、重い荷物のようなものをやっとおろせました。
 自分が不幸と思うのは「今」だから。
 10年後には忘れているかもしれない。
 幸せな人をうらやむのは、その人の影の部分を知らないから。
 私は30年近くかけて、長い長い闇から少しだけ抜け出せたような気がしています。

                    朝日新聞 コラム「男のひととき」
                             東京都  男性(45歳) 清掃業

[花]ダリア(サングリア)、あじさい(マジカルルビー)、ガーベラ(ファンタ)、カーネーション(エルメスオレンジ)、[葉]丸葉ユーカリ、モンステラ、[枝]ドラゴン柳、かぼちゃ(白) 平成28年10月3週分

[花]ダリア(サングリア)、あじさい(マジカルルビー)、ガーベラ(ファンタ)、カーネーション(エルメスオレンジ)、[葉]丸葉ユーカリ、モンステラ、[枝]ドラゴン柳、かぼちゃ(白) 平成28年10月5週分

 

[花]りんどう(夢うらら)、トルコききょう(コサージュイエロー)アンスリューム(グリーン)、[葉]シンフォリカルポス原種、ドラセナ、コンパクター  平成28年10月第5週分

[花]りんどう(夢うらら)、トルコききょう(コサージュイエロー)アンスリューム(グリーン)、[葉]シンフォリカルポス原種、ドラセナ、コンパクター  平成28年10月第4週分

七十八歳の同窓会

2016.10.05

[花]トルコききょう(パティオラベンダー)、スプレーカーネーション(ロリポップバイオレット)、ガーベラ(ピンク)、[葉]細葉ルスカス、レモンリーフ

[花]トルコききょう(パティオラベンダー)、スプレーカーネーション(ロリポップバイオレット)、ガーベラ(ピンク)、[葉]細葉ルスカス、レモンリーフ

 先日、叔母から電話が入りました。
 「小学校の同窓会があるので、久しぶりに帰省します。○○ちゃん、よろしくネ」

 もうじき還暦を迎える初老の男をつかまえて、もう「○○ちゃん」はないと思いますが、叔父、伯母たちからは、未だに「○○ちゃん」で通っています。

 大阪に嫁ぎ、現在は和歌山県で暮らしている叔母。
 今年で、78歳になったとのこと。
 近年大病を患って入退院を繰り返し、随分心配しましたが、すっかり元気を取り戻したようです。関西方面と遠距離であることと、子育てなど、日々の生活に追われたこともあり、今までほとんど欠席してきたという同窓会。「今回が最後の同窓会」ということで、やや健康面に不安を抱えつつも、出席を決断したようです。
 「××さんに、久しぶりに会える。△△さんに会えることを楽しみにしている」と、明るい声で話す叔母。楽しげな声が電話口から響いてきますが、誰一人として知っている人はいません。
 余程楽しみにしているのでしょう。

 78歳で、小学校の同窓会。
 聞くだけで、すごいことです。
 叔母の同級生が何人いたのか、知る由もありません。当然、亡くなられた方もおられるはず。
 同窓会を開くだけのクラスメートが生きておられること、そして同窓会を開こうという思いを抱かせる学級であったこと。何よりも高齢にもかかわらず、世話をしている幹事さんもすごいと思います。
 何といっても、叔母たちが小学校を卒業して、65年以上も過ぎているわけですから。

 
 叔母が卒業した小学校は、小生にとっても母校になります。
 祖父も祖母も、父、母、伯母、伯父たちも、そして亡き姉も、この小学校の卒業生です。
 小学校の統廃合にともない、木造校舎は半世紀以上も前に壊され、今は跡形もなくなっています。グランドも、以前は地域運動会や盆踊りなどに使われましたが、過疎化や少子化の影響で、運動会自体開くことが出来なくなり、5~6年前から荒れ放題と聞いています。

 小生は、この小学校で男子6名、女子11名とともに学びました。
 わずか18人の学級でしたが、とても仲が良く、まとまりのあるクラスでした。熱心で、大変良い先生方に恵まれ、想い出の多い日々を送れたと個人的に思っています。
 同級生は皆、県内で生活しており、時々顔を合わす人もいます。

 しかしながら、このメンバーとは、一度も同窓会を開くことなく、今日まで来ています。
 本来ならば、小生が幹事役を担うべきだったのかナーと内心考えています。成績は、際立つ方ではありませんでしたが、お調子者で、以前からこういう時の旗振りはお前だという空気を感じていました。

 受け持っていただいた先生は、3人おられました。
 同窓会を開かないうちに、お一人は既に亡くなられ、もう一人の先生は認知症がかなり進んでいると聞いており、一番親しみを覚えた5年生の時の先生も、先月初め亡くなられてしまいました。
 たとえ同窓会を開いたとしても、もうお呼びできる先生はおられません。

 中学校、高校を含めても、俗にいう同窓会なるものに出席したことがありません。
 どうも、大人数の同窓会は肌に合わないようです。
 それでも、5~6年に1回開催される中学時代のブラスバンドの同窓会、年2回開いている高校時代の悪仲間の「六人会」には、「永久幹事」として出席しています。気心の知れた仲間たちとの会話、近況報告、ちょっとしたことですが、とても楽しいひとときとなっています。

 
 和歌山の叔母は、10月15日に帰省してきます。
 少しでも良き思い出を残してもらえるようにと、プランを練っています(O)

松山善三さん

2016.09.20

 

[花]ゆり(タランゴ)、ケイトウ(サカタプライド)、てまり草、[枝]われもこう(星生の泉)、ヒペリカム(紅葉)

[花]ゆり(タランゴ)、ケイトウ(サカタプライド)、てまり草、[枝]われもこう(星生の泉)、ヒペリカム(紅葉)

 映画監督で脚本家の松山善三さんが、亡くなられました。
 91歳で、老衰だったそうです。

 「二十四の瞳」に主演した俳優の高峰秀子さんと昭和30年に結婚。
 おしどり夫婦として知られていたご夫妻。平成22年に高峰さんが旅立って、早や6年。養女で作家の斉藤明美さんと暮らしておられることは知っていましたが、その後どうされているのかと、ずっと気になっていました。

 訃報に接した時、たまたま高峰秀子さんの著書「旅日記 ヨーロッパ二人三脚」(ちくま文庫)を読んでいました。
 この本は、昭和33年にご夫妻がヨーロッパを旅した際の旅行記。約7カ月間にも及ぶフランスやドイツ、スペインなどを旅行した、水入らずの旅日記です。食事や散歩、買い物など、心から楽しむお二人。のびのびした様子が、とても微笑ましく感じられます。
 松山善三さんという「生涯の伴侶」を得た高峰秀子さんの幸せの証が、いきいきと伝わって来ていただけに、訃報を聞いた時は感慨もひとしおでした。

 

 松山善三さん。
 名前を聞いても、もうピンと来る人は少ないと思います。
 ろうあ者同士の夫婦を描いたデビュー作「名もなく貧しく美しく」など、映画監督として数多くの話題作を手掛けておられますが、小生が観ていた映画は、「典子は、今」だけでした。

 この映画は、実在のサリドマイド病患者・辻典子さんの半生を描いたものです。
 サリドマイド剤の副作用で、生まれつき両腕を持たない辻典子さん自らが主演し、明るく生きる姿を描いて大ヒット。昭和56年に放映され、手の代わりに両足を使って日々の生活をしっかりと生き抜く姿は、その当時、大きな反響を呼びました。
 社会人になって間もない頃に、この映画を観て、大変感動したことを覚えています。

 知りませんでしたが、辻典子さんはその後、熊本市役所に就職され、結婚されて「白井のり子」となられています。2人のお子さんを産み、育て、平成18年3月末に熊本市役所を退職され、半生記をまとめ上げ、「典子44歳 今、伝えたい」(光文社)として、出版されています。
 白井のり子さんが、あのような不自由な体で、どのように勤務され、どのように子供さんを育てられたのか知りたくて、あちこちの書店やブックオフなどで探しましたが、残念ながらこの本は見つかりませんでした。近いうちに買い求めて、読むつもりです。

 

 小学校、中学校時代の同級生が、先日不慮の死を遂げました。
 30歳前後で障害のある身となり、長い間、苦しんでいる姿を傍らで見てきただけに、いまだに心の整理がつかないでいます。
 彼の生涯は、何だったのかな……と、時々思い返しています。

 生きとし生けるものは、いつの日か死を迎えます。
 高峰秀子さんが、そうであったように。
 そして、松山善三さんもまたそうであったように、「凛」とした生きかた。
 そのような歩みをもって、静かに生涯を閉じられればと願っています。(O)

盗まれたソーラーバッテリー

2016.09.13

 

 

[花]シンピジューム(グリーン)、ピンクション(スーパーゴールド)、トルコききょう(セシルブルー)、[葉]ハラン(天の川)、木苺、[枝]雲竜柳

[花]シンピジューム(グリーン)、ピンクション(スーパーゴールド)、トルコききょう(セシルブルー)、[葉]ハラン(天の川)、木苺、[枝]雲竜柳

 何ともやるせない思いをしています。
 イノシシやシカなどがあちこちで出没し、被害が発生しているため、集落の各所に電気柵を設置していますが、先週ソーラーバッテリーが1台盗まれました。

 

 今年は小生、順番で生産組合長があたり、農業に関わる世話をさせてもらっています。イノシシ対策もその一つで、近年、年を重ねるごとにイノシシによる被害がひどくなり、集落あげて取り組んできただけに、今回はガックリです。
 実は昨年も、同じ場所でソーラーバッテリーが盗まれました。

 

 三井アウトレットパーク北陸に向かう国道沿いにある、山あいの圃場。
 国道8号線から直線距離にして、200メートルぐらいでしょうか。
 9月6日に、その地域一帯のコシヒカリの収穫を終え、7日にソーラーバッテリーが見つからないようにと、素人目にはわかりにくい橋のたもとに移し替えたにもかかわらず、7日夜から8日の朝型にかけて盗難にあいました。昨年の盗難の件があるだけに、対策を打ったつもりでしたが、ダメでした。
 しかもこの日は、夜半から朝までの間、かなり雨が降り続いていて、足場も相当悪かったはずなのに、やられました。

 

 なぜイノシシが水田に出るのか詳しくは知りませんが、収穫時期になると、活発に歩き廻ります。イノシシが水田に入り、倒れた稲はイノシシの臭いが付くため、通常の米として販売することは出来ません。春先から丹精込めて栽培してきた水稲が、収穫直前に商品価値を無くすわけです。
 それと困るのは、イノシシが水田の土手を鼻先や足などで壊すこと。
 あっという間に、土手を壊したうえに、時には大きな穴を開けていく時もあります。土手が壊れると、水管理が出来なくなるので、機械を使って修復する必要があります。

 

 イノシシ防止用電気柵は、集落全体で12カ所に設置してあります。集落にある水田のうち、90%近くを電気柵で守っていることになります。
 電気柵や電気コード、ソーラーバッテリー、電池式バッテリーなどは、基本的に地元市役所から貸与されます。被害の発生状況にもとづき、市に申請をあげ、認可された地域から順に支給されます。
 今年も、昨年新たに被害が発生した4カ所の電気柵セットと、捕獲用にと檻(おり)1基が支給され、集落の全員で設置しました。

 

 集落にあるソーラーバッテリー4基と電池式バッテリー8基のうちの、今回、ソーラーバッテリー1基が盗まれたわけです。電池式バッテリーは、1基に乾電池単1を6本入れますが、寿命があるため交換が必要です。集落では、乾電池代だけで年間約2万円を負担しています。
 犯人は、そんなことも知っていて、ソーラーバッテリーを盗んだものと思われます。ちなみに、このソーラーバッテリーは購入すると、約6万円するそうです。

 

 地元の駐在所に盗難届を出し、事情聴取や現場検証、写真撮りを終え、市農林課にも報告しました。後日、所定の書類を提出してもらいたいとのことです。
 昨年の盗難の際には、市から中古のソーラーバッテリーが代わりに支給されましたが、今回は同一地域で2回目ということもあり、「集落で対応して欲しい」とのことでした。

 

 集落では、昨年と同一犯人による犯行ではないか、と考えています。
 このような特殊なバッテリー。おそらく我々の集落と同様に、イノシシなど、鳥獣被害対策に困っている地域の人が盗んだものと思われます。被害状況をきちんと報告し、申請手続きをすれば、他人のものを盗まなくても、行政から電気柵など資材一式が届くはずなのに……。
 犯人は、自分の畑に使用するつもりだったのでしょうか?

 

 11日のうちに、ソーラーバッテリーを民家前に写し、電池式バッテリーを中山間地に移すなど、出来る範囲の対策を打ちました。本来ならイノシシの多い中山間地にこそ、電流の強いソーラーバッテリーを置きたいところなのですが…。

 

 台風被害や秋の長雨などの影響もなく、順調に収穫が進んでいます。今までは、秋の刈り入れが終了したら、農作業が無事終わったとホッとしたものです。

 ところが、現在は違います。
 圃場に稲がなくなっても、電気柵を設置してある所では、イノシシが入らないようにと電気線の下にある草を刈る必要があります。草が伸びて、電気線に触れると漏電して電気が流れなくなり、イノシシが圃場に入るからです。
 さすがに寒くなると草が伸びにくくなりますが、それでも集落では11月19日まで電気柵を維持することにしています。

 

 もうしばらく、イノシシとの格闘が続きます。
 それにしても、どうしてあのソーラーバッテリーが盗まれたのでしょうか……。
 なんとも、やり場の無い悶々とした思いをしています。(O)

 

「たまちゃんのおつかい便」

2016.08.31

[花]ゆり(エマニー)、オンシジューム(ハニー)、カーネーション(マンダリン)、グロリオーサ(ビック)、[葉]ナルコラン(エクセレントフレア)、[枝]どうだんつつじ、ヒペリカム

[花]ゆり(エマニー)、オンシジューム(ハニー)、カーネーション(マンダリン)、グロリオーサ(ビック)、[葉]ナルコラン(エクセレントフレア)、[枝]どうだんつつじ、ヒペリカム

 作家・森沢明夫さんの本にハマっています。
 現在読んでいる本は、「たまちゃんのおつかい便」(実業之日本社)です。

 初めて森沢明夫さんの名前を知ったのは、映画「あなたへ」が上映された時。
 この映画は、ご承知のとおり、俳優・高倉健さんが最後に主演した映画で、モントリオール世界映画祭や日本アカデミー賞などで各賞を受賞しています。映画のロケ地として、富山刑務所が選ばれたことでも、話題を集めましたが、この映画の脚本のベースとなったのが、森沢明夫さんの小説「あなたへ」(幻冬舎文庫)です。

 森沢明夫さんの著書は、「津軽百年食堂」、「夏美のホタル」、「エミリの小さな包丁」、「癒し屋キリコの約束」、「ミーコの宝箱」など読ませてもらっていますが、印象に残っているのは、吉永小百合さんが主演女優を演じ、初めてプロデュースした「虹の岬の喫茶店」(幻冬舎文庫)と「大事なことほど小声でささやく」(同)の2冊です。

 「たまちゃんのおつかい便」は、本の紹介によると、
 「過疎化と高齢化が深刻な田舎町で『買い物弱者』を救うため、 大学を中退したたまちゃんは、移動販売の『おつかい便』をはじめる。 しかし、悩みやトラブルは尽きない。フィリピン人の義母・シャーリーンとのいさかい、 救いきれない独居老人、大切な人との別れ……。 それでも、誰かを応援し、誰かに支えられ、にっこり笑顔で進んでいく。 心があったまって、泣ける、お仕事成長小説。」とあります。

 
 この頃、「買い物弱者」という言葉をよく耳にします。
 かつて活気があった商店街が、いつの間にか「シャッター通り」となり、駅周辺にあった地元スーパーが郊外型の大型スーパーにとって代わられ、地域住民、特に高齢者が食料や生活用品を購入することが困難になりつつあります。
 特に過疎化や高齢化が進んでいる地域では、ひとり暮らしのため、車などの移動手段を持たない高齢者が増え、買い物に行きたくても行けない。足代わりとなるはずのバスも、本数が少なくて利用しづらいといった実態があるようです。

 「たまちゃんのおつかい便」の主人公・たまちゃんは、ひとり暮らしをしている祖母の実状を見て、買い物弱者を救おうと「移動販売車」を思い立ちます。20歳で大学を中退し、交通事故で亡くなった母親の保険金の一部を元手として、中古の保冷車付き軽四トラックを購入。ベテランからの見習い期間を経て、本格的にスタート。

 高齢者の徒歩圏内にある集会所、駐車場などに、細かく停車場所として設定。地域ごとに巡回する曜日と時間を決め、手づくりチラシを配ってPR。軽四トラックだけに、積めるアイテム数や量には限界があります。それでも、日々の買い物に困っている老人の要望に応えながら、生鮮品や日用品を買える機会と商品を選ぶ楽しみを提供し、徐々に地域に浸透していきます。

 決してもうかる仕事ではなく、採算ラインぎりぎりの移動販売。
 しかしながら、地域に欠かせない存在になり、たまちゃんはいつの間にか、じいちゃん、ばあちゃんから孫のように愛されていきます。
 ものを売る移動販売車というより、心を届ける販売車へと変わっていきます。

 そして、たまちゃんという、ひとりの女性をとおして描かれる、家族と取り巻く人々との人間模様。平凡な日々の積み重ねですが、その中にも心の機微がやさしく書かれています。

 いつものことながら、森沢明夫さんの本には心温まるものが常に流れています。

 「たまちゃんのおつかい便」は、400ページ余りの本。
 残り100ページ足らずとなりました。
 1ページ、1ページ大切に読んでいこうと思っています。(O)

車中雑感

2016.08.24

[花]トルコききょう(コサージュブルー)、モカラ(カリプソ)、日扇の実、[葉]モンステラ、ゴットセファナ、[枝]バンブー

[花]トルコききょう(コサージュブルー)、モカラ(カリプソ)、日扇の実、[葉]モンステラ、ゴットセファナ、[枝]バンブー

 毎日、あいの風とやま鉄道を利用して通勤しています。
 駅にして5駅。電車に乗っている時間は、ちょうど25分間。

 改札もない、屋根もない無人駅から電車に乗っています。乗車位置は、いつも決まって1両目、最後部のドア付近。乗るのは、通学・通勤時間帯だけに、ほとんどが高校生か社会人。定刻の電車に乗るので、顔ぶれはほぼいつも同じ。名前の分かる人は一人もいませんが、会わない日が続くと、「どうしたのかなー」とふと気になります。

 在来線にJR西日本が走っていた頃は、6両編成でした。
 第三セクターのあいの風とやま鉄道になってからは4両編成になり、車両自体もやや小さくなったため、混雑状況がひどくなりました。学生時代に四年間、東京の私鉄、東武東上線を利用していましたが、毎朝すし詰め状態で、四苦八苦しました。もちろん都会のラッシュアワーの比ではありませんが、ローカル線の割には混雑しています。JR西日本の時は、結構座れましたが、今は座るどころではありません。
 といっても、乗車時間はたかが25分程度ですから、立っていても…。

 車内はと見回すと、年齢や性別を問わず、最近では大半の人がスマホを見ています。
 「ガラケー」人間としては、やや違和感がありますが、今は完全にスマホ社会のようです。以前、サラリーマンといえば、日経新聞を開いていたものですが、新聞を手にしている人自体、あまり見掛けません。本を手にしている人も、かなり減った気がします。車中での読書を楽しみにしている一人としては、やや淋しい思いがあります。
 それでも、受験生なのでしょう。試験期間でもないのに、狭い車中で教科書やテキストに真剣に向き合っている高校生たちを見ると、頭が下がります。

 オリンピックの応援疲れなのでしょうか?
 静かな車内から、軽やかなイビキが聞こえてきます。離れていたため、どなたか分かりませんでしたが、余程疲れがたまっていたのでしょう。満員電車の中で、朝からイビキが聞こえてくると、場違いだけに微笑ましくなります。
 確かに連日のメダルラッシュで、最高に盛り上がった今回のオリンピック。早朝から日本人が大活躍する熱戦や感動的なシーンが続いたため、日本中が寝不足気味になったようです。

 ある夕方、車内で四人連れの親子を見掛けました。
 30代半ば過ぎのお母さんと、男の子3人の家族連れ。子どもたちは、7歳と4歳、そしてお母さんの腕に抱かれている子は4カ月ぐらいでしょうか?
 始発の富山駅から乗車し、空席があるにもかかわらず、この家族はドアの傍に立っています。会話の内容はわかりませんが、楽しそうな雰囲気がこちらまで伝わってきます。上の子供たちは、騒ぎ回るわけでもなく、大声を発するわけでもなく、静かに車窓を眺めています。
 ただ、それだけのことですが、この家族がその場にとてもマッチしているように感じられました。

 近くに席が開いているにもかかわらず、誰も座わろうとしません。お母さんの教育方針なのかもしれません。子供たちは、愚図るでもなく、不平不満を言うでもなく、当たり前のようにドア付近に立っています。お母さんも、乳呑児を抱いて疲れるだろうに、傍らにそっと立っておられます。
 そのお母さんの子供たちを見つめる眼差しのやさしいこと、そして表情の柔らかいこと。
 夕方になり、1日の疲れも出る時間帯のはずなのに、3人の手の掛かる子供を抱え、育児に大変だろうに、お母さんの顔からは慈愛に満ちたものが溢れていました。

 今の子供たちは、ゲーム機に興じ、車内では静かにしていることが多いようです。
 時々、電車に乗れたことが嬉しいのか、大声を出して通路を走り回り、親に叱られる子供たちを見ることがあります。何を怒っているのか、お母さんの苛立った声やイラだつ素振りを見掛けることもあります。

 それだけに、四人連れの親子から他の家族に感じられない、心地よい温かさが感じられました。
 さすがに高岡駅に着いたときには、一番上のお兄ちゃんを除いて、下の子とお母さんは近くの席に座られました。相変わらずその席から、楽しげで温かな雰囲気が伝わってきます。

 この家族が、最後どこまで乗車されたのか、わかりません。

 降車駅である無人駅に着きましたので、先に電車から降りましたが、なぜかこの家族に幸多かれと祈る思いにさせられました。(O)

Page Top