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心のノートを真っ白に

2015.12.24

アドベント第4週です。[花]バラ(サムライ)、スプレーカーネーション(パルパトス)、[葉物]コチア、ヒペリカム(ココバンブー)、レモンリーフ

アドベント第4週です。[花]バラ(サムライ)、スプレーカーネーション(パルパトス)、[葉物]コチア、ヒペリカム(ココバンブー)、レモンリーフ

 年の瀬も押し迫り、早いものでもうしばらくで新しい年を迎えようとしています。
 年を追うごとに時間の経つのが早く感じられ、1年そのものが短くなっている気がします。

 「ジャネーの法則」という法則があります。
 ご存知の方も多いと思います。
 時間の長さは、年齢に反比例するという法則です。フランス人のポール・ジャネーが考えたといわれています。

 50歳の人にとっての1年の長さは、人生の50分の1。
 5歳の人にとっての1年の長さは、人生の5分の1。
 要するに「1年というものは、自分の年齢分の1」というものです。
 年を取ればとるほど分母の数字が増えていくわけですから、1年はだんだん短く感じられ、早く過ぎ去るという法則です。なんとなく、納得してしまいます。

 この1年間を振り返ってみると、それなりに色々とありました。

 一番大きな出来事は、何といっても家内の病気、入院、手術、そしてリハビリ。
 無事退院し、3カ月以上経過した現在も、通院、リハビリの日々が続いています。一時はどうなるものかと心配しましたが、徐々にとはいえ回復しつつあり、喜んでいます。元どおりの体になるには、もうしばらく時間を要するようです。
 といいつつも、仕事が多忙を極め、不自由な体にもかかわらず、しばしば夜遅くまで勤務しています。

 あたかも健康な日々が当たり前かのように考えていた自分。
 家族という歯車が、一つひとつ順調に回っているときは、歯車が回っていることすら気付かないものです。ひとたび、どれか1つでも歯車が狂い出すと、全体の動きが鈍くなり、新たに歯車を回すのには大きな力が必要になることを思い知らされました。
 ちょうどそのような頃、疲労が重なったせいもあったのか、自らも体調をくずし、健康の大切さを一層思わされました。
 もうじき還暦を迎える身。もう以前のように若くはないことを、そして自信があったはずの体力も確実に衰えていることを痛感させられた年でもありました。

 愛犬トーマスが亡くなったことは、以前ブログに書かせてもらいました。
 8月上旬に約18歳という、犬としては長寿ともいうべき生涯を終えたトーマス。いずれ、よく遊んだ庭の一角に埋めてやるつもりですが、なかなか踏ん切りがつかず、いまだにペット用の骨壺袋に入れたまま、玄関わきに置いています。そこは、いつもトーマスが生活していた場所。台の上に小さな座布団を敷き、休ませています。
 今も家族が、「行ってきまーす」「トーマス、ただいま」と、声をかけています。
 土に戻してやるのは、もうしばらく後になりそうです。

 今年は9回、コンサートに行きました。
 小田和正からクラシックまで、ジャンルは様々。残念ながら山下洋輔ジャズコンサートのように、私にとっては期待外れのコンサートもありました。
 逆に印象に残ったのは、12月にあった弦楽四重奏団クァルテット・エクセルシオ。
 素晴らしい弦の響きに酔いしれました。特にドヴォルザークの弦楽四重奏曲「アメリカ」は、最高でした。この曲は、たびたびCDやラジオでも耳にするポピュラーな曲ですが、生演奏で聞くのは初めて。よく知っている曲だけに、リラックスしつつも、集中して聞くことが出来ました。
 特に大友肇さんのチェロの音色が、心に響きました。

 「いつも心のノートを真っ白にしておきたい」

 大好きなエッセイスト・高峰秀子さんの言葉です。
 この1年を振り返った時、自分の心の色はどうだったのでしょうか?
 「真っ白」とは程遠い状態だった気がします。黒とは異なる、何かドロドロしたものが蠢いている「心の色」だったようです。他人には言葉や態度で、なんとでも誤魔化すことが出来たかもしれません。しかしながら、ほかでもない自分の心を偽ることはできません。もう一人の自分は、冷静に自分を見ています。

 今年も、残りわずか。
 来年こそは、いつもとは言えなくとも、少しは心の白さを保ちたいものです。わずかずつであっても、心温まるものを心の板に書き記す一年でありたいと思います。

 少し早いですが、良いお年をお迎えください。(O)

今年も、未達で終わります。

2015.12.14

アドベント第3週です。[花]グロリオーサ(サザンウインド)、ガーベラ(チェレキ)、ポインセチア(ウインターローズ)、[葉物]丸葉ルスカス、[枝]どうだんつつじ(加工)、コットン、ヒバ

アドベント第3週です。[花]グロリオーサ(サザンウインド)、ガーベラ(チェレキ)、ポインセチア(ウインターローズ)、[葉物]丸葉ルスカス、[枝]どうだんつつじ(加工)、コットン、ヒバ

 残念ながら今年も、未達で終わりそうです。

 今年最初のブログに、「年間100冊読破が目標」と書かせていただきました。
 12月13日現在、83冊の本を読み終えています。
 大晦日まで若干日数が残されており、もう3~4冊は読めるでしょうから、今年は86、87冊で終了となりそうです。目標の100冊には遠く及びませんが、それでも昨年の67冊からみると、少しは頑張った部類に入るのかもしれません。

 別に誰と競争しているわけでもありません。
 冊数にこだわって、無理に数字を伸ばしているつもりもありません。
 ただ、結果として、100冊を到達したいという目標を掲げているだけです。どうしても怠惰で、惰性に走りがちな自分をみていると、日頃から厳しく律していく必要があると思うからです。
 目の前に100冊という手が届きそうで、今一つ届かない目標を置くことによって、自らにムチを打っているわけです。100冊という数字は、1週間に2冊読むだけで達成できる数字です。決して無理な数字とは思えないのですが、いまだに達成したことがありません。

 本を1冊終読するたびに、読書ノートに記録を残し、著者、本名、出版社、自分としてのランク付けを記入しています。結構な量になってきています。
 もう一つのノートには、印象に残った言葉や文章などを書き写すようにしています。ただそれだけのことですが、わずかずつでも増えていくと嬉しいものです。
 でも、その時は大変感動して心躍る思いで書き記したはずの文章が、後になって改めて読み返すと、何の変哲もない平易な文章であることが度々あります。文章は、流れの中でこそ生きているのであって、断片的にとらえても輝きを失うのかもしれません。

 今年印象に残った本をあげれば、永田和宏著「歌に私は泣くだろう」(新潮文庫)、斎藤明美著「高峰秀子の言葉」(新潮社)、細谷亮太著「こころの体操を大切に ― いつもいいことさがし2」(中公文庫)、加賀美幸子著「生き方の鍵を見つける」(東京書籍)などです。

 特に加賀美幸子さんの本は、秀逸でした。
 言うまでもなく加賀美さんは、元NHKのアナウンサー。ネットによると、「NHK女性アナウンサー初の理事待遇のエグゼクティブアナウンサー」とあります。妻として、母として、家庭ではまったく手抜きをすることなく、常にベストを尽くし、職場では役員して睡眠時間を削ってまで最善を目指す姿。
 加賀美さんの朗読は、以前から高い評価を受けています。あの深みのある独特な朗読の背景にあるものを、垣間見せていただいたような、そんな一冊でした。

 最近、ドキュメントものの本を続けて読んでいます。

・ NHKスペシャル『ワーキングプア』取材班著「ワーキングプア ― 日本を蝕む病」(ポプラ社)
・ 大山典宏著「生活保護とワーキングプア」(PHP新書)
・ 樋口康彦著「『準』ひきこ森 ― 人はなぜ孤立してしまうのか?」(講談社+α新書)
・ 青砥恭著「ドキュメント高校中退 ― いま、貧困がうまれる場所」(ちくま新書)
・ 藤田孝典著「下流老人 一億総老後崩壊の衝撃」(朝日新書)

 特に「下流老人」は、データにもとづき詳細に現代社会を分析しており、衝撃的な内容となっています。他人ごとではなく、老後崩壊の危機を自らのものとして身近に感じられました。まさに「目からウロコが落ちる」思いで、読ませてもらいました。
 ドキュメントものの本は、読む機会が余りありませんでした。世相や世の流れをを正確に知るためにも、今後は積極的に読み進めるつもりです。

 机の周りには、今年新たに購入した、読まずに積み上げられたままの約100冊の本が、山積みの状態となっています。購入したのは良いが、なかなか読書が追い付かない状況です。相変わらず本屋で、ブックオフで、読み切れないのに、ついつい衝動的に本を購入しています。この調子では、永久に追いつけないようです。

 以前にも、ブログに書かせてもらいましたが、
 「もしひとが、自分は何かを知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない」
 という言葉があります。

 本の世界に入ると、いかに自分が何にも知らないかということを、しみじみ思わされます。
 小さな感動、小さな喜びを求めて、来年も好きな本を読み続けたいと思います。その結果、なんとか目標の100冊を突破すれば、改めて報告させてもらいます。楽しみに待っていてください。(O)

晩秋の朝顔

2015.11.25

(花)バラ(トレイジートゥ)、すかしゆり(レディーラック)、スプレーマム(フィーリンググリーン)、(葉物)ドラセラ(赤)、レザーファン、(枝)レッドドラゴン柳

(花)バラ(トレイジートゥ)、すかしゆり(レディーラック)、スプレーマム(フィーリンググリーン)、(葉物)ドラセラ(赤)、レザーファン、(枝)レッドドラゴン柳

 朝顔につるべ取られてもらい水

 いうまでもなく江戸時代の有名な女性俳人、加賀千代女の代表的な俳句です。
 「朝、井戸に水をくみに来てみると、朝顔のつるがつるべに巻きついていて水がくめない。切ってしまうのもかわいそうなので、近所に水をもらいに行くことにした」という様子をよんだものです。
 季語は朝顔で、初秋とあります。

  11月下旬になったというのに、我が家の朝顔はまだ咲いています。

  軒下に2基のプランターを置き、4種類の朝顔の苗を植えたのは5月下旬。
 長ハシゴを使って、プランターから2階のベランダ下まで、横2メートル、高さ5メートルの緑のネットを張りました。朝顔は成長とともに、面白いようにつるを自由に這わせ、7、8月頃にはネット一面にきれいな花を咲かせてくれました。
 残念ながら2本は、根腐れを起こしたらしく、お盆過ぎに枯れてしまいましたが、残り2本はベランダ近くで、いまだに毎朝5~6輪の花を咲かせてくれます。

 もうこの時期のことです。
 当然、ほとんどのつるは枯れていますが、例年にない温暖な気候が影響したのでしょうか?太いつると上の方のつるは、今も緑色をとどめ、可憐な花を咲かせています。

 夏場に咲く朝顔からは、生き生きとした生命力、活力に満ちた華やかさを感じます。
 晩秋に咲く朝顔からは、哀愁やわびしさとともに、寒さの中にも鮮やかな花を咲かせる何か凛とした強さが感じられます。

 町内でも、雪吊りや雪囲いなど、ボツボツ冬支度が始まっています。
 今頃、夏の風物詩である朝顔のネットを張っている家は、どこにもありません。
 近所の手前、本来ならば緑のネットを外し片付けるべきなのですが、朝顔の花を見ていると不憫に感じられ、そのような思いにはなれません。

 加賀千代女の俳句にあるような、優しく高尚な思いはありませんが、もうしばらく朝顔の自由にさせてやろうと思います。(O)

東京から博多まで、各駅停車で

2015.11.10

(花)ヘリコニア(レッドクリスマス)、アマリリス(オウムリカ)、オンシジューム(ハニーエンジェル)、カーネーション(チェプリ)、アルストロメリア(ホットペッパー)(葉物)サンデリアーナ、モンステラ

(花)ヘリコニア(レッドクリスマス)、アマリリス(オウムリカ)、オンシジューム(ハニーエンジェル)、カーネーション(チェプリ)、アルストロメリア(ホットペッパー)(葉物)サンデリアーナ、モンステラ

 先日、福島県・会津地方を旅行してきました。
 バスツアーで1泊2日。鶴ヶ城、会津鉄道、五色沼、あだたら山ロープウェイなどの旅。安達太良山の紅葉は終わっていましたが、鶴ヶ城、五色沼などはちょうど見ごろで、好天候にも恵まれ、楽しい旅となりました。

 あわただしい日々を送っていると、時々無性に旅に出たくなることがあります。

 学生時代、よく一人旅に出掛けました。
 今となっては、もう死語となってしまった「カニ族」。
 昭和40年代から50年代にかけて、蟹のように横長の大型リュックを背負って旅行する若者達を称した言葉です。
 小生も、大学1年と2年の夏休みに北海道、大学3年の春休みに四国、大学4年の春休みに九州を、「カニ族」スタイルで、一人であちこち旅行しました。当時「ワイド周遊」という、かなり割安な乗車券があり、目的地までの往復切符と目的周辺の広範囲にわたり自由に乗り降りできる急行・自由席がセットされており、貧乏学生の身にとってはとても重宝しました。

 この券を利用して、東京から九州・博多まで各駅で行ったことがあります。
 本来ならば、東海道本線を利用するのが一般的ですが、なぜか新宿駅を23時55分に出発し、中央線経由で大垣駅に向かいました。深夜にもかかわらず、登山客などで車内が混雑していたことを覚えています。
 各駅停車を何回も乗り継いで、夕方やっと着いたのが広島駅。

 車窓から流れていく風景をボーっとながめ、乗り降りする人々の会話に何気なく耳を傾けながら、方言やイントネーションがこんなにも変わっていくものかと驚かされました。
 博多に着いたのは、翌朝の10時頃。
 正直疲れましたが、金はなくとも、時間だけたっぷりある学生。そんな学生時代だからこそできる、楽しい旅でした。

 北海道では、よく駅構内で寝たものです。
 宿泊費をすこしでも浮かすためで、当時の駅は深夜もけっこう開放されていました。
 特に北海道の中央部にある旭川駅は、多くの若者がゴロ寝していました。夏とはいえ、北海道です。朝方は、ヒンヤリと寒い日もありました。
 見知らぬ者同士、近くで寝ているといつの間にか親しくなり、穴場の観光地や食事のおいしい民宿など、何かと情報交換したものです。

 スケジュールなし、下調べもなし、泊まる宿の予約もなし。
 ない、ないづくしの、全く行きあたりばったりの旅です。
 あえて計画を建てない旅というものも、なかなか乙なものです。
 今、出版されているかわかりませんが、「ブルーガイド・ブックス」という本が、唯一の頼みでした。この本で紹介されている観光地を、気分と天候次第で自由に歩きまわり、宿も当日の午後、行った観光地の近くで公衆電話を掛けてさがすという無計画さぶりでした。

 昭和50年代のこと。インターネットも、携帯電話もない時代です。
 考えようによっては、不便なようで何もなかったのが、逆に良かった気もいます。

 思い出の地をあげるとすれば、北海道では阿寒国立公園にあるオンネトー湖、四国では四万十川支流にある滑床(なめとこ)渓谷、九州では夕焼けに染まる「いろは島」でしょうか。
 どの地も、今も心に印象深く残っています。

 一人旅をすることは、もう出来ないかもしれません。
 体力的にも、健康の面からも、いろいろと不都合が出始めているからです。
 でも、一人旅の醍醐味が忘れられない時があります。
 あの行きあたりばったりの無計画さ、無鉄砲さが、小生の性格にぴったり合っている気がするからです。(O)

息子への最期の手紙

2015.11.02

(花)グロリオーサ(ルテア)、ゆり(シベリア)、トルコききょう(バレオグリーン)、(葉物)ゴットセファナ、ドラセナ、(枝)錦木(紅葉)

(花)グロリオーサ(ルテア)、ゆり(シベリア)、トルコききょう(バレオグリーン)、(葉物)ゴットセファナ、ドラセナ、(枝)錦木(紅葉)

 徳永進さんという方を、ご存じでしょうか?

 生まれ故郷である鳥取県で、ホスピス「野の花診療所」を開設しているお医者さんです。この方のエッセイが好きで、よく読んでいます。もうかれこれ15冊以上は、読んでいると思います。

 先日、富山市のブックオフ黒瀬店で、徳永さんの本を見つけ、嬉しくなりました。
 この店の100円均一コーナーに、よく掘り出し物が出ます。もう出版元にもない絶版本や一般書店では扱わないような単行本が、時々並んでいます。手に入りにくい珍しい本や、108円で本当に良いのだろうかと思うような本があり、びっくりします。

 今回は、徳永進著「死の中の笑み」と「死のリハーサル」(ゆるみ出版)です。
 30年以上も前に書かれた、人間の死に関するエッセイです。徳永さん自ら関わった患者さんの死や家族の関わりが、赤裸々に描かれています。徳永さんの目線は、いつも優しく温かく、患者の目線と同じ視点で物事をとらえています。
 ともすれば、悲しみに満ち、忌み嫌われるはずの死を、時にはユーモアを交えて楽しく描き出しています。医師として、こんなこと書いてもいいのだろうかと思うような本音を、あからさまに語っています。

 生きとし生けるものは、必ず死を迎えます。
 何人も避けて通れない、厳格な事実です。

 今、「エンディングノート」が静かなブームだそうです。
 小生も、50代半ばに「遺書」を認(したた)めました。

 50歳を過ぎた頃から、遺書というものを意識しはじめ、心の中でずっと温めてきました。少しずつ文章に書き残し、推敲に推敲を重ね、A4版で3枚、約2,300字にまとめました。告知、終末期医療、緩和ケア、ホスピス、葬儀社、葬儀の進め方、富山大学しらゆり会、納骨、寺院との関係などを、自分なりの言葉で書き記しました。

 俗にいう財産や相続に関することは、全く触れていません。
 ありがたいことに残せるような財産など、もとよりありませんから、記入の必要がないのです。過去に「子孫に美田を残さず」と語った方もおられたようですし……。
 内村鑑三氏の著書「後世への最大の遺物」(岩波文庫)ではありませんが、残すべきものは目に見えるものではなく、目に見えないものにこそ価値があると勝手に考えています。 

 遺書は、転勤で県外にいる息子に郵送しました。
 世の中、何があるかわからず、逆縁という可能性も否定できませんが、順番どおりならば喪主を務めてくれるであろう、息子に送った次第です。初めは驚き、戸惑っていた息子も、すぐに理解してくれました。
 家人とは、普段から死や葬儀について話しており、価値観も似ており、明文化せずとも以心伝心で互いに事足りると思います。

 人は、一定の年齢を重ねたあたりから、平均寿命から自分の年齢を差し引いて、「残り何年ぐらい」と漠然とした「引き算」をしている気がします。もちろん自分の寿命が残り何年かわかる人など、どこにもいません。何が起きるか、誰もわかりません。でも、終着点からの引き算が、底辺にある気がします。

 不思議なものです。
 遺書を書き、心の整理をしてからというもの、世の中が少し違って見える気がするのです。
 55歳で遺書を書くことにより、一度完結した人生から、新たな人生が始まった気がします。新しく迎える1日々々が、とても新鮮に感じられます。本来ならば無かったはずの日々が新しく加えられ、毎日何か得をしているような気分です。
 新たに与えられた「足し算」の歩みをしている、何かプラス思考でいられます。

 「メメント・モリ」という言葉があります。
 「日々、死を意識して生きなさい」といった意味でしょうか。誰かの本で初めてこの言葉に触れ、心にとまり、以来事あるごとに反芻しています。

 死を美化するつもりは、まったくありません。
 といって、否定するつもりもありません。
 川が流れるように、自然な流れのまま、ただ流れていくものだと思います。

 息子に、もうあのような長文を送ることはないと思います。
 あの遺書は、息子への最期の手紙と考えています。(O)

眠れぬ夜

2015.10.26

ハロウィン第1弾です。(花)ヒペリカム(トマトフレア)アンスリューム(スィートロージィ)かぼちゃ、(葉物)クロトン(ゴールディアナ)(枝)ドラゴン柳、風せんとうわた

ハロウィン第1弾です。(花)ヒペリカム(トマトフレア)アンスリューム(スィートロージィ)かぼちゃ、(葉物)クロトン(ゴールディアナ)(枝)ドラゴン柳、風せんとうわた

 久しぶりに眠れぬ夜を過ごしました。
 喘息(ぜんそく)になったためです。
 18日の夜から徐々に喘息の症状が出始め、息苦しくて、深夜から朝方まで悶々とした時間を過ごしました。

 喘息については、ご存知の方も多いと思います。
 息を吐くことが出来ても、息を吸うことが上手くできなくなる症状です。呼吸困難な状況が、ずっと続くわけです。なぜか、夜や朝方に症状が出ることが多く、時間が時間だけに掛かりつけの病院に行くことも出来ず、ひたすら朝が来るのを待つしかありません。
 もちろんひどい時は、夜間救急指定病院に駆けつけることも出来ますが……。

 小生、幼い頃、小児ぜんそくに罹っていました。
 自分の記憶にはありませんが、よく深夜に小児ぜんそくが出て、両親が背負って、約4キロ先にある町医者の所へ駆けつけたと聞いています。
 昭和30年代前半のこと。マイカーなど、どの家にもあるはずも無く、自転車を必死にこいで、急いでくれたようです。白い目をむいて苦しがっている我が子を見て、「何回、死ぬのではないかと心配した」と聞かされています。

  小児ぜんそくは、小学校に入学するまで治りましたが、50代半ばを過ぎて、ある日突然、喘息を再発しました。その時は、喘息とはわからず、深夜急に苦しみ始め、救急指定病院で処置してもらい、初めて「喘息」と知った次第です。

 わが家。
 以前から家事全般を家人と分担し、助け合っています。
 家事自体、嫌いな方ではなく、あまり苦になりません。料理は、家人のように手早く、上手に作ることは出来ませんが、包丁を握ることが好きで、結構台所に立っています。

  家人の都合で、9月初めから朝食、娘と小生の弁当作り、買い物、夕食の準備、掃除、洗濯など、ほとんど小生がしています。
 どうしても睡眠不足となり、疲労もたまっていたのか、1カ月前から不自然な微熱が続き、市販の薬も効かず、後頭部に変な鈍痛が時々走るなど、少し体調を崩していました。そこに風邪をこじらせてしまい、ついに今回の喘息の引き金となったようです。

  
 翌19日、会議と会議の合い間に、掛かりつけの医者で喘息の点滴をしてもらい、やっと自然に息を吸い込めるようになりました。普通、「息をすること」を意識することは、あまりないと思いますが、吸えば空気が体内に入ってくる喜びをしみじみと実感しました。深呼吸が出来ることが、こんな嬉しいことかと思わされました。

  帰りに、薬局で喘息と風邪薬を処方してもらい、7種類の薬を飲み始めました。

 そして、20日。
 朝目覚めると、しゃっくりが止まりません。
 満員の通勤電車の中で、初老の男がいつまでもしゃっくりをしていて、変な目で見られますが、自分の力ではどうにもなりません。ネットで、さまざまな民間治療方法が紹介されていて、色々とチャレンジしますが、 いっこうに治りません。

 仕事帰りに、再び掛かりつけの医者の診察を受け、「原因は特定出来ないが、喘息で処方したある薬が影響したと思われます。その薬の服用を止め、新たにしゃっくりを止める薬を処方します」とのこと。
 薬が効いたのか、午後9時頃になって、やっと治まりました。

 結局、午前5時30分の起床から午後9時までの計15時30分も、しゃっくりに悩まされたことになります。しばらく治まった時間帯もありましたが、ほぼ続いていました。ここまで長引くと、さすがに横隔膜がおかしくなり、なかなか辛いものがありました。

ハロウィン第2弾です。(花)ガーベラ(赤)カーネーション(エルメスオレンジ)ダリア(祝花)、(葉物)レモンリーフ、コンパクター、(枝)野バラ、バラの実

ハロウィン第2弾です。(花)ガーベラ(赤)カーネーション(エルメスオレンジ)ダリア(祝花)、(葉物)レモンリーフ、コンパクター、(枝)野バラ、バラの実

1週間が経った現在も、今一つ体調がすぐれません。

 ただ、こういった経験も、すべてに益にされると考えています。
 すべての事には理由があり、すべての事に無駄なことはないと考えています。喘息しかり、しゃっくりしかり。実際に体験してみないと、なかなかその苦しみは分からないものです。大きな病を背負っている人から見れば、なんでもないことです。

 ただ、もう無理の効かない体になったことだけは、事実のようです。(O)

 PS.
 ブログを読んでくださり、ありがとうございます。
 体調不良のため、1回お休みをいただき、恐縮しています。

 

言うに言われぬ、急行「能登」の思い出

2015.10.14

(花)りんどう(紅の唄)、オンシジューム(ボブキャット)、トルコききょう(ジャスニーホワイト)、カーネーション(カロンテ)(葉物)ゴットセファナ、谷渡り、玉シダ

(花)りんどう(紅の唄)、オンシジューム(ボブキャット)、トルコききょう(ジャスニーホワイト)、カーネーション(カロンテ)(葉物)ゴットセファナ、谷渡り、玉シダ

 自宅近くに大きな書店があり、週に1度、平台にある新刊本をチェックすることを楽しみにしています。
 新しく出版される本や話題になっている本は、日頃から新聞の書評欄や広告欄などをひと通りチェックし、見落さないようにしています。へそ曲がりのせいか、俗にいうベストセラーの本を手にすることは、まずありません
 新刊コーナーの平台6台の中から、思わぬ掘り出し本を見つけた時は、それだけで嬉しくなります。

  今回、目に留まった本は、柴田よしき著「夢より短い旅の果て」(角川文庫)。

  作家・柴田よしきさんは、推理作家であり、小説家としても有名です。
 推理小説は興味がないため、読んでいませんが、「ばんざい屋シリーズ」の「ふたたびの虹」、「竜の涙 ばんざい屋の夜」(共に祥伝社文庫)の2冊については、読み終えています。特に「ふたたびの虹」は、過去にNHKでドラマ化され、主役の相田翔子さんの名演が心に残り、早速原作を読み、以来、すっかり柴田さんのファンになっています。

 「夢より短い旅の果て」
 パラパラとページをめくると、もう廃止となってしまった急行「能登」や「氷見線」といった言葉が目に飛び込んできます。何となく気になり、買い求めました。

  急行能登といえば、思い出がいくつもあります。
 1日1往復、上野と金沢間を結んでいた寝台急行能登。
 東京の大学に進学した小生。上京や帰省の際には、結構この夜行列車にお世話になりました。かれこれ、もう40年前のことです。その当時、今のように格安な夜行バスがあるはずもなく、特急「白山」を利用する人が多く、夜行の寝台特急「北陸」や急行能登、急行越前などに乗る人もいました。

  貧乏学生でしたので、よく急行能登に乗りましたが、高い寝台車を利用したことは一度もなく、いつも決まって自由席。
 廃止された平成22年頃には、特急電車のようなモダンな車両になっていましたが、昭和50年代当時の能登といえば、年季の入った古めかしい車両でした。自由席の椅子は、木造の枠に布張りのやや硬めのボックスシート。天井でクルクル回る扇風機も、時代遅れの代物でした。
 席が空いている時は、ボックスを独り占めして、「く」の字になって寝ました。夏山シーズンには、多くの登山者が通路や座席下に新聞を敷いて寝ていたものです。

 どこでも寝られる性分のせいか、心地良い揺れとリズミカルな音に誘われ、いつの間にか眠りに着くことが出来ました。
 それでも、真夜中、駅から発車する時の、車両と車両をつなぐ連結器が発する「ガクーン」という独特の振動に起こされ、時々目を覚ましました。

  急行能登に、言うに言われぬ苦い思い出があります。
 小生のせいで、走行中に急行能登を急停車させてしまったことです。

  確か大学2年の、ゴールデンウイークの最終日だったと思います。
 田植えの農作業を手伝うため、五月の連休中に帰省し、上京する時のことです。
 急行能登は、金沢が始発で、3つ目にあたるA駅から乗車しました。いつもなら空いているはずの自由席がすでに満員、通路に立っている人もいます。連休最終日のためか、予想以上に観光客や上京する学生らで、ごった返しています。仕方がなく、車両後方の連結器付近になんとかスペースを確保し、自分のバックに腰かけました。

 ところが、高岡駅、富山駅、魚津駅と停車するたびに、さらに多くの乗客が乗車してきます。知らない者同士ですが、互いに譲り合い、協力し合い、空きスペースを作り、乗れるように工夫します。この時点になると、多くの人が立ったままの状態でした。

 直江津を過ぎた頃だったと思います。
 皆で荷物を一カ所に積み上げたりして、わずかでもスペースが確保できるようにしていた際、何気なく角にあった白い紐(ひも)を引っ張ってしまったのです。
 急行能登が、急に速度を落とし始め、急停車します。
 窓の外を見ると、漆黒の闇の中。

 何があったのだろうと周りの人と話していると、車掌さんが満員の車両の中を掻き分け、慌てて小生たちがいる所に向かってきます。

  「何かあったのですか」
 はじめ、車掌さんが言っている意味がわかりませんでした。
 「非常ブレーキが作動して、緊急停車しました」
 「作動位置を確認したところ、このあたりからサインが出ていました」

  なんと小生が、張本人だったのです。

  混雑した中で、場所を少しでも作ろうと皆で作業している中、たまたま手にしたロープが、なんと「非常用停止紐」だったのです。
 確かに天井を見ると、小さく赤色でシールが表示してあります。

 もちろんお詫びし、事の経過を説明します。周りの方々も、すぐに状況説明に加わり、助け舟を出してくださいます。年配の車掌さんは、すぐに理解してくださり、急いで先頭車両の方へ戻って行かれました。

  程なくして、アナウンスが流れ、急行能登は何事もなかったように、ゆっくりと動き出します。

  皆でホッとひと安心していたところに、先程の車掌さんが再びこちらに来ます。
 手元に紙があり、小生の氏名、住所、電話番号、大学名等を記入してもらいたいとのこと。何もお咎めが無いものとかってに思っていたら、シャバはそう甘くありませんでした。

  「意図的ではないにしろ、急行列車を非常停止させてしまったことは事実です。現状からみると、問題にならないと個人的には思いますが、業務上記録を残す必要がありますので、記入してください」
 「東京に着いた後、関係部署に報告します。おそらく大事にはならないとは思いますが、後日改めて連絡を入れる可能性もあります」

  もう、ガックリです。
 A駅からほぼ立ちっぱなしで、全く眠っていないうえに、この有様。
 疲れがどっと来ました。

  東京に着いてからも、下宿のアパートに電話が入らないか、大学に連絡がいくのではないかと、毎日内心ビクビクものでした。意図的に悪いことをしたわけではないと思いつつも……。
 しばらく陰鬱な日々を過ごしたことは、事実です。

 数日が過ぎ、1週間が過ぎ、1カ月が過ぎ、結局国鉄からは何ら連絡もなく、書類も届きませんでした。

  何を思って、あの白いロープを引いたのか、今も定かではありません。
 やり場のない苦い思いを抱く時期もありました。
 40年余り過ぎた今となっては、むしろ急行「能登」という言葉に何とも言えない、ほのぼのとした懐かしさを覚えます。(O)

 

「モイ、モイ」

2015.10.06

(花)デンファレ(キャディーストライプ)、トルコききょう(コレゾライトピンク)(葉物)福みどり、ゴットセファナ(枝)シンフォリカルポス(マリーン)

(花)デンファレ(キャディーストライプ)、トルコききょう(コレゾライトピンク)(葉物)福みどり、ゴットセファナ(枝)シンフォリカルポス(マリーン)

 最近、よく見ているテレビ番組があります。
 NHKBSプレミアムの「イッピン」と「美の壺」です。

  特に「イッピン」は、全国各地の名も無き職人さんが、日常生活のために作った実用品を紹介しており、出来るだけ見るようにしています。
 手作業で作られる木製品や漆器、ガラス製品、竹細工、和紙などのイッピン(逸品)。
 伝統に裏付けされた工芸品を、ただ古くからの伝統を守るだけではなく、現代の生活スタイルに合わせて、新しい機能を付け加え、さらにモダンなデザインへとうまく調和させています。
 イッピンで紹介される工芸品からは、素朴な素材をそのまま活かしつつも、時代にマッチした独創性やみずみずしい感性が感じられます。

 「イッピン」という番組を通じて、全国にはこんなに多くの逸品があるのかと驚かされています。女性リポーターと職人との軽妙な会話や、わかりやすい科学分析により、少しずつ職人技が浮き彫りにされます。番組終了近くなると、新たな民芸品、工芸品に出会えた喜びと民芸品そのものから発せられる温かみに、いつの間にか魅せられています。

  「上手物(じょうてもの)」という言葉があります。
 エッセイスト・白洲正子さんの随筆を読み、初めてこの言葉を知りました。
 反対語にあたる「下手物(げてもの)」という言葉は、日常使うことがあっても、「上手物」という言葉は今まで目にする事がなく、読み方すら分かりませんでした。意味は、「精巧につくられた高価な工芸品。出来や品質がよく、特に工芸品などで,一品制作の精密な作をいう」とあります。

 上手物は、一流の芸術家や工芸作家が創作した美術品や工芸品といったところでしょうか。あくまでも一品限りの芸術品であり、優れた作品は美術館や博物館で陳列され、鑑賞される対象となります。

 小生、相変わらず美術品が好きで、時間があるたびに、美術館などに通っています。学術的なことや難しい理論などは、正直いって分かりません。ただ、多くの展示品の中で、心にとまる作品が一品でもあれば、もうそれだけで十分満足です。作品と1対1で正面から真剣に向き合い、何か心に感じ得るものが一つでも見出されば、足を運んだ甲斐があったと思っています。

  「イッピン」で扱われる商品は、上手物というより、民芸品です。
 「民芸」といえば、柳宗悦(やなぎ むねよし)さん。柳宗悦さんは、日本が機械化、効率化を目指し、積極的に近代化を進めている中にあって、手仕事が軽く扱われ、廃れていくことに警鐘を鳴らし、民芸品の大切さを改めて訴えた人として有名です。

 古くから地域に根ざし、実用品として日々使う楽しみがある民芸品。
 作った職人に何のてらいもないだけに、素朴な風格といったものを感じることもあります。使い込めば使い込むほど、美しさを増す気がします。

 以前、沖縄を旅行した時に、「八重山ミンサー織り」のブックカバーをホテルの売店で買ったことがあります。手触りが良く、何とも言えない風情があり、すっかり気に入りました。使い込むうちに、さらに味わいが増し、数年後メーカーからまとめて購入しました。文庫本を終読するたびにブックカバーを取替え、ささやかな喜びを楽しんでいます。

 作り手の温もりが感じられ、作り手と使い手とがキャッチボールできる民芸品。
 高価な民芸品を購入することは、なかなか出来ません。
 でも、珍しいちょっとした民芸品を1個ずつでも買揃えたいと思います。飾って鑑賞するのではなく、職人が丹精込めて作られた品を使わせていただき、その素晴らしさ、その良さを味わいたいものです。

 最近、「モイ、モイ」という言葉に出会いました。
 カンボジア語で、「ゆっくり、のんびり」という意味だそうです。女優・杏さんの著書「杏のふむふむ」(ちくま文庫)の中で、紹介されていました。なんとなく語呂が良く、親しみを覚える言葉です。
 どこか杏さんが放つオーラと似ている気がして、心に残っています。

 「モイ、モイ」
 ゆっくり、のんびりとした豊かな暮らしをするうえで、ちょっとした「イッピン」を手元に置くことは、生活の良きアクセントになる気がします。
 そのような「あなただけのイッピン」を、お持ちでしょうか。(O)

14メートルもある大獅子

2015.09.29

(花)ゆり(プレミアムブロンド)、ダリア(星の王子)、ピンポン菊(葉物)星斑ハラン、レザーファン(枝)雪柳、花ナス(レッドピンポン)

(花)ゆり(プレミアムブロンド)、ダリア(星の王子)、ピンポン菊(葉物)星斑ハラン、レザーファン(枝)雪柳、花ナス(レッドピンポン)

 久し振りに獅子舞を舞いました。

 現在住んでいる地域は、獅子舞が盛んで、大獅子が1頭、子獅子が2頭います。
 秋祭りとして、毎年9月第3日曜日は、獅子舞の日に決まっています。
 還暦間近で、しかも持病の腰痛持ちの小生が頼まれたのは、大獅子。俗にいう獅子舞は、ここでは「子獅子」を指します。激しい所作が求められる子獅子。残念ながら老体の我が身には、声が掛かるはずもありません。あんなに激しい動きには、もうついていけるはずもありませんから。
 大獅子は1日だけ、子獅子2頭は2日間にわたって、全町内を舞います。

   大獅子。
 獅子頭(ししがしら)から、尾までの全長が14メートル。横幅が2.5メートル。文字どおり、大きな獅子です。この大獅子の中に、大人18名が入ります。頭(かしら)を操る人が1名。胴体部分で蚊帳(かや)を竹で持ち上げる人が、左右に8名ずつの計16名。尾を振る人が1名。
 この大獅子のために、6町内から5名ずつ計30名の協力依頼があり、笛や太鼓の囃子方(はやしかた)や世話役を含め、総勢は約40名にも及びます。
 小生も、40代前半まで大獅子に参加していましたが、歳とともに疎遠に。今回、たまたま町内で若手が揃わないとのことで、10数年ぶりに復帰することに。

 「雨男」という有難くない名称を頂戴している我が身には珍しく、この日は見事なほどの日本晴れ。時折、さわやかな秋風も吹きよせる、絶好の日和となりました。

  午前8時20分。獅子舞の装束である法被(はっぴ)や脚絆、足袋に身をつつみ、神社に集合。困ったのは、草履(ぞうり)。わら草履など、日頃履く機会があるはずもなく、自己流でなんとか履いて行きましたが、宮に着くなり、町内の人に笑われ、若い衆に縛り直してもらう羽目に。

 午前9時。神主からお祓いを受け、獅子舞に魂を入れ、いよいよ出発。
 回る戸数は、地域にあるすべての民家、会社、老人施設など、約250軒。1軒ごとに玄関先で、お囃子に合わせ、舞います。小生の役割は、蚊帳(かや)持ち。以前までは、獅子頭を持って舞うこともありましたが、かなり重い頭を勢いよく振り回す体力は、もうありません。慣れた若い衆ですら、連続で5軒も舞うと腕が上がらず、くたくたになるほどですから。頭を操る人は、順次7~8人で交代します。

 お昼の休憩時間、45分をはさみ、大獅子が終了したのは、夕方5時少し前。
 蚊帳を持ち上げつつ、お囃子に合わせて、足を交互に舞うだけですが、他の人と一度も交代することが無かったため、正直疲れました。若連中は、最後まで元気でしたが、我が身は、足も膝もガタガタ。何といっても、6~7時間歩き通しだったわけですから。
 はじめは顔も知らなかった他の町内の人たちとも、丸1日も蚊帳の中に入っていると、いつの間にか連帯感が生まれました。

 この大獅子。一時期、下火になりかけた時期もあったそうですが、今日まで地域住民に守られ、営々と古き伝統が受け継がれてきています。

 町内会長に頼まれ、ピンチヒッターで参加した大獅子。
 老体には堪えましたが、最高の秋晴れにも恵まれ、それなりに実りのある一日でした。

P.S.
ブログをアップする日が1日遅れ、申し訳ありませんでした。
「民芸」については、次回書かせていただきます。(O)

一枚の絵

2015.08.18

(花)グロリオーサ、カーネーション、ケイトウ(葉物)ヒペリカム、丸葉ルスカス(枝)ドラゴン柳

(花)グロリオーサ、カーネーション、ケイトウ(葉物)ヒペリカム、丸葉ルスカス(枝)ドラゴン柳

 久し振りに美術館巡りをしました。
 世界一かわいい美術館、県水墨美術館、県立近代美術館の3つの美術館です。

  水橋駅近くにある世界一かわいい美術館は、運悪く「お盆3日間は休館」とあり、正面ドア前でガックリ。

  県水墨美術館は、「超絶技巧!明治工芸の粋」が企画展。
 最終日の、しかも午後に出掛けたため、廊下まで溢れ出る長蛇の列。約30分間の入場制限を経て、なんとか会場へ。
 京都・清水三年坂美術館の所蔵品であり、以前、NHKのEテレ「日曜美術館」でも紹介された、選りすぐりの逸品ぞろい。安藤緑山の木彫・牙彫はじめ、明治工芸の粋を、この目でしっかり堪能できました。
 ただ、欲を言えば、自分のペースでゆっくり鑑賞したかったです。

  県立近代美術館。
 この美術館は、抽象画やポスターなどの企画展示が多いため、日頃あまり足を運ばない美術館。
 今回、企画展「戦後70年 無言館展 画布に遺した青春」が開催中のため、約1年ぶりに訪ねました。会場に入って、ビックリ。入場者の多いこと。年配者もさることながら、中学生や高校生、家族連れが目立ちます。夏休みの自由研究のためでしょうか、熱心にメモを取る姿もあちこちで見受けられました。

  長野県上田市にあるという戦没画学生慰霊美術館、「無言館」。
 この美術館には、第二次世界大戦中、志半ばで戦場に散った画学生たちの遺した日本画や洋画などが、全国各地から収集され、展示されているそうです。戦後70年の節目を迎え、「無言館」に所蔵されている作品の中から、今回、画学生たちの遺作、遺品約150点が紹介されています。

  会場全体を通して、トーンが暗く、陰影の濃い作品が目立ちます。
 戦時中という時代背景が、そのまま絵に反映したためでしょうか。それとも、絵筆を銃にかえなければならなかった学徒たちの無念さ、心の葛藤が、画風に色濃く表現されたためでしょうか。

  そのような中で、心にとまった作品は、小野春男さんの屏風絵「茄子」。
 小野春男さんは、京都市出身の日本画家で、昭和17年に出征し、昭和18年に戦死。享年26歳。日本画家・小野竹喬(ちっきょう)の長男とあり、驚きました。小野竹喬さんは、言わずと知れた日本画壇の重鎮。大好きな画家の一人です。戦死されたご長男がおられたことを、初めて知りました。

  「茄子」を見せていただく限り、小野春男さんは非凡な才能の持ち主だったようです。素人であるこの身に、画の価値などわかるはずもありませんが、もし存命だったならば、父・竹喬さんのように大いに活躍されたかもしれません。有為な人材を失った気がします。

  学生時代、「きけ わだつみのこえ ― 日本戦没学生の手記」(岩波文庫)、和田稔著「わだつみのこえ消えることなく」(角川文庫)など、学徒出陣で出征した学生たちが遺していった、数々の遺稿集を読んだ時期がありました。
 声にならない声に、心響くものがありました。

 戦後70年という節目の年。
 小野春男さんの一枚の絵に魅せられ、志半ばで戦禍に散った多くの学徒たちに、想いを馳せた盆休みでした。(O)

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