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25年後の自分

2015.06.23

(花)アンスリューム、ひまわり(葉物)木苺、ゴットセファナ、モンステラ、コンパクター

(花)アンスリューム、ひまわり(葉物)木苺、ゴットセファナ、モンステラ、コンパクター

 初蝉(はつせみ)。
 今年初めて、セミの鳴き声を聞きました。
 どこからともなく聞こえてくる、セミの鳴き声。
 まだ弱々しく、心なしか遠慮がちで、人生の哀愁さえ感じます。
 初夏の風物詩ですが、「もうそんな時期か」と、改めて時の流れの早さに驚かされます。

  高齢にもかかわらず、元気に頑張っている人がいます。
 昭和6年生まれ、御年(おんとし)84歳。
 農協会館駐車場係のAさんのことです。

  駐車場係は、長い間、ベテランのBさんが担当していましたが、事情によりしばらく休養することになり、ピンチヒッターとしてAさんが代理を務めることに。
 派遣先の警備会社からAさんの紹介があったとき、年齢を聞いてびっくり。なんと84歳とのこと。まさか80代の方が交代要員とは……。何しろ、母親と同い年なのですから。
 会ってもいないのに、年齢だけで判断してはいけないと思いますが、60代のBさんの代わりが、80代のおじいちゃんとは……。

  農協会館には、100台収容可能な立体駐車場のほかに、約70台駐車可能な平場駐車場があります。 
 この平場駐車場の管理が、駐車係の主な仕事です。
 会館の規模の割には、駐車場のスペースが十分とは言えません。物理的に限られた中で、うまくやり繰りするのが、駐車係の腕の見せどころ。当日の会議室の利用状況や会議内容などを考慮しながら、朝から駐車台数を調整します。
 午前中からフリーで駐車場へ入れると、午後に予定されている重要な会議の出席者の車が、まったく入れないことにもなりかねません。
 簡単なようで意外と難しく、時にはお客様から大きな罵声や叱責をいただくこともあります。

  Bさんの職場復帰の見通しが立たないため、とりあえずAさんに来てもらうことに。

 Aさんは慣れないながらも、汗をかきながら誠実に頑張っています。
 ベテランのBさんの場合、お客様の顔もかなり分かり、阿吽(あうん)の呼吸でうまく対応していましたが、新人のAさんにそこまで求めるのは、初めから酷な話。毎日のように、小さなトラブルが発生していて、こちらも雨の中、駐車場で走り回りながら応援することも……。

  改めて、84歳。
 59歳の私にとっては、ちょうど25年後にあたります。
 生きているかわかりませんが、25年後の自分。想像もつきません。
 憎まれっ子世にはばかるではありませんが、意外としぶくと生きているかもしれません。
 84歳で、少なくとも人中(ひとなか)で働いていることは到底考えられません。もちろん、誰も雇ってくれるはずもありませんし、働きたくもありません。
 ただ、仮に採用してもらえるなら、バイトやパートで十分ですから、一定の時期までは働かせてもらいたいと思います。収入というより、社会とのかかわりや生活のリズムを大切にしたいからです。

  第2の人生、第3の人生。
 これからが、人生の本番と考えています。ある意味で、大変楽しみにしています。
 作家・五木寛之さんは、50歳から75歳までのこの時期を、「林住期」と語っています。
 私のとっての「林住期」。読みたい本が、本棚に山積みのまま待っていてくれています。晴耕雨読ではありませんが、自分なりに出来る野菜づくりを、そして読書に思いっきり時間を割きたいと思います。
 学生時代、北海道や四国、九州など、独りでリュックを担ぎながら旅行しましたが、あの無計画な旅の中で得た、数多くの出会いは得難いものがあります。健康が、そして状況が許せば、少し足を伸ばしてみたいと考えています。

  目の前に広がる誰も歩いていない、水平な白い砂浜。
 歩くのは、他でもない自分だけです。
 ふと振り返った時、自分なりに確かな足跡を残せたらと思います。(O)

「20年後、この集落は…」

2015.06.09

(花)バラ、トルコききょう、スプレーデルファニューム、カーネーション、スターチス(葉物)ゴットセファナ

(花)バラ、トルコききょう、スプレーデルファニューム、カーネーション、スターチス(葉物)ゴットセファナ

 集落で、日帰りバス旅行に行ってきました。

  周りから「雨男」という、ありがたくない「勲章」を頂戴しているこの身。
 なぜか小生が中心となって何かを企画すると、いつも決まって雨。それも、半端ではないほどの悪天候になることも、しばしば……。
 今回も、前日まで30度近い猛暑が続いていたにもかかわらず、旅行当日だけ、雨模様。不思議と、翌日からは素晴らしい晴天に…。
 どうしてか、ピンポイントで雨が降ってきます。

  ただ、この日に関しては、バスが出発する前に雨が上がり、終日快晴に。
 むしろ、早朝まで降った雨のおかげで凌ぎやすく、頬にあたる風もさわやかで、最高の日和となりました。雨に洗われたせいか、新緑もいっそう鮮やかさを増し、青葉、若葉が目に沁みました。

  私は現在、A市に住んでいますが、B市で生まれ育ち、今もB市で母が独り暮らしをしているため、週末や休日はほとんどB市へ帰っています。わずかながら田畑や山林があり、草刈りなど農作業をするためです。
 バス旅行は、B市・集落の恒例行事で、2~3年に1度、近県に出掛けます。年齢順に幹事を務めることになっていて、今回は私が幹事役。福井県の一乗谷朝倉氏遺跡や東尋坊、月うさぎの里などを巡ってきました。

  現在、集落の戸数は16軒。
 中山間地にある、典型的な限界集落のひとつです。
 最高18軒の時もありましたが、今は16軒に減り、うち2軒は空き家状態に。さらに14軒のうち、独り暮らしの家は2軒。
 集落の若者は結婚すると、ほとんどが親元を離れてアパート暮らしをするため、いっそう高齢化が進みます。もうじき還暦を迎える私が、寄合い(よりあい)では、いつまで経っても下座に座っているのですから。

  驚くべきことは、子供がいないこと。
 赤ちゃんはもちろんのこと、幼稚園児、小学生、中学生、高校生も一人もいません。3年前に高校生が卒業した後は、未成年者はだれもいない状況です。

 子供たちが走り回り、大きな歓声が聞こえていたのは、遥か彼方の夢物語となりました。

 
 昼食時、ホテルで小宴会を催しましたが、ある人がこんなことを言っていました。
 「20年後、間違いなく、この集落は無くなるぞ」
 アルコールが入っていたとはいえ、集落では中堅的な人の発言です。
 正直、ドキッとしました。
 実際、地区全体を見渡すと、2つの集落が既に無くなっています。

  営農組合も順調に機能し、青年報恩講や尼恩講、地蔵祭りなど、集落の活動も活発です。江さらいや農道草刈りなど、年に6回程度ある人足の参加率も高く、まとまりの良い集落だと思っています。

  でも、人あっての集落です。

 心配しても仕方がないのですが、20年後、本当にこの集落はどうなっているのかと、時々不安になります。(O)

響きわたる天使の声

2015.06.02

(花)ひまわり、ゆり(枝)どうだんつつじ(葉物)ニューサイ、ゴットセファナ

(花)ひまわり、ゆり(枝)どうだんつつじ(葉物)ニューサイ、ゴットセファナ

 天使の声が、ホール全体に響きわたります。

 高岡文化ホールで開かれた、シュトゥッガルト室内合唱団のコンサート。
 無伴奏の合唱を聞くのは、今回が初めて。ピアノ伴奏はなく、男女23名による肉声だけの素晴らしいハーモニーが、会場全体を包み込みます。
 CDで、グレゴリア聖歌など合唱曲を聞くことはあっても、生で合唱を聞く機会はなかなかありません。研ぎ澄まされた世界トップレベルの合唱を聴き、ここまで深みがあり、清らかなものかと驚かされました。
 オール「ア・カペラ」のプログラムに、すっかり魅了されました。

  シュトゥッガルト室内合唱団は、「現代最高の合唱団として、世界中の主要な音楽祭に招かれ、きわめて高水準な演奏を披露し、国際的な名声を得ています。長年にわたり、その深い精神性のもと歌声を響かせてきた世界最高峰の合唱団であり、重厚で透明な声が奏でる色彩のハーモニーが堪能できます」とあります。

 プログラムは、ミサ曲やラフマニノフ、メンデルスゾーンなどの合唱曲。
 演奏曲は、初めて聞く曲ばかり。唯一知っていた曲は、グリーグの組曲ペール・ギュントの有名な1曲、「ソルヴェングの歌」のみ。
 でも、知っている曲とか、知らない曲とか、全く関係なかったようです。23名の美声が生み出す清らかなハーモニーに、スーッと引き込まれていきました。

 コンサートでは珍しく、合唱曲の歌詞対訳が配られました。
 左側に原文が、右側に日本語訳が記されています。原文は、多くがドイツ語。一部、見慣れないロシア語とラテン語もあったようです。(もちろん、私ごときが分かるはずがありません。近くの男性からの仄聞です)大学時代に2年間学んだドイツ語。当然、今頃覚えているはずもありません。でも、不思議なことに、時々知っている単語が出てきて、意味が分からないなりに、字面を追うことが出来ました。

 前席に、60代後半らしきご夫妻が座っておられました。
 コンサートが始まってしばらく経つと、奥様が気持ちよさそうに、舟をこぎ始められます。隣のダンナ様が周りを気にしてか、肘で軽くチョンチョン。奥様の体が、一瞬ピタッと止まります。曲が進むとともに、余程お疲れなのか、再びゆっくりと舟をこぎ始められます。
 休憩時間に、和やかに会話していたご夫妻。
 後半の部が始まるとともに、またもや奥様のお舟が登場。そして、ダンナ様のチョンチョンも再登場。前の席だけに、否が応でもお二人の遣り取りが視線に入ってきます。
 結構長い間、仲睦まじく「お舟」と「チョンチョン」を続いておられました。

  コンサートを通じて、目に見えない何か温かい、大きなものに抱かれている不思議な感覚に陥りました。
 もし天使の声というものがあるなら、こういったものかと思いながら、響きに浸っていました。

  演奏会が終わって家路につく時、外の風がいっそう爽やかに感じられました。(O)

緑陰雑感

2015.05.26

(花)エビデントラム、カーネーション、スプレーカーネーション、スプレーバラ(葉物)縦縞フトイ、ナルコラン、ギボウシ

(花)エビデントラム、カーネーション、スプレーカーネーション、スプレーバラ(葉物)縦縞フトイ、ナルコラン、ギボウシ

 ブログを読んでいただき、ありがとうございます。

  このブログを始めてから、早いものでもう10カ月が経とうとしています。
 1週間に1度だけの更新ですが、いつも呻吟を繰り返しながら書いています。400字詰め原稿用紙にして、5~10枚程度。これだけの分量ですが、いざ書くとなると、意外と時間がかかります。スムーズに書けたためしがなく、毎回、推敲に推敲を重ね、やっとの思いで仕上げています。
 それでも、ブログを止めようと思ったことは無く、週末ともなると、なぜか文章が書きたくてムズムズしてきます。

  ブログを書くのは、おもに日曜日の夜。
 夕食をとり、風呂に入ってから、パソコンと向き合います。平日に書き進む時もありますが、平日はたいがい何を書こうかとテーマ探しに充てています。本を読んでいても、歩いていても、通勤電車の中でも、どこかにヒントがないか、糸口がないかと、題材探しに明け暮れています。
 書く内容が決まると、「起承転結」「序破急」など、それなりに文章構成を考え、頭の中で少しずつ文章を練り上げていきます。

  高校時代、新聞部に入っていました。
 文章に興味をもった原点は、ここにあるようです。

  たまたま姉の親友が、新聞部の部長をしていて、熱心に誘われたのがきっかけです。
 深く考えて入部した訳ではなく、軽いノリです。
 誰も読んでくれない高校新聞。ほとんど見向きもされない校内新聞。そんな新聞を、学期末の終業式の日、タブロイド版かブランケット版4ページ建てで、年3回発行しました。青臭い新聞づくりですが、部活を通じて、原稿用紙のマスに一字々々埋めるつらさ。語彙力の無さ、文章力の無さを身に沁みで教えられた気がします。
 クラスメイトが、期末テストに向けて必死に勉強している最中、かたや締切りが迫り、原稿書きと新聞づくりに追われるつらさ。

  今から思うと、あの新聞部のおかげで、痛切に読書の大切さを感じ、深く本に関心を抱き始めた気がします。

 先日、富山駅近くの楽翆亭美術館に行って来ました。
 しっとりとした、落ち着いた美術館です。好きな美術館のひとつです。

  帰りに売店で、ある本が目にとまりました。
 女優・山口智子さんのエッセイ集「掛けたくなる軸」(朝日新聞出版)です。
 「山口智子さんが選んだ日本全国の職人による手技の名品を紹介した」本で、気品が漂い、味わい深い文章が綴られています。山口智子さんが、このような本を出版されていることを全く知りませんでした。
 読み始めていますが、つくづくこのレベルの文章を書けるようになりたいものです。

  いつまで、このブログを続けられるかわかりません。
 できれば、もう少しまともな文章を紡いでいけるよう研鑽を重ねたいです。もうしばらくお付き合いください。(O)

「おむすび」に秘められた力

2015.05.18

(花)グロリオーサ、トルコききょう、モカラ(葉物)スパイラルバンブー、木苺

(花)グロリオーサ、トルコききょう、モカラ(葉物)スパイラルバンブー、木苺

 日曜日の早朝、大きな花火が一発上がりました。
 「何かなー」と思っていると、地元小学校の運動会の合図だったようです。
 もうそういった年代の子供がいない身にとっては、なかなか学校行事についていけません。

  運動会といえば、父親にとっては場所取りが、母親にとってはおいしい弁当作りが大きな役割でした。
 たかが場所取りですが、少しでも子供たちの活躍ぶりを見たいと、朝早くから良い場所取りに出掛けたものです。幼稚園、小学校と続きましたが、かなり早い時間から出掛けたつもりでも、既に多くのランチマットで敷いてあり、驚いたものです。
 家内も、いつもにも増して、弁当作りに力が入っていたようです。
 子供たちの好物はもちろんのこと、到底食べ切れないほどの量を早朝から頑張って作っていました。子供たち以上に、家内の方がウキウキと嬉しそうでした。

  運動会の休み時間に、青空のもと、皆で食べたお弁当の美味しかったこと。
 おかずもさることながら、おむすびの美味しかったこと。
 木陰の下で、さわやかな風を受けながら、食べるおむすびは格別でした。

 
 おむすびといえば、「おむすび」を通して、「食」をとても大切にしている人がいます。
 青森県在住の佐藤初女(はつめ)さんです。

  93歳になられた現在も、全国各地で講演しておられると、お聞きしています。
 富山県にも、2010年8月に魚津市「森のゆめ市民大学」の講師として、来県されています。

  「森のイスキア」「おむすびの人」として、有名な佐藤初女さん。
 「食はいのち」と語り、毎日の食生活の大切さを訴えておられます。

 もちろん、佐藤さんに直接お会いしたことはありません。
 佐藤さんの事を初めて知ったのは、確か10年程前だったと思います。叶わない夢ですが、以前から「森のイスキア」におられる、佐藤初女さんを訪問したいという強い願望があります。

「いのちの森の台所」(集英社文庫)、「森のイスキアで話したこと」(創元社)、「いのちを養う食」(講談社)など、今までに著書7~8冊を読ませてもらいましたが、いつも文脈にスーッと入り込めるから不思議です。

 森のイスキアには、全国各地から悩みを抱えた人や佐藤さんを慕う人達が訪ねています。
 森のイスキアでは、俗にいう贅沢な料理でもてなくことはないそうです。地元でとれる山菜や、旬の野菜や魚介類、季節にあった食物、なるべく素材の持つ力を活かした手作り料理でもてなすそうです。

 もちろん、佐藤初女さん自ら握るおむすびが、メインであることには変わりがありません。たかが「おむすび」が……と、思われることでしょうが、多くの方が、このおむすびに癒し慰められ、いつの間にか解決の道を見出して帰られるというから不思議です。

 日々の忙しさの中で、何気なく食事をしています。
 意外と「食」というものを、ないがしろにしている気がします。

 「おむすび」ひとつで、人生が変わるという佐藤初女さん。
 私も、そんな「おむすび」を握れるものになりたいものです。(O)

赤ちゃんの泣き声が聞こえる美術館

2015.05.12

(花)粟、ゆり、デンファレ、クレマチス、スプレーカーネーション(葉物)ヒバ、ドラセナ

(花)粟、ゆり、デンファレ、クレマチス、スプレーカーネーション(葉物)ヒバ、ドラセナ

 ゴールデンウイークに、ある美術館へ行って来ました。
 「世界一かわいい美術館」です。
 今年3月にオープンした、この美術館。地方紙で、初めてその存在を知り、不思議なネーミングといい、ずっと気にかかっていました。

  あいの風鉄道の水橋駅前にあるという「世界一かわいい美術館」。
 ナビを頼りにセットした目的地に着いても、それらしき建物が見当たりません。しばらく探してもわからず、TELしてみると、なんとすぐ傍の建物が美術館。
 古民家を移築して造ったという、平屋の美術館。一見すると、ふつうの住宅にしか見えません。正面に掛けられた看板もやや小さく、分かりづらいもの。でも、この遠慮がちな看板こそが、この美術館に相応しいのかもしれません。

 美術館に足を踏み入れて、ビックリ。
 なぜか赤ちゃんの泣き声が、館内に響き渡っています。

 静寂、静謐をもっとも大切にするはずの美術館。他の美術館では、まず考えられません。
 そんなに多くの美術館に足を運んだわけではありませんが、赤ちゃんの泣き声はもちろんのこと、赤ちゃん連れの方を拝見したことも、一度もありません。

  しかしながら、作品を鑑賞しはじめるとともに、そういったことが全く気にならなくなり、むしろ赤ちゃんの泣き声がなぜか会場にマッチしているような、不思議な感覚にさせられました。

  とにかく、この美術館はすごい。
 建物自体は、確かに「世界一」かわいいものかもしれませんが、その展示物の充実ぶりは驚きそのものです。

  ある篤志家が、個人で蒐集(しゅうしゅう)してきた美術品、工芸品等を、多くの人に観てもらいたいと、美術館を新設したとのこと。観覧料は、無料です。
 現在は、企画として「文化勲章受章者作品展」を開催中。
 東山魁夷、奥村土牛、平山郁夫、杉山寧、奥田元宋、小林古径、小倉遊亀など、錚々たる作家の作品群です。約100点の展示作品ですが、ただただ圧倒されました。
 素人考えですが、本来ならば、これらは山種美術館や根津美術館クラスの美術館に展示されるべき作品だと思います。

  通常の美術館なら、作品と作品の間に一定の距離と空間があり、「間」を大切にしています。照明にもさまざまな工夫が施され、陳列の順番ひとつとっても、かなり用意周到な準備のうえで、配置されます。

  失礼ながら、この美術館には余りそれらのものがありません。
 知人宅の広間と廊下で、絵画を鑑賞しているような雰囲気があります。
 近代的な美術館のように整った環境で作品に触れるのではなく、作品そのものと1対1で対峙して鑑賞するスタイルが、この美術館の特徴といえます。
 信じられないほど、間近で一級品を鑑賞することができます。赤ちゃんの泣き声に代表されるように、変に肩肘を張ることもなく、家庭的な雰囲気の中でゆっくりと鑑賞できる良さがある気がします。
 これらは、他に類がない素晴らしさと思います。

  川合玉堂の「彩雨」は、以前から好きな絵です。
 絵はがきを持っていましたが、直接鑑賞する機会はありませんでした。今回、まったく予期しないままに、突如目の前に現物が現れ、驚きとともに深い感激を受けました。
 「元宋の紅」として有名な奥田元宋さん。大好きな作家の一人です。いつもの紅を基調とした晩秋の風景画ではなく、「水仙」という気風の違った作品に接し、新鮮なイメージを受けました。

  一番感動を受けたのは、東山魁夷の「峰陽」です。
 つたない私の言葉では、とても十分に表現することができません。
 もしよろしければ、ご自分の目で鑑賞してみてください。(O)

窓越しに見える新緑の輝き

2015.04.28

(枝)満作(花)オーニソガラム、カーネーション、スプレーカーネーション、トルコききょう(葉物)ナルコラン

(枝)満作(花)オーニソガラム、カーネーション、スプレーカーネーション、トルコききょう(葉物)ナルコラン

 新緑が、目に優しい季節となりました。

  沙羅双樹(さらそうじゅ)が、日ごとに新緑の輝きを増しています。
 事務所から窓越しに見える沙羅双樹。
 小さな庭の中央に、5、6本かためて植えられています。
 隣のビルが、道路を隔てて近くに建てられているため、事務所がある1階からは、自然の風景を楽しむことが出来ません。青空はもちろんのこと、残念ながら四季の移ろいを感じることもあまり出来ません。
 でも、デスクから見える沙羅双樹の木々をとおして、自然の歩みを味わっています。
 限られた、わずかな空間ですが、1年を通じて美しく変化してくれ、仕事の合間に心癒されています。

 この沙羅双樹の木々。
 「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす 奢れる者も久しからず……」と、平家物語の冒頭に登場し、あまりにも有名です。
 新緑のこの時期。若葉がゆたかに満ちあふれ、淡い緑色から深い緑へと彩りを増しています。白い可憐な花が咲きそろう5月。これからが楽しみです。

 目には青葉 山ほととぎす 初鰹

 ちょうど、この時期を詠った句なのでしょうか。
 江戸中期の俳人・山口素堂(そどう)の作とあります。
 「目にはまぶしく輝く木々の新緑が映り、耳には山ほととぎすの鳴き声が聞こえて、口では新鮮な初鰹を味わう」ことを表すそうです。「青葉」は視覚、「ほととぎす」は聴覚、「初鰹」は味覚と、それぞれで季節感を表し、季語が3つもある珍しい俳句ともあります。

 山々も、新緑が眩いばかりに映えています。
 花水木(ハナミズキ)が所どころで咲き、柔らかな色彩を見せています。白や薄いピンクの花をつける花水木。見ているだけで、なぜかホッとさせられる不思議な花です。
 芝桜も、赤、薄紫、白色の花を咲かせ、鮮やかなコントラストを見せています。この芝桜に魅せられている人も多いのでは、と思います。

 さわやかな清風が吹き、百花繚乱のこの時期。
 花を愛でる心、自然のいとなみを慈しむ感性を、大切にしたいと思います。(O)

 PS.
5月4日は、ゴールデンウイークのため、ブログを1回休ませていただきます。
次回は、5月11日の予定です。

雲外蒼天(うんがいそうてん)

2015.04.20

(花)すかしゆり、オンシジューム、バラ(葉物)ドラセラ

(花)すかしゆり、オンシジューム、バラ(葉物)ドラセラ

 ただ今、時代小説作家・高田郁さんの本にハマっています。

 高田郁という作家を知ったのは、今年2月。
 失礼ながら、郁(かおる)という漢字が読めず、女性であることがわかったのも、しばらく経ってから。

  新聞の書評で、著書「ふるさと銀河線 軌道春秋」(双葉文庫)を称賛する評論家がいて、さっそく購読。期待にたがわず、大変おもしろくて、続けて「晴れときどき涙雨」(幻冬舎文庫)を購入。以来、すっかり高田さんの文体に魅せられ、「次も」「さらに」と進み、4月に入ってから、「みをつくし料理帖」シリーズ(ハルキ文庫)全10巻にチャレンジ中。

  「みをつくし料理帖」は、
 「大坂で少女の頃に水害で両親を失い、天涯孤独の身となった18歳の女性が、江戸・神田の料理屋『つる屋』の調理場を任され、大坂と江戸の味の違いなどに戸惑いながらも、天性の味覚と負けん気で、日々研鑽を重ねていく」小説です。

  当然ながら料理を題材とした本ですので、季節に合った旬の食材や趣向を凝らした料理が、数多く登場します。「食」を通して、江戸時代の生活習慣や食文化に触れられるだけでも楽しいのですが、繰り広げられる人情話に、ついつい引き込まれてしまいます。
 そこには、山本周五郎さんや山本一力さんなど、男性作家が描く江戸とは趣(おもむき)の異なった、やさしく、温かみのある江戸が、女性目線で息づいています。

  主人公の澪(みお)は、一人の料理人として、お客さんに少しでも美味しく食べてほしい、食べることで喜んでもらいたいと、限られた食材の中で、様々な新しい料理を考案しながら料理を作り続けます。

  澪の歩みを象徴するたとえとして、たびたび「雲外蒼天(うんがいそうてん)」という言葉が、本の中で登場します。

 雲外蒼天とは、「雲外に蒼天ありという。暗雲の外に出れば、蒼穹(あおぞら)は広く、あたたかい。雲は、さまざまな障害や悩みの意。困難を乗り越え、努力して克服すれば、快い青空が望めるという意味。絶望してはいけないという激励のことば」と、ネットにあります。

  いい言葉です。
 大切に心にしまっておこうと思います。

  現在、折り返し地点を過ぎ、6巻目「心星ひとつ」まで読み進んでいます。
 今月末までには、全巻読破し、なんとかゴール出来そうです。

  はたして、ストーリーはどのように展開するのか?
 このワクワク感、高揚感がたまりません。
 まさに、私の至福の時です(O)

本間一夫さんの笑顔

2015.04.13

(花)アマリリス、アンスリューム、モカラ、スプレーカーネーション(葉物)ナルコラン、モンステラ、レザーファン

(花)アマリリス、アンスリューム、モカラ、スプレーカーネーション(葉物)ナルコラン、モンステラ、レザーファン

 一時期、点字を習っていました。
 20歳の頃だったと思います。

  朝日新聞の「点訳ボランティア養成コース、養成者募集」の記事が目に留まり、さっそく応募することに。募集人員は、約30名。毎回、多数の応募があるとのことで、申込用紙とともに受講希望を書いた作文も提出。選考の結果、何とか受講生に。

  点訳者とは、目の不自由な方のために、文章を点字に翻訳する人のこと。
 点字は、6つの点の組み合わせからなり、独特のルールにもとづき、点訳します。点訳者は、すべてのルールをマスターし、根気強く1点1点、紙に直接打って点訳します。
 現在は、「パソコン点訳」が開発され、目の不自由な方の要望にしたがい、以前よりは容易に点訳図書ができるようです。その当時は、すべてボランティアの手作業に頼らざるを得ない状況で、点訳本がかなり不足していたため、点訳奉仕者の養成が急務だったようです。

  養成講習の会場は、西新宿・高層ビルの一角にある朝日カルチャーセンター。講習会の初日に出席して、びっくり。受講生のほとんどが、女性。しかも、50代から60代が中心で、多くは時間的な余裕のありそうな方々ばっかり。

  講師は、本間一夫先生。
 この時は、本間一夫先生が日本で初めて点字図書館を創設した人で、視覚障害者のために大きな足跡を残された方であることは、全く知りませんでした。
 笑顔がとても素敵で、物腰が柔らかく、好々爺といった印象を受けました。
 講習は、週1回の半年コースだったと記憶しています。かなり通いましたが、恥ずかしながら途中で挫折し、修了書はもらえませんでした。それでも当時、点字で手紙らしきものを出していましたので、一定のレベルには達していたと思います。

  本間一夫さんの本が、岩波書店から出版されたのが昭和55年。
 「指と耳で読む-日本点字図書館と私」(岩波新書)と題された本。発刊とともに購入し、終読したことは覚えていますが、今回改めて再読しようと本棚を探しても見つかりません。
 残念ながら、書店にも並んでいませんでした。

  ネットで、本間一夫さんのことを確認すると、

 「昭和-平成時代の福祉活動家。5歳のとき失明。昭和15年自身の蔵書をもとに、日本初の点字図書館を東京にひらく。点字学習の指導や点訳者の育成につとめ、点字図書、テープ図書の貸し出し、盲人用生活器具の開発や普及につくす。87歳。北海道出身。関西学院大卒」とあります。

  いまだに、ふと本間一夫さんのことを想い出すことがあります。
 柔和そのものの笑顔が、とても懐かしく目に浮かびます。
 ただ、点訳ボランティアが中途半端に終わったことが、心に刺さった小さな棘(とげ)のように時々疼くことがあります。(O)

静かに老いてゆく愛犬との日々

2015.04.06

(花)ガーベラ、ラナンキュラス、カーネーション、スプレーカーネーション、スイートピー、マーガレット(葉物)レモンリーフ、、ブプレリューム

(花)ガーベラ、ラナンキュラス、カーネーション、スプレーカーネーション、スイートピー、マーガレット(葉物)レモンリーフ、、ブプレリューム

 家路に着き、玄関ドアを開け、真っ先にすることがあります。
 愛犬が、寝息をたてているか、確認することです。

  わが家の愛犬トーマスは、17歳。
 犬の年齢早見表によると、人間に換算して、もう84歳過ぎ。
 もうすっかり、お爺さんです。毎日、眠り続けています。信じられないほど、ひたすら眠っています。
 帰宅して、寝ているトーマスのお腹が、静かに動いているのを確認すると、正直ホッとします。

 当地に転居する際、子供たちと犬を飼う約束をしました。
 子供たちが、ペットショップへ足蹴(あしげ)く通い、選んだのが今のトーマス。柴犬なのに、なぜか名前はカタカナの「トーマス」。当時人気のあった、幼児番組「機関車トーマス」から命名したようです。

  飼い始めた頃は、小さくて両手に乗るほどの大きさ。子犬の頃は、見ているだけで、しぐさが可愛らしく、子供たちのおもちゃ代わりに。
 子供たちとの初めの約束、「犬の世話は、ちゃんとみるから……」を守ったのは、ほんの2カ月間だけ。いつの間にか、子供たちは「部活がいそがしい」「塾に行かなくてはいけない」とのたまうことに。予想どおり、可愛がるのは子供たちの役割、世話はすべて父親の務めに。朝晩、2回の散歩、食事や下の世話、そして犬小屋の掃除……。結構、やることがあります。

 エネルギーにあふれる成犬になってからは、生きる活力をもらった気がします。
 ただ、柴犬のオスのためか、成犬になってから何回咬まれたことか。遊んでいて、甘がみかと思うと、本気でガブリ。なにを考えているものやら。「誰が一番世話しているか、わかっているのか」と、本気で怒りたくなります。

 トーマスは、散歩が大好き。
 夏場、何を勘違いしたのか、空が白み始める午前4時前から、「散歩に行こう」と大きな声で吠えることも。ご近所に迷惑が掛かるので、結局、眠い目をこすりながら、散歩に行く羽目に。
 でも、トーマスとの散歩のおかげで、毎日規則正しい生活が送れ、かなりの距離を歩いた時期もありましたので、健康維持には大変役立った気がします。

  今のトーマスはといえば、目や耳はおろか臭覚もおぼつかない状態。最近は、とみに足腰が弱り、前脚で何とか立ち上がっています。それでも、相変わらず朝晩、1日2回の散歩は続けています。散歩といっても、すぐ近くの町内を回ってくるだけ。後ろ脚を、ややひきずるように歩き、ステップしているような有様。老犬がゆっくり歩く傍らで、介護しながら付き添っています。

 つらいのは、家の前の外階段。あれほど元気に駆け下り、駆け上がっていた、わずか3段の階段。今は、かなり時間を掛けて上り下りするか、時々抱えてやっています。
 排泄は、全くといっていいほど、失敗しない犬でしたが、この頃粗相をするようになりました。こちらは、怒る気もないのに、後片付けをしていると、申し訳なさそうにしています。
 食欲旺盛で、食いしん坊でしたが、今は食も細くなりつつあります。

 17年間のトーマスとの歩み。
 静かに老いてゆく愛犬との暮らしは、ふと自らの老いと重ね合わせられ、胸にしみるものがあります。

  どれだけ疲れて家に帰っても、人であれ、犬であれ、猫であれ、自分の帰りを心待ちにしている人、動物がいることは嬉しいことです。
 トーマスは、17年間、ひたすら私の帰りを待ち続けてくれています。

 こんな日が、一日でも長く続くことを日々願っています。(O)

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