tel:076-445-2051
アクセス

今週の花

カテゴリ

言うに言われぬ、急行「能登」の思い出

2015.10.14

(花)りんどう(紅の唄)、オンシジューム(ボブキャット)、トルコききょう(ジャスニーホワイト)、カーネーション(カロンテ)(葉物)ゴットセファナ、谷渡り、玉シダ

(花)りんどう(紅の唄)、オンシジューム(ボブキャット)、トルコききょう(ジャスニーホワイト)、カーネーション(カロンテ)(葉物)ゴットセファナ、谷渡り、玉シダ

 自宅近くに大きな書店があり、週に1度、平台にある新刊本をチェックすることを楽しみにしています。
 新しく出版される本や話題になっている本は、日頃から新聞の書評欄や広告欄などをひと通りチェックし、見落さないようにしています。へそ曲がりのせいか、俗にいうベストセラーの本を手にすることは、まずありません
 新刊コーナーの平台6台の中から、思わぬ掘り出し本を見つけた時は、それだけで嬉しくなります。

  今回、目に留まった本は、柴田よしき著「夢より短い旅の果て」(角川文庫)。

  作家・柴田よしきさんは、推理作家であり、小説家としても有名です。
 推理小説は興味がないため、読んでいませんが、「ばんざい屋シリーズ」の「ふたたびの虹」、「竜の涙 ばんざい屋の夜」(共に祥伝社文庫)の2冊については、読み終えています。特に「ふたたびの虹」は、過去にNHKでドラマ化され、主役の相田翔子さんの名演が心に残り、早速原作を読み、以来、すっかり柴田さんのファンになっています。

 「夢より短い旅の果て」
 パラパラとページをめくると、もう廃止となってしまった急行「能登」や「氷見線」といった言葉が目に飛び込んできます。何となく気になり、買い求めました。

  急行能登といえば、思い出がいくつもあります。
 1日1往復、上野と金沢間を結んでいた寝台急行能登。
 東京の大学に進学した小生。上京や帰省の際には、結構この夜行列車にお世話になりました。かれこれ、もう40年前のことです。その当時、今のように格安な夜行バスがあるはずもなく、特急「白山」を利用する人が多く、夜行の寝台特急「北陸」や急行能登、急行越前などに乗る人もいました。

  貧乏学生でしたので、よく急行能登に乗りましたが、高い寝台車を利用したことは一度もなく、いつも決まって自由席。
 廃止された平成22年頃には、特急電車のようなモダンな車両になっていましたが、昭和50年代当時の能登といえば、年季の入った古めかしい車両でした。自由席の椅子は、木造の枠に布張りのやや硬めのボックスシート。天井でクルクル回る扇風機も、時代遅れの代物でした。
 席が空いている時は、ボックスを独り占めして、「く」の字になって寝ました。夏山シーズンには、多くの登山者が通路や座席下に新聞を敷いて寝ていたものです。

 どこでも寝られる性分のせいか、心地良い揺れとリズミカルな音に誘われ、いつの間にか眠りに着くことが出来ました。
 それでも、真夜中、駅から発車する時の、車両と車両をつなぐ連結器が発する「ガクーン」という独特の振動に起こされ、時々目を覚ましました。

  急行能登に、言うに言われぬ苦い思い出があります。
 小生のせいで、走行中に急行能登を急停車させてしまったことです。

  確か大学2年の、ゴールデンウイークの最終日だったと思います。
 田植えの農作業を手伝うため、五月の連休中に帰省し、上京する時のことです。
 急行能登は、金沢が始発で、3つ目にあたるA駅から乗車しました。いつもなら空いているはずの自由席がすでに満員、通路に立っている人もいます。連休最終日のためか、予想以上に観光客や上京する学生らで、ごった返しています。仕方がなく、車両後方の連結器付近になんとかスペースを確保し、自分のバックに腰かけました。

 ところが、高岡駅、富山駅、魚津駅と停車するたびに、さらに多くの乗客が乗車してきます。知らない者同士ですが、互いに譲り合い、協力し合い、空きスペースを作り、乗れるように工夫します。この時点になると、多くの人が立ったままの状態でした。

 直江津を過ぎた頃だったと思います。
 皆で荷物を一カ所に積み上げたりして、わずかでもスペースが確保できるようにしていた際、何気なく角にあった白い紐(ひも)を引っ張ってしまったのです。
 急行能登が、急に速度を落とし始め、急停車します。
 窓の外を見ると、漆黒の闇の中。

 何があったのだろうと周りの人と話していると、車掌さんが満員の車両の中を掻き分け、慌てて小生たちがいる所に向かってきます。

  「何かあったのですか」
 はじめ、車掌さんが言っている意味がわかりませんでした。
 「非常ブレーキが作動して、緊急停車しました」
 「作動位置を確認したところ、このあたりからサインが出ていました」

  なんと小生が、張本人だったのです。

  混雑した中で、場所を少しでも作ろうと皆で作業している中、たまたま手にしたロープが、なんと「非常用停止紐」だったのです。
 確かに天井を見ると、小さく赤色でシールが表示してあります。

 もちろんお詫びし、事の経過を説明します。周りの方々も、すぐに状況説明に加わり、助け舟を出してくださいます。年配の車掌さんは、すぐに理解してくださり、急いで先頭車両の方へ戻って行かれました。

  程なくして、アナウンスが流れ、急行能登は何事もなかったように、ゆっくりと動き出します。

  皆でホッとひと安心していたところに、先程の車掌さんが再びこちらに来ます。
 手元に紙があり、小生の氏名、住所、電話番号、大学名等を記入してもらいたいとのこと。何もお咎めが無いものとかってに思っていたら、シャバはそう甘くありませんでした。

  「意図的ではないにしろ、急行列車を非常停止させてしまったことは事実です。現状からみると、問題にならないと個人的には思いますが、業務上記録を残す必要がありますので、記入してください」
 「東京に着いた後、関係部署に報告します。おそらく大事にはならないとは思いますが、後日改めて連絡を入れる可能性もあります」

  もう、ガックリです。
 A駅からほぼ立ちっぱなしで、全く眠っていないうえに、この有様。
 疲れがどっと来ました。

  東京に着いてからも、下宿のアパートに電話が入らないか、大学に連絡がいくのではないかと、毎日内心ビクビクものでした。意図的に悪いことをしたわけではないと思いつつも……。
 しばらく陰鬱な日々を過ごしたことは、事実です。

 数日が過ぎ、1週間が過ぎ、1カ月が過ぎ、結局国鉄からは何ら連絡もなく、書類も届きませんでした。

  何を思って、あの白いロープを引いたのか、今も定かではありません。
 やり場のない苦い思いを抱く時期もありました。
 40年余り過ぎた今となっては、むしろ急行「能登」という言葉に何とも言えない、ほのぼのとした懐かしさを覚えます。(O)

 

「モイ、モイ」

2015.10.06

(花)デンファレ(キャディーストライプ)、トルコききょう(コレゾライトピンク)(葉物)福みどり、ゴットセファナ(枝)シンフォリカルポス(マリーン)

(花)デンファレ(キャディーストライプ)、トルコききょう(コレゾライトピンク)(葉物)福みどり、ゴットセファナ(枝)シンフォリカルポス(マリーン)

 最近、よく見ているテレビ番組があります。
 NHKBSプレミアムの「イッピン」と「美の壺」です。

  特に「イッピン」は、全国各地の名も無き職人さんが、日常生活のために作った実用品を紹介しており、出来るだけ見るようにしています。
 手作業で作られる木製品や漆器、ガラス製品、竹細工、和紙などのイッピン(逸品)。
 伝統に裏付けされた工芸品を、ただ古くからの伝統を守るだけではなく、現代の生活スタイルに合わせて、新しい機能を付け加え、さらにモダンなデザインへとうまく調和させています。
 イッピンで紹介される工芸品からは、素朴な素材をそのまま活かしつつも、時代にマッチした独創性やみずみずしい感性が感じられます。

 「イッピン」という番組を通じて、全国にはこんなに多くの逸品があるのかと驚かされています。女性リポーターと職人との軽妙な会話や、わかりやすい科学分析により、少しずつ職人技が浮き彫りにされます。番組終了近くなると、新たな民芸品、工芸品に出会えた喜びと民芸品そのものから発せられる温かみに、いつの間にか魅せられています。

  「上手物(じょうてもの)」という言葉があります。
 エッセイスト・白洲正子さんの随筆を読み、初めてこの言葉を知りました。
 反対語にあたる「下手物(げてもの)」という言葉は、日常使うことがあっても、「上手物」という言葉は今まで目にする事がなく、読み方すら分かりませんでした。意味は、「精巧につくられた高価な工芸品。出来や品質がよく、特に工芸品などで,一品制作の精密な作をいう」とあります。

 上手物は、一流の芸術家や工芸作家が創作した美術品や工芸品といったところでしょうか。あくまでも一品限りの芸術品であり、優れた作品は美術館や博物館で陳列され、鑑賞される対象となります。

 小生、相変わらず美術品が好きで、時間があるたびに、美術館などに通っています。学術的なことや難しい理論などは、正直いって分かりません。ただ、多くの展示品の中で、心にとまる作品が一品でもあれば、もうそれだけで十分満足です。作品と1対1で正面から真剣に向き合い、何か心に感じ得るものが一つでも見出されば、足を運んだ甲斐があったと思っています。

  「イッピン」で扱われる商品は、上手物というより、民芸品です。
 「民芸」といえば、柳宗悦(やなぎ むねよし)さん。柳宗悦さんは、日本が機械化、効率化を目指し、積極的に近代化を進めている中にあって、手仕事が軽く扱われ、廃れていくことに警鐘を鳴らし、民芸品の大切さを改めて訴えた人として有名です。

 古くから地域に根ざし、実用品として日々使う楽しみがある民芸品。
 作った職人に何のてらいもないだけに、素朴な風格といったものを感じることもあります。使い込めば使い込むほど、美しさを増す気がします。

 以前、沖縄を旅行した時に、「八重山ミンサー織り」のブックカバーをホテルの売店で買ったことがあります。手触りが良く、何とも言えない風情があり、すっかり気に入りました。使い込むうちに、さらに味わいが増し、数年後メーカーからまとめて購入しました。文庫本を終読するたびにブックカバーを取替え、ささやかな喜びを楽しんでいます。

 作り手の温もりが感じられ、作り手と使い手とがキャッチボールできる民芸品。
 高価な民芸品を購入することは、なかなか出来ません。
 でも、珍しいちょっとした民芸品を1個ずつでも買揃えたいと思います。飾って鑑賞するのではなく、職人が丹精込めて作られた品を使わせていただき、その素晴らしさ、その良さを味わいたいものです。

 最近、「モイ、モイ」という言葉に出会いました。
 カンボジア語で、「ゆっくり、のんびり」という意味だそうです。女優・杏さんの著書「杏のふむふむ」(ちくま文庫)の中で、紹介されていました。なんとなく語呂が良く、親しみを覚える言葉です。
 どこか杏さんが放つオーラと似ている気がして、心に残っています。

 「モイ、モイ」
 ゆっくり、のんびりとした豊かな暮らしをするうえで、ちょっとした「イッピン」を手元に置くことは、生活の良きアクセントになる気がします。
 そのような「あなただけのイッピン」を、お持ちでしょうか。(O)

14メートルもある大獅子

2015.09.29

(花)ゆり(プレミアムブロンド)、ダリア(星の王子)、ピンポン菊(葉物)星斑ハラン、レザーファン(枝)雪柳、花ナス(レッドピンポン)

(花)ゆり(プレミアムブロンド)、ダリア(星の王子)、ピンポン菊(葉物)星斑ハラン、レザーファン(枝)雪柳、花ナス(レッドピンポン)

 久し振りに獅子舞を舞いました。

 現在住んでいる地域は、獅子舞が盛んで、大獅子が1頭、子獅子が2頭います。
 秋祭りとして、毎年9月第3日曜日は、獅子舞の日に決まっています。
 還暦間近で、しかも持病の腰痛持ちの小生が頼まれたのは、大獅子。俗にいう獅子舞は、ここでは「子獅子」を指します。激しい所作が求められる子獅子。残念ながら老体の我が身には、声が掛かるはずもありません。あんなに激しい動きには、もうついていけるはずもありませんから。
 大獅子は1日だけ、子獅子2頭は2日間にわたって、全町内を舞います。

   大獅子。
 獅子頭(ししがしら)から、尾までの全長が14メートル。横幅が2.5メートル。文字どおり、大きな獅子です。この大獅子の中に、大人18名が入ります。頭(かしら)を操る人が1名。胴体部分で蚊帳(かや)を竹で持ち上げる人が、左右に8名ずつの計16名。尾を振る人が1名。
 この大獅子のために、6町内から5名ずつ計30名の協力依頼があり、笛や太鼓の囃子方(はやしかた)や世話役を含め、総勢は約40名にも及びます。
 小生も、40代前半まで大獅子に参加していましたが、歳とともに疎遠に。今回、たまたま町内で若手が揃わないとのことで、10数年ぶりに復帰することに。

 「雨男」という有難くない名称を頂戴している我が身には珍しく、この日は見事なほどの日本晴れ。時折、さわやかな秋風も吹きよせる、絶好の日和となりました。

  午前8時20分。獅子舞の装束である法被(はっぴ)や脚絆、足袋に身をつつみ、神社に集合。困ったのは、草履(ぞうり)。わら草履など、日頃履く機会があるはずもなく、自己流でなんとか履いて行きましたが、宮に着くなり、町内の人に笑われ、若い衆に縛り直してもらう羽目に。

 午前9時。神主からお祓いを受け、獅子舞に魂を入れ、いよいよ出発。
 回る戸数は、地域にあるすべての民家、会社、老人施設など、約250軒。1軒ごとに玄関先で、お囃子に合わせ、舞います。小生の役割は、蚊帳(かや)持ち。以前までは、獅子頭を持って舞うこともありましたが、かなり重い頭を勢いよく振り回す体力は、もうありません。慣れた若い衆ですら、連続で5軒も舞うと腕が上がらず、くたくたになるほどですから。頭を操る人は、順次7~8人で交代します。

 お昼の休憩時間、45分をはさみ、大獅子が終了したのは、夕方5時少し前。
 蚊帳を持ち上げつつ、お囃子に合わせて、足を交互に舞うだけですが、他の人と一度も交代することが無かったため、正直疲れました。若連中は、最後まで元気でしたが、我が身は、足も膝もガタガタ。何といっても、6~7時間歩き通しだったわけですから。
 はじめは顔も知らなかった他の町内の人たちとも、丸1日も蚊帳の中に入っていると、いつの間にか連帯感が生まれました。

 この大獅子。一時期、下火になりかけた時期もあったそうですが、今日まで地域住民に守られ、営々と古き伝統が受け継がれてきています。

 町内会長に頼まれ、ピンチヒッターで参加した大獅子。
 老体には堪えましたが、最高の秋晴れにも恵まれ、それなりに実りのある一日でした。

P.S.
ブログをアップする日が1日遅れ、申し訳ありませんでした。
「民芸」については、次回書かせていただきます。(O)

一枚の絵

2015.08.18

(花)グロリオーサ、カーネーション、ケイトウ(葉物)ヒペリカム、丸葉ルスカス(枝)ドラゴン柳

(花)グロリオーサ、カーネーション、ケイトウ(葉物)ヒペリカム、丸葉ルスカス(枝)ドラゴン柳

 久し振りに美術館巡りをしました。
 世界一かわいい美術館、県水墨美術館、県立近代美術館の3つの美術館です。

  水橋駅近くにある世界一かわいい美術館は、運悪く「お盆3日間は休館」とあり、正面ドア前でガックリ。

  県水墨美術館は、「超絶技巧!明治工芸の粋」が企画展。
 最終日の、しかも午後に出掛けたため、廊下まで溢れ出る長蛇の列。約30分間の入場制限を経て、なんとか会場へ。
 京都・清水三年坂美術館の所蔵品であり、以前、NHKのEテレ「日曜美術館」でも紹介された、選りすぐりの逸品ぞろい。安藤緑山の木彫・牙彫はじめ、明治工芸の粋を、この目でしっかり堪能できました。
 ただ、欲を言えば、自分のペースでゆっくり鑑賞したかったです。

  県立近代美術館。
 この美術館は、抽象画やポスターなどの企画展示が多いため、日頃あまり足を運ばない美術館。
 今回、企画展「戦後70年 無言館展 画布に遺した青春」が開催中のため、約1年ぶりに訪ねました。会場に入って、ビックリ。入場者の多いこと。年配者もさることながら、中学生や高校生、家族連れが目立ちます。夏休みの自由研究のためでしょうか、熱心にメモを取る姿もあちこちで見受けられました。

  長野県上田市にあるという戦没画学生慰霊美術館、「無言館」。
 この美術館には、第二次世界大戦中、志半ばで戦場に散った画学生たちの遺した日本画や洋画などが、全国各地から収集され、展示されているそうです。戦後70年の節目を迎え、「無言館」に所蔵されている作品の中から、今回、画学生たちの遺作、遺品約150点が紹介されています。

  会場全体を通して、トーンが暗く、陰影の濃い作品が目立ちます。
 戦時中という時代背景が、そのまま絵に反映したためでしょうか。それとも、絵筆を銃にかえなければならなかった学徒たちの無念さ、心の葛藤が、画風に色濃く表現されたためでしょうか。

  そのような中で、心にとまった作品は、小野春男さんの屏風絵「茄子」。
 小野春男さんは、京都市出身の日本画家で、昭和17年に出征し、昭和18年に戦死。享年26歳。日本画家・小野竹喬(ちっきょう)の長男とあり、驚きました。小野竹喬さんは、言わずと知れた日本画壇の重鎮。大好きな画家の一人です。戦死されたご長男がおられたことを、初めて知りました。

  「茄子」を見せていただく限り、小野春男さんは非凡な才能の持ち主だったようです。素人であるこの身に、画の価値などわかるはずもありませんが、もし存命だったならば、父・竹喬さんのように大いに活躍されたかもしれません。有為な人材を失った気がします。

  学生時代、「きけ わだつみのこえ ― 日本戦没学生の手記」(岩波文庫)、和田稔著「わだつみのこえ消えることなく」(角川文庫)など、学徒出陣で出征した学生たちが遺していった、数々の遺稿集を読んだ時期がありました。
 声にならない声に、心響くものがありました。

 戦後70年という節目の年。
 小野春男さんの一枚の絵に魅せられ、志半ばで戦禍に散った多くの学徒たちに、想いを馳せた盆休みでした。(O)

ある猛暑の2日間

2015.08.11

(花)ゆり、ひまわり(葉物)サンデリアーナ(枝)石化柳、花ナス

(花)ゆり、ひまわり(葉物)サンデリアーナ(枝)石化柳、花ナス

 連日、信じられないような猛暑が続いています。
 天気予報で「最高気温が32~33℃」と聞くと、つい「今日は凌ぎやすい」と喜んでしまう、この異常さ。果たして、いつまで記録的な暑さは続くのでしょうか?

  といいつつも、何気なく見上げた空に、秋の雲の代名詞である「いわし雲」が浮かんでいます。いつの間にか、夜半には秋の虫たちの合唱も始まっています。
 秋への誘いが、人知れず進んでいるようです。

 
 愛犬・トーマスが、天寿を全うしました。

 以前、このブログで紹介させてもらった、我が家の老犬。
 先日、17歳10カ月のいのちを静かに閉じていきました。
 人間でいうと、80歳代後半のお爺ちゃん。白内障が進み、臭覚が落ち、耳も遠くなっていました。食欲も徐々に落ち、市販のペットフードを受付けなくなり、何を食べさせるか、悩みの種となっていました。
 とにかく毎日、よく寝ていました。一日の大半が睡眠時間といっても、過言ではありません。最後まで楽しみにしていた、朝晩、1日2回の散歩以外は、ひたすら眠り続けていました。

 生涯最後となった散歩は、7日、金曜日の夕方。
 いつもの大好きな散歩コースを、ゆっくりゆっくり時間を掛けて歩きます。少し左側に傾きながら、小石につまずくこともあります。すべてをトーマスのペースに合わせ、傍らで介護するように付添いました。
 マーキングも、しっかりと最後まで続けていました。
 玄関前のわずか3段の外階段。さすがにこの段差は厳しく、自力で上がることが出来ず、抱えてやりました。

  翌、土曜日に急変し、日曜日に家族で精一杯の介護をしてやる中、静かに永眠しました。

  老犬とはいえ、2日前まで大きな変化はなく、あんなに元気だったのに。
 プライドがあったのでしょう、下の世話をあんなに嫌がっていた犬でしたが、わずか2日間とはいえ、家族にそのまま身を委ねてくれました。病変に戸惑いつつも、喜びそうなことを考えては、家族なりにしてやったつもりです。

  平日だったら、全員勤めに出ており、十分に介護することは出来なかったはず。
 誰もいない日中に急死していたら、まったく介護してやることが出来ず、家族に大きな悔いが残ったことと思います。

  とてもつらい2日間でしたが、今から思うと、寄り添う事ができ、幸せな2日間でもありました。
 曜日を選ぶことなど出来るはずもありませんが、結果として、最後にトーマスからもらった最高のプレゼントとなりました。

  約18年にもおよぶ、トーマスとの歩み。
 愛犬との出会い、もらった多くの喜びの日々、そして避けられない別れの時。
 生きとし生けるものには、必ず死を迎えます。
 言葉では理解しているつもりですが、今、言い知れぬ寂寥感と空虚さが募っています。

  夕方、ペット葬儀社から遺骨を受け取った帰りの車中。
 横の座席で、まだほのかに温もりが残っている骨壺を抱えながら、家人がぽつりといいます。
 「お父さん、もう犬を飼うのは止めましょう」と…。(O)

かわいい子供たちが待っています。

2015.08.04

(花)栗、トルコききょう、りんどう(葉物)レザーファン(枝)サンキライ

(花)栗、トルコききょう、りんどう(葉物)レザーファン(枝)サンキライ

 早いもので、ブログを始めて丁度1年経ちました。

 昨年8月にスタートした、このブログ。
 初めてブログに書かせてもらったのは、「高等学校卒業程度認定試験」のこと。今年も、今日(4日)と明日の2日間、この会館を利用して、高等学校卒業程度認定試験が実施されています。あの日から、もう1年が経ったわけです。改めて、時の流れの早さに驚かされます。
 いつものことながら、この試験を通じて新たな道を切り開こうとしている若者たちを見ていると、ついつい「頑張れよ」と声を掛けたくなります。

 連日、厳しい猛暑が続いています。
 この猛烈な暑さに体調管理も大変ですが、野菜や花々の管理も大変です。
 今年も、プランターを利用して、野菜栽培をしています。ミニトマトやゴーヤ、パセリ、オクラ、バジル、ベビーリーフ、ラディッシュなどを作っています。連作障害が懸念されたため、土はすべて新しいものに替えました。2年目に入り、少し慣れたためか、ほとんど順調に生育しています。昨年、何回植えても失敗したオクラ。今年は、驚くほど立派に成長しています。教えてもらって、初めてチャレンジしたベビーリーフとラディッシュ。面白いほどに、簡単に収穫できます。ありがたいことに、歯ごたえのある新鮮なサラダが、食卓に並んでいます。

  ただ、大変なのが毎日の水やり。
 夕方、たっぷりと水を掛けてやりますが、さすがにこの猛暑は、野菜たちにも厳しそう。土の表面はカラカラに乾き、葉も弱っています。でも、朝方になると、シャキッと生気を取り戻しているから嬉しい限りです。

 
 困るのは、花と山野草。
 
 プランターの野菜は、毎日の水やりと適度な施肥のおかげか、素人の私でも何とか生育してくれています。
 なぜか鉢植えの花は、今一つの状態。元気に綺麗な花を咲かせていたはずが、急に枯れ始めることが……。順調に茎が伸び、葉も揃ったのに、花を咲かすことなく、なぜか腐り始めます。
 水のやり過ぎなのか、肥料がたりないのかなどと、いつも悩んでいます。小さな苗から買ってきて、毎日欠かさず見て育てているだけに、一抹の淋しさがあります。

 山野草は、高岡・おとぎの森で開かれている「山野草展示会」で、少しずつ買い揃えています。雄神(おがみ)盆草会の皆さんが、丹精込めて栽培している山野草。メンバーの方々とも、顔なじみになりつつあります。
 この時期、毎月のように開催されている山野草の展示会。展示作品には、メンバーの方々が心を込めて育てているだけに、一人びとりの個性と気品がよく表れています。
 同じ山野草でも、展示作品と自分が育てている山野草とのギャップの大きさ。この1年間育ててみて、つくづくこの力量の差というものを思い知らされています。もちろん初心者が、経験豊かなメンバーのものと比べること自体が、不遜な行為なのでしょうが…。
 しかしながら、少しずつ学び、教えを受けながら、自分なりの山野草を作り上げていくつもりです。

  野菜であれ、花であれ、山野草であれ、生きものを育てることは、意外と難しいもの。自然を相手とするだけに、自分の思い通りにいくことの方が少ないようです。それだけに面白く、病み付きになります。ある意味で、知恵の出しあいという気もします。

  かわいい子供たちが、今日も待っています。
 早く帰って、たっぷりとお水をやらねば……。(O)

30年目を迎えた「8月12日」

2015.07.28

(花)オーニソガラム、ミニちょうちん、グズマニア、てまり草(葉物)ドラセナ、ゴットセファナ

(花)オーニソガラム、ミニちょうちん、グズマニア、てまり草(葉物)ドラセナ、ゴットセファナ

 また、あの暑い夏の日が来ます。
 あの日は、異常に暑かったことをよく覚えています。

 8月12日。
 日航ジャンボ機墜落事故があった日。
 今年で、30年目を迎えます。

  昭和60年8月12日に起きた未曾有の大事故。
 羽田発大阪行き日本航空123便が午後6時56分、乗員・乗客524人を乗せて群馬県上野村の「御巣鷹の屋根」に墜落。奇跡的に4人が救出されますが、単独機では史上最多の520人が死亡。航空機史上、空前の事故といわれています。

  以前東京で、4年間勤務したことがあります。
 文京区白山の東洋大学近くのマンション。このマンションの5階に住んでいましたが、ベランダ越しに相撲部屋が見えました。旧・伊勢ヶ浜部屋(元大関・清国)です。現在の伊勢ヶ浜部屋は、別の場所に移転していますが、当時は白山にあり、3階建ての堂々とした建物でした。
 1階に稽古場があり、朝稽古を終えた後、屋上にある風呂場で汗を流し、浴衣姿で力士が休んでいるのをよく見掛けたものです。近所でも、しばしば力士に会うことがあり、逞しい体に驚くとともに、何となく愛らしい仕種に親しみを覚えたものです。

  この伊勢ヶ浜親方の奥さんと中学1年の長男、小学校5年の長女の3人が、あの事故で亡くなられました。
 当時、親方の事はマスコミが大きく取り上げていましたが、まさか伊勢ヶ浜部屋の近く住むとは思わず、事故からしばらく時間が経過していたとはいえ、家族全員を一度に失った親方の心中を思うと、居たたまれない思いを抱いたものです。

  「日航ジャンボ機墜落」(朝日新聞社社会部編、朝日文庫)と「おすたかれくいえむ」(8・12連絡会【日航機事故被災者家族の会】、毎日新聞社)という本があります。

  「日航ジャンボ機墜落」の後半に、「乗客名簿」が掲載されています。
 亡くなられた520人全員の氏名や年齢、なぜこの飛行機に搭乗したのか、詳細に記載されています。朝日新聞社会部の記者が書いた、どのページの原稿よりも、この事実のみを書いた名簿の方が重く心に響きます。人生の縮図を垣間みるようで、何度読んでも滲みわたります。

  この墜落事故に関しては、山崎豊子氏の「沈まぬ太陽」(新潮文庫)、横山秀夫氏の「クライマーズ・ハイ」(文春文庫)など、多くの著書が刊行され、ドラマや映画化されています。これらの本は、著名な作家が記述しただけに、フィクションとして興味深く読めますが、個人的にはこの「おすたかれくいえむ」に勝る本は無いと思っています。

 「おすたかれくいえむ」。
 御巣鷹の峯に散った日航機123便の犠牲者の家族が、故人の在りし日の姿を偲びながら綴った手記です。事故は時とともに風化しても、残された者の想いを消すことは誰にもできません。

 一周忌を前に、遺族の方々が自分の言葉で直接思いのたけを綴ろうと、文集「茜雲(あかねぐも)」が出来ます。手づくりの47ページ建ての小冊子。題名は、JAL123便から見えたであろう夕日に染まる茜雲に、鎮魂の願いを込めて名付けられました。
 毎年発行された文集「茜雲」がまとめられ、本として「おすたかれくいえむ」が出版されました。

  妻から夫へ、夫から妻へ、子供から父へ・母へ、両親から子供たちへ、祖父母から孫へ、兄から弟へ……と、切々とした思いが語られており、胸に迫るものがあります。

  30年の節目を迎え、「茜雲 日航機御巣鷹山墜落事故遺族の30年」(本の泉社)が、新たに発行されました。
 本の帯に、ノンフィクション作家・柳田邦男さんは「喪失の深い深い悲しみというものは、30年という歳月の中で、こんなにも澄み切った慈悲の心をもたらすのかと、様々な手記の集積なのに大河小説を読んだような深い感銘を受けました」と寄せています。

  あちこちの書店を探しましたが、残念ながらこの本はありませんでした。
 予約して買い求め、鎮魂の思いを込めて読み進み、心新たに8月12日を迎えたいと思います。(O)

興味の尽きない不思議な病院

2015.07.21

(花)鉄砲ゆり、グロリオーサ、スプレーカーネーション、ビラミッドあじさい(葉物)モンステラ、ゴットセファナ

(花)鉄砲ゆり、グロリオーサ、スプレーカーネーション、ビラミッドあじさい(葉物)モンステラ、ゴットセファナ

 最近、聖路加国際病院に関する本を読みました。

 東京・築地にある聖路加(るか)国際病院。日本を代表する総合病院のひとつと言われています。
 医師や看護師、職員らすべてのスタッフを合わせると1,000人を超えるといいます。1年間に8,000件以上の手術を行い、延べ17万人の患者が入院するというから驚きです。
 言うまでもなく、この病院の理事長は日野原重明さん。103歳になられた今も、現役の医師として勤務され、数多くの著書や講演、メディア出演など、多岐にわたる活躍ぶりは余りにも有名です。

  今回読んだ本は、早瀬圭一氏の「聖路加病院で働くということ」(岩波書店)。
 初めて早瀬さんの本を手にしたのは「長い命のために」(新潮社)。もう30年以上も前のことだったと思います。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したこの本。故・児玉隆也氏の「ガン病棟の九十九日」(新潮文庫)とともに、私にとって医療や老人問題などに関心を抱く、きっかけとなった本です。

 「聖路加病院で働くということ」では、聖路加国際病院で働く数多くの医療スタッフの中から医師2名、看護師2名が選ばれ、取り扱われています。
 小児科医として、最前線で活躍してきた前副院長・細谷亮太さん。訪問看護の先駆者である押川真喜子さん。看護のスペシャリストであり、聖路加国際大学学長の井部俊子さん。そして副院長・救急部長として、今も第一線に立つ石松伸一さんの4名です。

 細谷亮太(ほそや りょうた)さん。
 ご存知の方も多いと思います。
 小児科医として、小児がん特に難病といわれる白血病の子供たちの治療の最前線に立ち、子供たちのターミナルケアにも早い時期から取り組んでおられます。
 エッセイストとしても有名で、「小児病棟の四季」(岩波現代文庫)、「川の見える病院から― がんとたたかう子どもたちと」(岩崎書店)、「いつもこどものかたわらに」(白水社)など、数多くの本を出版されており、10冊以上読ませていただきました。

  持論の「泣けなくなったら、医者をやめる」のごとく、細谷先生はよく泣かれます。

 「小児科医になり、治せなかった子ども達のそばで涙をどれくらい流しただろう。
  非力であることを思い知らされての『くやし涙』、やさしさに触れての『うれし涙』、そして人々の運命  
  のつらさに共感しての『かなしみの涙』。
  泣いてはいけないとアメリカ帰りのボスに教えられたのに、我慢ができない、流れ落ちる涙を止められな      
  い」「いつもこどものかたわらに」(白水社、29p)

 細谷亮太さんの本は、どの本もほのぼのと温かく、人間味にあふれています。幼いたましい、小さないのちを預かる医師として、小児難病の治療に全力を尽くすも、幼くして、若くして死を迎える場合があります。
 改めて、命について、死について考えさせられます。

  3年前、聖路加国際病院を定年退職された細谷さん。今後、一層の活躍が期待されています。個人的には、新しい本が出版されることを心待ちにしています。

 押川真喜子さん。
 細谷亮太さんの著書を通じて、以前からその活躍ぶりを知っていました。
 著書には、「在宅で死ぬということ」「自宅で迎える幸せな最期」(文春文庫)、「こころを看取る― 訪問看護師が出会った1000人の最期」(文藝春秋)などがあり、先駆者としての歩みと苦労話が赤裸々につづられています。

  訪問看護。
 「看護師などが居宅を訪問して、主治医の指示や連携により行う看護」とあります。
 厚生労働省は、健康保険料の増大や在宅看護の希望者の増加などにともない、訪問看護を広めようとしているようですが、まだ一般社会に普及しているとは言い難いようです。

 1990年代前半に、早くも本格的に訪問看護に取り組み始めた聖路加国際病院。訪問看護科立ち上げとともに、32歳の若さで押川さんがトップに就任。「自宅で看取りたい」「自宅で最期を迎えたい」という声に寄り添いながら、手探り状態で訪問看護を進めていきます。パイオニア的な存在であり、「カリスマ訪問看護師」ともいわれた押川真喜子さん。
 現在は、聖路加国際病院を退職され、新たな道に進んでおられます。

  聖路加国際大学学長の井部俊子さん。そして、地下鉄サリン事件で陣頭指揮を執り、今も救急部長として第一線で活躍する石松伸一さん。この2人のことは、初めてこの本で知りましたが、まさに聖路加国際病院を象徴する人材、この病院らしい人物という気がします。

  今回、紹介されていたのは、この4人だけです。
 でも、聖路加国際病院には、紹介されることがなくても、このような素晴らしい医師や看護師、職員が多く揃っている気がします。
 進取の気性に富み、自由闊達な雰囲気のある病院。一度もこの病院に罹ったこともなく、見たこともない病院ですが、なぜかそのように感じられます。
 長年、重責を担っている理事長・日野原重明さんの影響なのでしょうか。それとも、創設期からのポリシーが脈々と現在まで続いているためでしょうか。

  私にとっては、興味の尽きない不思議な病院です。(O)

この日は、さすがにバテました。

2015.07.14

(花)デンファレ、アストランティア(葉物)ユーカリ

(花)デンファレ、アストランティア(葉物)ユーカリ

 急に暑くなりました。

 12日、日曜日は、朝から2つの地域活動がありました。
 1つは、現在住んでいるA市の川沿いの草刈り。
 もうひとつは、母が暮らしているB市のイノシシ対策の電気柵設置作業です。

 A市の草刈りは、午前6時から。
 どこにでも、気の早い人はいるもの。6時スタートのはずが、5時30分頃にはもうあちこちでエンジン音が鳴り響いています。
 このC川の草刈り。
 7月第2週日曜日の恒例行事として、地域ではすっかり定着しています。総勢で、住民150人以上が参加します。C川上流から下流まで、土手の草刈りなどを一斉に行います。草刈機のある人は草刈機を、無い人は鎌や竹ボウキなどを持って集まります。
 小生は毎回、草刈機を扱いますが、春先から伸び放題の場所がほとんどのため、田の畔草刈りとは異なり、結構力仕事となります。刈り初めとともに、もう汗ビッショリ。草刈機の「歯」も、大概この草刈りでチップが取れ、ダメになります。

 大変なのは、川清掃の人。
 胸までスッポリ入る胴長をはき、2メートル近い長鎌を持って、水中に群生している川藻を根元から切る作業をします。緩やかな流れとはいえ、川の中で長鎌を振り回すのは、なかなかの重労働。年配者には到底出来ません。若者ら体力に自信のある人、10人余りが率先して頑張ります。笹舟も一艘出て、舟上からも藻の刈り込みをしますが、船上は安定せず、なかなかうまく鎌を回しきれないようです。

 この地区は、月遅れの8月七夕で、町内の中心部に大きな七夕を5~6本飾り付け、中学生による「よさこい踊り」や女性部による揃いの浴衣姿の街流しも行われます。
 子供たちによる「精霊流し」も、風情のある伝統行事のひとつで、子供たちが願いごとなどを思い々々に精霊に書き記し、夕方、川面に静かに流します。
 川の中清掃は、あくまで環境美化が目的ですが、川の流れが確保されるため、「精霊流し」を続けていくうえで、大いに役立っています。

 C川の作業は、途中で失礼して、7時10分過ぎにB市へ。

 B市の電気柵設置は、午前8時から作業開始。
 近年、鳥獣被害、特にイノシシによる被害はひどくなる一方。集落近くにイノシシはもちろんのこと、シカも顔を出すようになり、5~6キロ離れたところでは、クマが出没したと新聞に載っています。
 幼い頃は、下草刈りがきちんと行われていたため、山はきれいに管理され、鳥獣被害の話など、聞いたこともありませんでした。山が荒れ果てた、ここ7~8年前頃から、急にイノシシなどが増えた気がします。

  集合場所に集まったのは11人。
 8時前後から、じりじりと強い日差しが差し込んで来ます。
 始まる前から、何か悪い予感がします。

  電気柵の設置作業自体は、数年間経験し、皆もう手慣れたもの。
 市から4カ所が被害区域として指定され、予算の関係か、必要な資材は3年越しで全区域分が供給されました。作業手順は、木の柵は既に打ち終わっており、支柱やケーブルなどを設置し、最後にバッテリーを取付け、電流チェックして終了。

  たかが、これだけの作業ですが、いざ始めるとなると大変。指定された区域は、イノシシなどが出る場所とあって、当然山際(やまぎわ)です。フラットな平場のはずがなく、急な傾斜地ばかり。アップダウンがきつく、資材を運んでいるだけで、汗が滝のように流れます。

 11時ごろには、炎天下そのものに。
 生産組合長が、ペットボトルや缶コーヒーなど、さかんに飲物を配りますが、まったく追いつきません。山影なら凌ぎやすくて良いのですが、一歩日なたに出ると、もう肌を指すような夏の日差し。もうこの頃には、軽い頭痛が…。そして、心なしか軽い眩暈(めまい)も…。11人のほとんどが内勤者で、この暑さにへばっています。

 皆、徐々に無口になりつつも、黙々と作業を続けます。

 すべての作業が終了したのは、12時30分過ぎ。
 結局、4時間半も掛かったことになります。最後の頃には、全員くたくたの状態。
 何とか終了し、ホッとした表情が見えます。

 2カ所でノロシをあげている、この身。
 役員もそれぞれ順番に回り、様々な当番や役割も当然回ってきます。地域社会に生きる者として、2か所とも出来る範囲でこなしているつもりです。

  しかし、この日は、さすがにバテました。(O)

老化現象

2015.07.07

(花)るり玉あざみ、トルコききょう(葉物)スパイラルバンブー、イタリアンルスカス

(花)るり玉あざみ、トルコききょう(葉物)スパイラルバンブー、イタリアンルスカス

 どうも、老化現象が進んでいるようです。

 この頃、たびたび人の名前を忘れるようになり、ほとほと困っています。
 もともと記憶力がいい方では無いのですが、歳とともに輪を掛けて記憶力が落ちているようです。
 最近、突如として、人の名前がフッーと抜け落ちるのです。
 昨日話をしていた人の名前が、一晩寝るとなぜか失念してしまう。あんなに話していたはずなのに……。焦れば、焦るほど、なおさら思い出すことができない。きれいさっぱりと、名前を忘れているのです。さすがに話したことは覚えていますが、不思議と名前が飛んで仕舞い、「あの人」「昨日の人」とか、固有名詞なしで、事務所でうまく取り繕っています。
 我ながら、情けない話です。

  近頃、このような現象が、とみに増えています。
 思わぬところで、偶然にお会いした方の名前が出てこない。
 相手の方は、初めからこちらの名前を挙げて、親しげに声を掛けてくださる。こちらはというと、乏しい思考回路を最大限に駆使しますが、どうしても目の前の方の名前が出てこない。いまさら名前を聞くことも出来ません。笑顔で受け応えし、辻褄(つじつま)を合わせながら、頭の中は必死に名前を思い出そうと、フル回転。それでも結局、最後まで分からずじまい。
 数日間、心の澱み(よどみ)のように、その方の名前の事がいつも気に掛かります。でも、何気ない時に、前触れもなく「○○さんだ」と名前を出てくるから不思議です。

 もう一つ、老化現象らしきことが始まっています。

 涙もろくなっていることです。
 涙腺のネジが1本、緩くなってきたのでしょうか。何かあると、すぐに目頭が熱くなってしまうのです。
 本を読んでいて、感動的な場面に出くわすと、自然に涙が…。
 本の中の主人公になりきり、いつの間にか感極まって、涙。
 映画館で、素晴らしいシーンを迎え、目がウルウル状態に。横に座っている家人に悟られないように必死です。
 運転中、CDから流れてくる、きれいな音楽に感動すると、もう目頭が熱くなります。

 作家・高田郁さんの「みをつくし料理帖」シリーズ。
 大評判の歴史小説ですが、今春、全10巻を読み終えました。高田さんの著書、全般にいえることですが、一旦読み始めるともう止まりません。ぐいぐいと文中に引き込まれ、すっかり「高田郁モード」にハマります。
 最終巻、10巻目の残り40ページを迎える頃から、もう目はウルウルに。ラスト近く、主人公の澪(みお)が、医師の源斉とともに故郷である大坂へ戻り、新しい人生を切り開く頃には、もうすっかり滂沱(ぼうだ)のごとくに。
 恥ずかしながら、加齢とともに、涙腺の蛇口がうまく閉まらなくなったようです。

  遠くが見えない、近くも見えない。
 夜間の運転、特に雨の日はフロントガラスが見づらく、運転が怖い。
 食後歯を磨いているにもかかわらず、時々歯の調子がおかしくなる。
 髪の毛、特に頭頂部の毛が少しずつ抜け落ちる。など、など…。

 寂しいかな、還暦近い我が身には、さまざまな現象が起きています。
 進むことがあっても良くなるはずもなく、気長に付き合い、受容していくしかありません。何といっても、他でもない我が身なのですから。
 ただ願わくば、自分の名前を忘れることだけは無いようにと祈っています。(O)

Page Top