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白いタペストリー

2016.01.26

[花] ゆり(レクサス)、ラナンキュラス、麦、[枝] ねこ柳、[葉] ドラセナ、コンパクター

[花] ゆり(レクサス)、ラナンキュラス、麦、[枝] ねこ柳、[葉] ドラセナ、コンパクター

 諏訪内晶子さんの著書、「ヴァイオリンと翔る」(NHKライブラリー)を読み終えました。

 世界的に活躍をしているヴァイオリニストの諏訪内晶子さん。
 ご存知の方も多いと思いますが、諏訪内晶子さんは世界3大コンクールである、ベルギーのエリザベート王妃国際音楽コンクールで第2位、4年に1回開催のロシア・チャイコフスキー国際コンクールで、18歳、史上最年少で優勝という輝かしい経歴の演奏家です。

 著名な人ですので、名前は知っていましたが、今まで生演奏を聞く機会もなく、本を手にするのも今回が初めて。どなたか忘れましたが、この本を素晴らしい良書として紹介する方がいて、読んだ次第です。

 諏訪内さんが26歳の時に執筆したという、この本。
 語彙力が豊かで、文体も理路整然としており、多くのことを教えてもらいました。この若さで、きちんと自分の考えを持ち、文章として表現できることが驚きです。ヴァイオリンといい、文章力といい、神は諏訪内さんに最高の賜物を与えたのでしょうか。

 本の中では、数々の国際コンクールで輝かしい栄誉に浴するも、テクニックの最高峰のみを求めるのではなく、自分だけの音に仕上げるために、必死に向き合う姿が書かれています。そのために、作曲家が書き上げた譜面に秘められた、時代背景や思想、心情などを含めて深く読み取るとともに、音楽とは別に、人間として幅広く成長することを真摯に求める姿が記されています。

 文章の上手な方は、各分野におられますが、音楽界にも何人かおられます。
 知っているだけでも、指揮者では小澤征爾さん、岩城宏之さん、佐渡裕さんなど。ピアニストの中村紘子さん、ヴァイオリニストの千住真理子さんも有名です。N響関係では、コンサートマスターの篠崎史紀さん、オーボエ奏者の茂木大輔さん、元・第一ヴァイオリン奏者の鶴我裕子さんなど。

 主なものは読ませてもらっていますが、個人的には岩城宏之さんと鶴我裕子さんのエッセイが好きです。「バイオリニストに花束を」(中公文庫)などの著書がある鶴我さん。新刊本がなかなか出版されないのが、残念です。
 岩城さんは、既に故人となられましたが、洒脱で軽妙なタッチの文章が好きです。特に「九段坂から ― 棒ふりはかなりキケンな商売」(朝日文庫)は、赤裸々な岩城さんを知ることが出来、一番好きな本です。諏訪内さんの本に刺激されて、音楽関係の本が読みたくなり、「岩城音楽教室 ― 美を味わえる子どもに育てる」(知恵の森文庫)を読み始めています。久しぶりに懐かしい岩城宏之さんにお会いしているようで、いつもに増してウキウキしながら読み進めています。岩城宏之さんは、いい人ですね。

 この頃、人生はタペストリーではないか、と思う時があります。

 この地に生まれた時、一人ひとりに見えないが、1枚の白いタペストリーが与えられています。
 このタペストリーに生涯にわたって、毎日々々、一本ずつ幾度となく糸を通していきます。赤、黒、白、黄色など、糸は数多くあり、複雑に絡み合っていきます。時には、糸の太さも微妙に違います。
 いつの間にか、真っ白だった布地が、意識しないうちに少しずつ埋まっていきます。
 生きている間は、裏側しか見ることが許されず、途中は複雑怪奇で、何を作っているのか、自分でも皆目わからない。まるで、刺繍の裏側を見ているように……。
 それでも、ひと針、ひと針、心をこめて糸を通し続けます。
 そして最期に、初めて表側をみせてもらう時、いつのまにかきれいな作品に仕上がっています。
 「どうして自分だけが…」「なぜこのようなことばかりが起きるのか…」と悩み苦しみ、糸が複雑に絡み合い、多岐にわたればわたるほど、逆に表は立派に完成するようです。

 諏訪内晶子さんは、17歳でエリザベート王妃国際音楽コンクール2位、18歳でチャイコフスキー国際コンクール優勝という、若くして素晴らしい糸をタペストリーに紡いておられます。でも、芸術家として、日々悩み苦しみ、悶々とした中で、さらなる音の高嶺を求めて、日々糸を通しておられることと思います。

 すべての人にも、白いタペストリーが届いているはずです。
 一人ひとり、大きさも模様も異なっていても、どの作品も最高傑作に仕上がると思います。もとより諏訪内晶子さんとは比べる必要もありませんが、小生も倦むことなく、片時も休むことなく、糸を紡いでいきたいと思います。(O)

街中で、すれ違う人

2016.01.19

ひとあし先に、春が来ました。[花]ガーベラ(ファニー)(ファンタ)(バナナ)、カーネーション(エクセリア)、かすみ草(ピンク染)、[葉]丸葉ルスカス

ひとあし先に、春が来ました。[花]ガーベラ(ファニー)(ファンタ)(バナナ)、カーネーション(エクセリア)、かすみ草(ピンク染)、[葉]丸葉ルスカス

 以前、毎朝のように会う女性がいました。
 いつも富山駅前の交差点あたりで、すれ違いざま会っていました。
 昨年6月頃から、地下道に変えましたので、最近はもう会うことはなくなっています。

 その女性の方は、ダウン症の人です。
 20代前半くらいだったのでしょうか。いつもリュックを背負い、ちょこちょこと小幅で歩いていました。街中でダウン症の人を見かけると、なんとなく顔つきや体つきでわかります。ダウン症の人は、比較的年齢より若く見えますので、もう少し上だったのかもしれません。

 「ダウン症」という言葉は、前から知っていました。
 でも、初めて具体的に教えてもらったのは、正村公宏さんの著書「ダウン症の子をもって」(新潮社)でした。確か二十歳頃だったと思います。この本は現在、新潮文庫となり、本屋の書棚によく並んでいますが、読んだ時は単行本でした。
 著名な経済学者で、当時専修大学の教授だった正村公宏さん。正村教授は、マスコミでもよく取り上げられ、経済に関する著書は、ゼミの学びの中でも結構利用させてもらいました。
 このような正村教授に、ダウン症の子供さんがおられると知り、驚きました。本の内容は、ほとんど忘れましたが、正村教授がダウン症の子供さんを心から愛し、成長を楽しみにしながら、しっかり育てておられたことは覚えています。実に、いい本です。

 
 ダウン症の子供さんを育てておられる方に、大平光代さんがおられます。
 小生の読書ノートを繙いてみると、大平さんのこのような言葉が記してあります。

 「ダウン症の母となって初めて、なにが自分にとって大切なものなのか、見えてきました。振り返ると、そこにある家族の笑顔、新緑を揺らす風、水面をはねる陽光、ゆったりと流れる日々の時間、季節の移ろい。昔は何も感じなかったことが、いまはどれも愛おしく思える」(引用本、不明)

 大平さんのことは、以前にブログに書かせていただきましたので、もう触れません。
 ただ、失礼ながら、日々大変なことがあると思いますが、何か余裕を持って子育てをしておられるように見えます。

 街中を歩いていると、時々ダウン症の方に会います。
 ダウン症の方は、心優しく、とても素直な方が多いと聞いています。
 小生に何が出来るわけでもありませんが、いつも何かお役にたつことがあれば、と思いつつ歩いています。(O)

週末の「集落通い」

2016.01.13

[花]デンファレ(アンナ)、フリージア(アラジン)、スプレーバラ(レモンド)、[葉]ゴットセファナ、ユーカリ

[花]デンファレ(アンナ)、フリージア(アラジン)、スプレーバラ(レモンド)、[葉]ゴットセファナ、ユーカリ

 新しい年がスタートして、早や10日余り。
 正月気分も、すっかり抜け切ったという感じです。

 先日、母が一人暮らしをしているA市で、集落の初寄り合いがありました。
 中山間地に位置する、この集落。典型的な過疎地帯にあたり、現在の戸数は14軒。徐々に戸数が減少し、集落内の高齢化が進んでいます。
 昨年、約2キロ離れた地に、振ってわいたように三井アウトレットパークが誕生しましたが、山あいの集落には無関係だったようです。

 初寄り合いでは、新年度役員の決定、市役所への陳情事項や集落の問題などを話し合いました。わずかな戸数とはいえ、昔からの役回りだけはしっかり残っています。ほぼ全員が、何らかの形で役割分担することになります。役員といっても、主な役員はすでに順番が決まっており、余程の理由がない限り断ることはできません。
 小生は、生産組合長になりました。任期は1年です。

 会合での長老格は、80代前半の人。70代・60代が会議の中心となり、50代はヒヨコ扱いです。還暦間近の小生は、いつも定席の末席に座り、自由な雰囲気とはいえ、発言はなるべく控えています。
 集落の20代、30代の多くの若者は、結婚とともに生家を離れます。アパート暮らしか、交通の便が良く住みやすい地で、新居を構えることが一般的となっています。世代交代しようにも、交代すべき若者が少なくなっているが実状です。

 今年の話題の中心は、やはりイノシシ対策。
 昨年も、秋の収穫時期に米にかなりの被害を受けました。以前から電気柵を広範囲にわたって設置してきたとはいえ、電気柵の無い場所にイノシシがうまく移動するため、イタチごっこの状態です。イノシシは多産系だそうで、相当数増えているようです。
 現在、市役所に対し、新たに3か所に電気柵の設置を要望しており、一方では集落に初めてイノシシ捕獲用の檻(おり)が2基提供されることが決定したそうです。
 はたしてイノシシを、何匹捕獲することが出来るものやら。

 小さな集落とはいえ、昨年、地元神社の屋根瓦の一部葺き替え工事に約200万円掛かり、さらに森林組合の指導にもとづき、現在集落近くの山林に新しく林道を敷設中で、補助金を除く不足分について、集落に一定額の負担金が掛かることになっています。少ない戸数とはいえ、共同体として集落を守っていくためには、それなりに負うべきものが出てきます。
 ただ、今後10年先、20年先の集落の将来を考えると、言葉がありません。

 小生は現在、A市に隣接するB市に住んでいます。
 2か所で住居を構え、ノロシを挙げている訳ですから、当然双方で固定資産税や保険など一定の負担がかかっています。それ以上に大変なのは、役割分担や各種行事の参加など、何かと土・日曜日、祝日の時間的な制約が増えていることです。
 A市は、生まれ育った地であり、何よりも母が一人で元気に頑張ってくれています。先祖伝来のわずかな田畑を守ろうなどと、大上段に構えたことは考えていません。
 しかしながら、集落では一応「若者」の部類に属しています。後継者が減少していく中にあって、B市から車で約20分余り離れていますが、当分週末の「集落通い」を続けるつもりです。(O)

「翼をください」に思いを寄せて

2016.01.04

[花]ゆり(オークラ)、アナスタシア(サニー)、ピンポンマム(白)、[実]千両(赤)、[枝]若松、金行李柳

[花]ゆり(オークラ)、アナスタシア(サニー)、ピンポンマム(白)、[実]千両(赤)、[枝]若松、金行李柳

 新年あけましておめでとうございます。
 今年も、よろしくお願い申しあげます。

 今年は例年になく、とても温かく、穏やかな正月三が日となりました。
 人生、60年間近く生きてきましたが、これほど温暖な正月は記憶にありません。
 年末年始、何かと気忙しかっただけに、足回りがよく助かりましたが、ここまで温かいとどこか末恐ろしい気もします。やはりエルニーニョ現象の影響なのでしょうか?

 正月、何気なくBS朝日を見ていたら、「翼をください」のメロディーが流れていました。
 フォークグループ・赤い鳥が歌い始め、やまがたすみこ、山本潤子さんらによって歌い継がれてきた、この曲。とても好きな曲です。歌詞もメロディーもよく、心に響きます。個人的には、やまがたすみこさんのカバーが、一番好きです。あの透明感のある声、のびやかな高音に惹きつけられます。
 最近では、音楽の教科書にも取り上げられ、小中高の合唱コンクールでもよく歌われていると聞き、嬉しくなりました。

 かつて、この「翼をください」を挿入歌とした映画がありました。
 「翼は心に付けて」という映画です。
 この映画が上映されたのは大学4年の秋、もう35年以上も前のことです。
 実話にもとづいて制作された、この映画。鈴木亜里さんという中学3年の女の子が、骨肉腫と闘い、右腕切断という大手術をうけながらも、十五年間の人生を明るく、たくましく精一杯生きるというものです。

 映画館で鑑賞した後、もう涙、涙で、館内にいた多くの方も感動のあまり、しばらく席を立てなかったのを覚えています。

 高校受験に合格した鈴木亜里さんが入学するはずだった、和光高校の校長先生が書かれた文章を、少し長くて恐縮ですが、あえてそのまま引用させてもらいます。

 「いまわたしの願いごとが かなうならば翼がほしい
  この背中に鳥のように 白い翼つけてください
  この大空に翼をひろげ 飛んでゆきたいよ
  悲しみのない 自由な空へ
  翼はためかせ ゆきたい

 いい歌詞でしょう。とてもすがすがしいよね。そう一九七六年の四月、もう二十四年も前のことです。ひとりの女の子が、和光高校に入学したんです。いや厳密にいうと入学することになっていたんです。その子の名は鈴木亜里といいます。その子は公立中学校に学ぶ間、ずっと和光への入学を望んでいました。それなりに夜を日について勉強もしていました。ところがね、不幸にも中三の夏、骨肉腫という悪性の病気にかかってね、骨のガンだよね。右腕を犯されていたので、北里病院で肩から手術で切断したんです。右利きの子は左手だけになったんだ。
 もう和光高校の受験はだめだね、とがっかりしたらしいけど、そのうちに左手があるんだからねと言って、左手で字を書く練習をはじめ、猛烈に勉強したそうです。十二月、一月の厳しい寒さの中、夜中まで起きてがんばる亜里さんを見ていて、お父さんは、もういいよ、高校なんてどうでもいいじゃないか、と幾度となく言ったそうです。
 それでもこの子は、がんばらないと後で悔いが残るからと言ってがんばり続けました。そうして入学試験では見事に合格しました。ところがそのときは腕のガンは肺に転移していて、合格発表の一週間後には再び入院することになりました。彼女の体は全身ガンに犯され、手の施しようはなかったそうです。
 亜里さんは、ずっと希望していた和光高校に入学したくて、病気と戦い続けましたが、四月十二日の入学式まであと一週間というところでついに力尽きてしまいました。

 (中略)

 私は生徒に鈴木亜里のことを話しながら、彼女の告別式の日のことを思い出す。
 二十四年前の四月六日、彼女の告別式の日である。春たけなわの美しい日、彼女の家に行く多摩川べりの道は桜の花が咲きほこり、風に花吹雪が雪のように舞っていた。私は彼女にそっとお別れをしようと思って参列者のかたわらに立った。その彼女がいつも口ずさんでいた「翼を下さい」の曲が静かに流れていた。

   子どもの時 夢みたこと
  いまも同じ 夢にみている
  この大空に翼をひろげ 飛んでゆきたいよ
  悲しみのない 自由な空へ
  翼はためかせ ゆきたい」
               (和光高校ホームページより掲載)

[花]ハボタン、フリージア、スプレーマム(フィーリンググリーン)、スプレーカーネーション、[実]千両(黄)、[枝]若松

[花]ハボタン、フリージア、スプレーマム(フィーリンググリーン)、スプレーカーネーション、[実]千両(黄)、[枝]若松

 鈴木亜里さんは、「翼をください」の歌がとても好きだったそうです。
 いつも口ずさんでいたそうです。
 歌詞の内容が内容だけに、どんな思いをもって、この歌を口ずさんでいたのでしょうか。
 胸に迫るものがあります。

 小生、今年還暦を迎えます。
 60年で干支が一回りして再び生まれた年の干支にかえることから、 還暦と呼ばれているそうですが、別に赤いちゃんちゃんこを着るつもりもなければ、特別、これといった感慨もありません。
 ただ、一つの節目として、再出発したいという思いはあります。

 最近、「生きている」のではなく、「生かされている」という思いが、強くなっています。
 世の中には、鈴木亜里さんように生きたくとも生きることが許されない人もいます。
 この1年間、与えられた1日々々を大切にしていきたいと思います。(O)

心のノートを真っ白に

2015.12.24

アドベント第4週です。[花]バラ(サムライ)、スプレーカーネーション(パルパトス)、[葉物]コチア、ヒペリカム(ココバンブー)、レモンリーフ

アドベント第4週です。[花]バラ(サムライ)、スプレーカーネーション(パルパトス)、[葉物]コチア、ヒペリカム(ココバンブー)、レモンリーフ

 年の瀬も押し迫り、早いものでもうしばらくで新しい年を迎えようとしています。
 年を追うごとに時間の経つのが早く感じられ、1年そのものが短くなっている気がします。

 「ジャネーの法則」という法則があります。
 ご存知の方も多いと思います。
 時間の長さは、年齢に反比例するという法則です。フランス人のポール・ジャネーが考えたといわれています。

 50歳の人にとっての1年の長さは、人生の50分の1。
 5歳の人にとっての1年の長さは、人生の5分の1。
 要するに「1年というものは、自分の年齢分の1」というものです。
 年を取ればとるほど分母の数字が増えていくわけですから、1年はだんだん短く感じられ、早く過ぎ去るという法則です。なんとなく、納得してしまいます。

 この1年間を振り返ってみると、それなりに色々とありました。

 一番大きな出来事は、何といっても家内の病気、入院、手術、そしてリハビリ。
 無事退院し、3カ月以上経過した現在も、通院、リハビリの日々が続いています。一時はどうなるものかと心配しましたが、徐々にとはいえ回復しつつあり、喜んでいます。元どおりの体になるには、もうしばらく時間を要するようです。
 といいつつも、仕事が多忙を極め、不自由な体にもかかわらず、しばしば夜遅くまで勤務しています。

 あたかも健康な日々が当たり前かのように考えていた自分。
 家族という歯車が、一つひとつ順調に回っているときは、歯車が回っていることすら気付かないものです。ひとたび、どれか1つでも歯車が狂い出すと、全体の動きが鈍くなり、新たに歯車を回すのには大きな力が必要になることを思い知らされました。
 ちょうどそのような頃、疲労が重なったせいもあったのか、自らも体調をくずし、健康の大切さを一層思わされました。
 もうじき還暦を迎える身。もう以前のように若くはないことを、そして自信があったはずの体力も確実に衰えていることを痛感させられた年でもありました。

 愛犬トーマスが亡くなったことは、以前ブログに書かせてもらいました。
 8月上旬に約18歳という、犬としては長寿ともいうべき生涯を終えたトーマス。いずれ、よく遊んだ庭の一角に埋めてやるつもりですが、なかなか踏ん切りがつかず、いまだにペット用の骨壺袋に入れたまま、玄関わきに置いています。そこは、いつもトーマスが生活していた場所。台の上に小さな座布団を敷き、休ませています。
 今も家族が、「行ってきまーす」「トーマス、ただいま」と、声をかけています。
 土に戻してやるのは、もうしばらく後になりそうです。

 今年は9回、コンサートに行きました。
 小田和正からクラシックまで、ジャンルは様々。残念ながら山下洋輔ジャズコンサートのように、私にとっては期待外れのコンサートもありました。
 逆に印象に残ったのは、12月にあった弦楽四重奏団クァルテット・エクセルシオ。
 素晴らしい弦の響きに酔いしれました。特にドヴォルザークの弦楽四重奏曲「アメリカ」は、最高でした。この曲は、たびたびCDやラジオでも耳にするポピュラーな曲ですが、生演奏で聞くのは初めて。よく知っている曲だけに、リラックスしつつも、集中して聞くことが出来ました。
 特に大友肇さんのチェロの音色が、心に響きました。

 「いつも心のノートを真っ白にしておきたい」

 大好きなエッセイスト・高峰秀子さんの言葉です。
 この1年を振り返った時、自分の心の色はどうだったのでしょうか?
 「真っ白」とは程遠い状態だった気がします。黒とは異なる、何かドロドロしたものが蠢いている「心の色」だったようです。他人には言葉や態度で、なんとでも誤魔化すことが出来たかもしれません。しかしながら、ほかでもない自分の心を偽ることはできません。もう一人の自分は、冷静に自分を見ています。

 今年も、残りわずか。
 来年こそは、いつもとは言えなくとも、少しは心の白さを保ちたいものです。わずかずつであっても、心温まるものを心の板に書き記す一年でありたいと思います。

 少し早いですが、良いお年をお迎えください。(O)

今年も、未達で終わります。

2015.12.14

アドベント第3週です。[花]グロリオーサ(サザンウインド)、ガーベラ(チェレキ)、ポインセチア(ウインターローズ)、[葉物]丸葉ルスカス、[枝]どうだんつつじ(加工)、コットン、ヒバ

アドベント第3週です。[花]グロリオーサ(サザンウインド)、ガーベラ(チェレキ)、ポインセチア(ウインターローズ)、[葉物]丸葉ルスカス、[枝]どうだんつつじ(加工)、コットン、ヒバ

 残念ながら今年も、未達で終わりそうです。

 今年最初のブログに、「年間100冊読破が目標」と書かせていただきました。
 12月13日現在、83冊の本を読み終えています。
 大晦日まで若干日数が残されており、もう3~4冊は読めるでしょうから、今年は86、87冊で終了となりそうです。目標の100冊には遠く及びませんが、それでも昨年の67冊からみると、少しは頑張った部類に入るのかもしれません。

 別に誰と競争しているわけでもありません。
 冊数にこだわって、無理に数字を伸ばしているつもりもありません。
 ただ、結果として、100冊を到達したいという目標を掲げているだけです。どうしても怠惰で、惰性に走りがちな自分をみていると、日頃から厳しく律していく必要があると思うからです。
 目の前に100冊という手が届きそうで、今一つ届かない目標を置くことによって、自らにムチを打っているわけです。100冊という数字は、1週間に2冊読むだけで達成できる数字です。決して無理な数字とは思えないのですが、いまだに達成したことがありません。

 本を1冊終読するたびに、読書ノートに記録を残し、著者、本名、出版社、自分としてのランク付けを記入しています。結構な量になってきています。
 もう一つのノートには、印象に残った言葉や文章などを書き写すようにしています。ただそれだけのことですが、わずかずつでも増えていくと嬉しいものです。
 でも、その時は大変感動して心躍る思いで書き記したはずの文章が、後になって改めて読み返すと、何の変哲もない平易な文章であることが度々あります。文章は、流れの中でこそ生きているのであって、断片的にとらえても輝きを失うのかもしれません。

 今年印象に残った本をあげれば、永田和宏著「歌に私は泣くだろう」(新潮文庫)、斎藤明美著「高峰秀子の言葉」(新潮社)、細谷亮太著「こころの体操を大切に ― いつもいいことさがし2」(中公文庫)、加賀美幸子著「生き方の鍵を見つける」(東京書籍)などです。

 特に加賀美幸子さんの本は、秀逸でした。
 言うまでもなく加賀美さんは、元NHKのアナウンサー。ネットによると、「NHK女性アナウンサー初の理事待遇のエグゼクティブアナウンサー」とあります。妻として、母として、家庭ではまったく手抜きをすることなく、常にベストを尽くし、職場では役員して睡眠時間を削ってまで最善を目指す姿。
 加賀美さんの朗読は、以前から高い評価を受けています。あの深みのある独特な朗読の背景にあるものを、垣間見せていただいたような、そんな一冊でした。

 最近、ドキュメントものの本を続けて読んでいます。

・ NHKスペシャル『ワーキングプア』取材班著「ワーキングプア ― 日本を蝕む病」(ポプラ社)
・ 大山典宏著「生活保護とワーキングプア」(PHP新書)
・ 樋口康彦著「『準』ひきこ森 ― 人はなぜ孤立してしまうのか?」(講談社+α新書)
・ 青砥恭著「ドキュメント高校中退 ― いま、貧困がうまれる場所」(ちくま新書)
・ 藤田孝典著「下流老人 一億総老後崩壊の衝撃」(朝日新書)

 特に「下流老人」は、データにもとづき詳細に現代社会を分析しており、衝撃的な内容となっています。他人ごとではなく、老後崩壊の危機を自らのものとして身近に感じられました。まさに「目からウロコが落ちる」思いで、読ませてもらいました。
 ドキュメントものの本は、読む機会が余りありませんでした。世相や世の流れをを正確に知るためにも、今後は積極的に読み進めるつもりです。

 机の周りには、今年新たに購入した、読まずに積み上げられたままの約100冊の本が、山積みの状態となっています。購入したのは良いが、なかなか読書が追い付かない状況です。相変わらず本屋で、ブックオフで、読み切れないのに、ついつい衝動的に本を購入しています。この調子では、永久に追いつけないようです。

 以前にも、ブログに書かせてもらいましたが、
 「もしひとが、自分は何かを知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない」
 という言葉があります。

 本の世界に入ると、いかに自分が何にも知らないかということを、しみじみ思わされます。
 小さな感動、小さな喜びを求めて、来年も好きな本を読み続けたいと思います。その結果、なんとか目標の100冊を突破すれば、改めて報告させてもらいます。楽しみに待っていてください。(O)

晩秋の朝顔

2015.11.25

(花)バラ(トレイジートゥ)、すかしゆり(レディーラック)、スプレーマム(フィーリンググリーン)、(葉物)ドラセラ(赤)、レザーファン、(枝)レッドドラゴン柳

(花)バラ(トレイジートゥ)、すかしゆり(レディーラック)、スプレーマム(フィーリンググリーン)、(葉物)ドラセラ(赤)、レザーファン、(枝)レッドドラゴン柳

 朝顔につるべ取られてもらい水

 いうまでもなく江戸時代の有名な女性俳人、加賀千代女の代表的な俳句です。
 「朝、井戸に水をくみに来てみると、朝顔のつるがつるべに巻きついていて水がくめない。切ってしまうのもかわいそうなので、近所に水をもらいに行くことにした」という様子をよんだものです。
 季語は朝顔で、初秋とあります。

  11月下旬になったというのに、我が家の朝顔はまだ咲いています。

  軒下に2基のプランターを置き、4種類の朝顔の苗を植えたのは5月下旬。
 長ハシゴを使って、プランターから2階のベランダ下まで、横2メートル、高さ5メートルの緑のネットを張りました。朝顔は成長とともに、面白いようにつるを自由に這わせ、7、8月頃にはネット一面にきれいな花を咲かせてくれました。
 残念ながら2本は、根腐れを起こしたらしく、お盆過ぎに枯れてしまいましたが、残り2本はベランダ近くで、いまだに毎朝5~6輪の花を咲かせてくれます。

 もうこの時期のことです。
 当然、ほとんどのつるは枯れていますが、例年にない温暖な気候が影響したのでしょうか?太いつると上の方のつるは、今も緑色をとどめ、可憐な花を咲かせています。

 夏場に咲く朝顔からは、生き生きとした生命力、活力に満ちた華やかさを感じます。
 晩秋に咲く朝顔からは、哀愁やわびしさとともに、寒さの中にも鮮やかな花を咲かせる何か凛とした強さが感じられます。

 町内でも、雪吊りや雪囲いなど、ボツボツ冬支度が始まっています。
 今頃、夏の風物詩である朝顔のネットを張っている家は、どこにもありません。
 近所の手前、本来ならば緑のネットを外し片付けるべきなのですが、朝顔の花を見ていると不憫に感じられ、そのような思いにはなれません。

 加賀千代女の俳句にあるような、優しく高尚な思いはありませんが、もうしばらく朝顔の自由にさせてやろうと思います。(O)

東京から博多まで、各駅停車で

2015.11.10

(花)ヘリコニア(レッドクリスマス)、アマリリス(オウムリカ)、オンシジューム(ハニーエンジェル)、カーネーション(チェプリ)、アルストロメリア(ホットペッパー)(葉物)サンデリアーナ、モンステラ

(花)ヘリコニア(レッドクリスマス)、アマリリス(オウムリカ)、オンシジューム(ハニーエンジェル)、カーネーション(チェプリ)、アルストロメリア(ホットペッパー)(葉物)サンデリアーナ、モンステラ

 先日、福島県・会津地方を旅行してきました。
 バスツアーで1泊2日。鶴ヶ城、会津鉄道、五色沼、あだたら山ロープウェイなどの旅。安達太良山の紅葉は終わっていましたが、鶴ヶ城、五色沼などはちょうど見ごろで、好天候にも恵まれ、楽しい旅となりました。

 あわただしい日々を送っていると、時々無性に旅に出たくなることがあります。

 学生時代、よく一人旅に出掛けました。
 今となっては、もう死語となってしまった「カニ族」。
 昭和40年代から50年代にかけて、蟹のように横長の大型リュックを背負って旅行する若者達を称した言葉です。
 小生も、大学1年と2年の夏休みに北海道、大学3年の春休みに四国、大学4年の春休みに九州を、「カニ族」スタイルで、一人であちこち旅行しました。当時「ワイド周遊」という、かなり割安な乗車券があり、目的地までの往復切符と目的周辺の広範囲にわたり自由に乗り降りできる急行・自由席がセットされており、貧乏学生の身にとってはとても重宝しました。

 この券を利用して、東京から九州・博多まで各駅で行ったことがあります。
 本来ならば、東海道本線を利用するのが一般的ですが、なぜか新宿駅を23時55分に出発し、中央線経由で大垣駅に向かいました。深夜にもかかわらず、登山客などで車内が混雑していたことを覚えています。
 各駅停車を何回も乗り継いで、夕方やっと着いたのが広島駅。

 車窓から流れていく風景をボーっとながめ、乗り降りする人々の会話に何気なく耳を傾けながら、方言やイントネーションがこんなにも変わっていくものかと驚かされました。
 博多に着いたのは、翌朝の10時頃。
 正直疲れましたが、金はなくとも、時間だけたっぷりある学生。そんな学生時代だからこそできる、楽しい旅でした。

 北海道では、よく駅構内で寝たものです。
 宿泊費をすこしでも浮かすためで、当時の駅は深夜もけっこう開放されていました。
 特に北海道の中央部にある旭川駅は、多くの若者がゴロ寝していました。夏とはいえ、北海道です。朝方は、ヒンヤリと寒い日もありました。
 見知らぬ者同士、近くで寝ているといつの間にか親しくなり、穴場の観光地や食事のおいしい民宿など、何かと情報交換したものです。

 スケジュールなし、下調べもなし、泊まる宿の予約もなし。
 ない、ないづくしの、全く行きあたりばったりの旅です。
 あえて計画を建てない旅というものも、なかなか乙なものです。
 今、出版されているかわかりませんが、「ブルーガイド・ブックス」という本が、唯一の頼みでした。この本で紹介されている観光地を、気分と天候次第で自由に歩きまわり、宿も当日の午後、行った観光地の近くで公衆電話を掛けてさがすという無計画さぶりでした。

 昭和50年代のこと。インターネットも、携帯電話もない時代です。
 考えようによっては、不便なようで何もなかったのが、逆に良かった気もいます。

 思い出の地をあげるとすれば、北海道では阿寒国立公園にあるオンネトー湖、四国では四万十川支流にある滑床(なめとこ)渓谷、九州では夕焼けに染まる「いろは島」でしょうか。
 どの地も、今も心に印象深く残っています。

 一人旅をすることは、もう出来ないかもしれません。
 体力的にも、健康の面からも、いろいろと不都合が出始めているからです。
 でも、一人旅の醍醐味が忘れられない時があります。
 あの行きあたりばったりの無計画さ、無鉄砲さが、小生の性格にぴったり合っている気がするからです。(O)

息子への最期の手紙

2015.11.02

(花)グロリオーサ(ルテア)、ゆり(シベリア)、トルコききょう(バレオグリーン)、(葉物)ゴットセファナ、ドラセナ、(枝)錦木(紅葉)

(花)グロリオーサ(ルテア)、ゆり(シベリア)、トルコききょう(バレオグリーン)、(葉物)ゴットセファナ、ドラセナ、(枝)錦木(紅葉)

 徳永進さんという方を、ご存じでしょうか?

 生まれ故郷である鳥取県で、ホスピス「野の花診療所」を開設しているお医者さんです。この方のエッセイが好きで、よく読んでいます。もうかれこれ15冊以上は、読んでいると思います。

 先日、富山市のブックオフ黒瀬店で、徳永さんの本を見つけ、嬉しくなりました。
 この店の100円均一コーナーに、よく掘り出し物が出ます。もう出版元にもない絶版本や一般書店では扱わないような単行本が、時々並んでいます。手に入りにくい珍しい本や、108円で本当に良いのだろうかと思うような本があり、びっくりします。

 今回は、徳永進著「死の中の笑み」と「死のリハーサル」(ゆるみ出版)です。
 30年以上も前に書かれた、人間の死に関するエッセイです。徳永さん自ら関わった患者さんの死や家族の関わりが、赤裸々に描かれています。徳永さんの目線は、いつも優しく温かく、患者の目線と同じ視点で物事をとらえています。
 ともすれば、悲しみに満ち、忌み嫌われるはずの死を、時にはユーモアを交えて楽しく描き出しています。医師として、こんなこと書いてもいいのだろうかと思うような本音を、あからさまに語っています。

 生きとし生けるものは、必ず死を迎えます。
 何人も避けて通れない、厳格な事実です。

 今、「エンディングノート」が静かなブームだそうです。
 小生も、50代半ばに「遺書」を認(したた)めました。

 50歳を過ぎた頃から、遺書というものを意識しはじめ、心の中でずっと温めてきました。少しずつ文章に書き残し、推敲に推敲を重ね、A4版で3枚、約2,300字にまとめました。告知、終末期医療、緩和ケア、ホスピス、葬儀社、葬儀の進め方、富山大学しらゆり会、納骨、寺院との関係などを、自分なりの言葉で書き記しました。

 俗にいう財産や相続に関することは、全く触れていません。
 ありがたいことに残せるような財産など、もとよりありませんから、記入の必要がないのです。過去に「子孫に美田を残さず」と語った方もおられたようですし……。
 内村鑑三氏の著書「後世への最大の遺物」(岩波文庫)ではありませんが、残すべきものは目に見えるものではなく、目に見えないものにこそ価値があると勝手に考えています。 

 遺書は、転勤で県外にいる息子に郵送しました。
 世の中、何があるかわからず、逆縁という可能性も否定できませんが、順番どおりならば喪主を務めてくれるであろう、息子に送った次第です。初めは驚き、戸惑っていた息子も、すぐに理解してくれました。
 家人とは、普段から死や葬儀について話しており、価値観も似ており、明文化せずとも以心伝心で互いに事足りると思います。

 人は、一定の年齢を重ねたあたりから、平均寿命から自分の年齢を差し引いて、「残り何年ぐらい」と漠然とした「引き算」をしている気がします。もちろん自分の寿命が残り何年かわかる人など、どこにもいません。何が起きるか、誰もわかりません。でも、終着点からの引き算が、底辺にある気がします。

 不思議なものです。
 遺書を書き、心の整理をしてからというもの、世の中が少し違って見える気がするのです。
 55歳で遺書を書くことにより、一度完結した人生から、新たな人生が始まった気がします。新しく迎える1日々々が、とても新鮮に感じられます。本来ならば無かったはずの日々が新しく加えられ、毎日何か得をしているような気分です。
 新たに与えられた「足し算」の歩みをしている、何かプラス思考でいられます。

 「メメント・モリ」という言葉があります。
 「日々、死を意識して生きなさい」といった意味でしょうか。誰かの本で初めてこの言葉に触れ、心にとまり、以来事あるごとに反芻しています。

 死を美化するつもりは、まったくありません。
 といって、否定するつもりもありません。
 川が流れるように、自然な流れのまま、ただ流れていくものだと思います。

 息子に、もうあのような長文を送ることはないと思います。
 あの遺書は、息子への最期の手紙と考えています。(O)

眠れぬ夜

2015.10.26

ハロウィン第1弾です。(花)ヒペリカム(トマトフレア)アンスリューム(スィートロージィ)かぼちゃ、(葉物)クロトン(ゴールディアナ)(枝)ドラゴン柳、風せんとうわた

ハロウィン第1弾です。(花)ヒペリカム(トマトフレア)アンスリューム(スィートロージィ)かぼちゃ、(葉物)クロトン(ゴールディアナ)(枝)ドラゴン柳、風せんとうわた

 久しぶりに眠れぬ夜を過ごしました。
 喘息(ぜんそく)になったためです。
 18日の夜から徐々に喘息の症状が出始め、息苦しくて、深夜から朝方まで悶々とした時間を過ごしました。

 喘息については、ご存知の方も多いと思います。
 息を吐くことが出来ても、息を吸うことが上手くできなくなる症状です。呼吸困難な状況が、ずっと続くわけです。なぜか、夜や朝方に症状が出ることが多く、時間が時間だけに掛かりつけの病院に行くことも出来ず、ひたすら朝が来るのを待つしかありません。
 もちろんひどい時は、夜間救急指定病院に駆けつけることも出来ますが……。

 小生、幼い頃、小児ぜんそくに罹っていました。
 自分の記憶にはありませんが、よく深夜に小児ぜんそくが出て、両親が背負って、約4キロ先にある町医者の所へ駆けつけたと聞いています。
 昭和30年代前半のこと。マイカーなど、どの家にもあるはずも無く、自転車を必死にこいで、急いでくれたようです。白い目をむいて苦しがっている我が子を見て、「何回、死ぬのではないかと心配した」と聞かされています。

  小児ぜんそくは、小学校に入学するまで治りましたが、50代半ばを過ぎて、ある日突然、喘息を再発しました。その時は、喘息とはわからず、深夜急に苦しみ始め、救急指定病院で処置してもらい、初めて「喘息」と知った次第です。

 わが家。
 以前から家事全般を家人と分担し、助け合っています。
 家事自体、嫌いな方ではなく、あまり苦になりません。料理は、家人のように手早く、上手に作ることは出来ませんが、包丁を握ることが好きで、結構台所に立っています。

  家人の都合で、9月初めから朝食、娘と小生の弁当作り、買い物、夕食の準備、掃除、洗濯など、ほとんど小生がしています。
 どうしても睡眠不足となり、疲労もたまっていたのか、1カ月前から不自然な微熱が続き、市販の薬も効かず、後頭部に変な鈍痛が時々走るなど、少し体調を崩していました。そこに風邪をこじらせてしまい、ついに今回の喘息の引き金となったようです。

  
 翌19日、会議と会議の合い間に、掛かりつけの医者で喘息の点滴をしてもらい、やっと自然に息を吸い込めるようになりました。普通、「息をすること」を意識することは、あまりないと思いますが、吸えば空気が体内に入ってくる喜びをしみじみと実感しました。深呼吸が出来ることが、こんな嬉しいことかと思わされました。

  帰りに、薬局で喘息と風邪薬を処方してもらい、7種類の薬を飲み始めました。

 そして、20日。
 朝目覚めると、しゃっくりが止まりません。
 満員の通勤電車の中で、初老の男がいつまでもしゃっくりをしていて、変な目で見られますが、自分の力ではどうにもなりません。ネットで、さまざまな民間治療方法が紹介されていて、色々とチャレンジしますが、 いっこうに治りません。

 仕事帰りに、再び掛かりつけの医者の診察を受け、「原因は特定出来ないが、喘息で処方したある薬が影響したと思われます。その薬の服用を止め、新たにしゃっくりを止める薬を処方します」とのこと。
 薬が効いたのか、午後9時頃になって、やっと治まりました。

 結局、午前5時30分の起床から午後9時までの計15時30分も、しゃっくりに悩まされたことになります。しばらく治まった時間帯もありましたが、ほぼ続いていました。ここまで長引くと、さすがに横隔膜がおかしくなり、なかなか辛いものがありました。

ハロウィン第2弾です。(花)ガーベラ(赤)カーネーション(エルメスオレンジ)ダリア(祝花)、(葉物)レモンリーフ、コンパクター、(枝)野バラ、バラの実

ハロウィン第2弾です。(花)ガーベラ(赤)カーネーション(エルメスオレンジ)ダリア(祝花)、(葉物)レモンリーフ、コンパクター、(枝)野バラ、バラの実

1週間が経った現在も、今一つ体調がすぐれません。

 ただ、こういった経験も、すべてに益にされると考えています。
 すべての事には理由があり、すべての事に無駄なことはないと考えています。喘息しかり、しゃっくりしかり。実際に体験してみないと、なかなかその苦しみは分からないものです。大きな病を背負っている人から見れば、なんでもないことです。

 ただ、もう無理の効かない体になったことだけは、事実のようです。(O)

 PS.
 ブログを読んでくださり、ありがとうございます。
 体調不良のため、1回お休みをいただき、恐縮しています。

 

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