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ちょっと早めの老い支度

2014.12.08

(花)カラー、トルコききょう、スプレーデルフ、スイートピー(実)バーゼリア(葉物)ドラセナ、レザーファン

(花)カラー、トルコききょう、スプレーデルフ、スイートピー(実)バーゼリア(葉物)ドラセナ、レザーファン

 エッセイスト・岸本葉子さんの講演会に行ってきました。

  6日、土曜日の午後、サンフォルテで開かれた講演会。
 「わくわく人生セミナー」の第1回目の講師として、岸本葉子さんが招かれたものです。人気エッセイストとあって、定員50名(申込先着順)に対し、200名以上もの応募があり、結局、会場を会議室からホールに変更して開催されました。

  「ちょっと早めの老い支度」と題して、語られた岸本さん。
現在53歳で、独身の岸本さん。在宅介護で認知症のお父さんを、妹さんの助けや公的な介護支援を受けつつ、基本的には岸本さん一人で6~7年にわたって介護し、今年90歳で看取られたとのこと。得がたい経験にもとづき、「親の介護」「住まい」「健康」「エンディングノート」「身辺整理」など、人生を楽しみながら老いを迎えるヒントや心づもりを語られました。

  40代、50代。「老い」は決して、他人ごとではなく、漠然としながらも確実に自分の身に迫ってきています。そして、一方では介護する立場として、親の「老い」と正面から向き合い、時には重くとも、親の老いをしっかりと背負っていくものと思います。

  講演で、心に残ったお話を紹介します。

  岸本さんのお父さんは、最後は入院されたそうです。
 点滴を受けていても、認知症のお父さんはいつの間にか針を抜いてしまうそうです。抜けないように、ボクシングのグローブのように両手を覆っても、それでも見ていないうちに、上手に針を抜いでしまうそうです。そのたびごとに、岸本さんはナースステーションへ行き、看護師さんに頭を下げ、お詫びをして、再び点滴をお願いします。
 でも、看護師達さんは、嫌な顔を一つもされなかったそうです。

 というのは、お父さんは自分で針を抜くにもかかわらず、針を入れるときは看護師さんに対し、毎回「お世話になります」と笑顔で接したそうです。認知症のお父さんは、状況をよく理解出来ていないにもかかわらず、自分に接する人に対しありがとうと言える心、常に感謝できる心が内側にあったそうです。
 笑顔のお父さんに、看護師さんは気持ちよく、点滴の準備が出来たわけです。

  認知症が重くなっても、感謝の思いが持てること。自然に「ありがとう」の言葉が口から出て、優しく他人に接することができること。
 これらは、一朝一夕に身に付くものでは無く、若いころからの日々の心の持ちようが、たとえ認知症になったとしても、自分で意識しなくても、無意識のうちに滲み出てくるのではと、岸本さんは語ります。

  豊かな老いを迎えるためには、健康も、経済的な支えも、住まいも、当然大切です。でも、一番大切なのは、感謝の心を持ち日々を生きることであり、老い支度の根本はここにあるのではと、講演を終えられました。

  東大教養学部を卒業され、美人なエッセイストとして、有名な岸本さん。
 40歳の時、虫垂がんに罹り、大きな手術を受けておられます。詳しくは、著書「がんから始まる」(文春文庫)に記述してあり、がんに関する著書も多くあります。講演で、ご自身の癌から克服された経緯を語られるのかと思っていましたが、軽く触れられたのみでした。

  岸本さんの講演は、初めから終わりまで、静かな語り口の中にも、明るく、軽妙な流れがあり、エッセイの文脈と変わらないナ――と、感じました。
 数多くある岸本葉子さんのエッセイを、また読ませてもらおうと思います。(O)

冬の街路を飾るイルミネーション

2014.12.05

穀物が豊かに実るようにと五穀豊穣を祈った宝船

穀物が豊かに実るようにと五穀豊穣を祈った宝船

 今年も、鮮やかなイルミネーションが点灯しました。

  富山市の「とやまスノーピアード2015」に合わせて、農協会館も駐車場の正面でイルミネーションを始めました。

 明るく彩られたイルミネーションは、宝船と立山杉の2基。
穀物が豊かに実るようにと五穀豊穣を祈った宝船と、富山県の県木を表した立山杉が夜空を飾っています。

 

富山県の県木を表した立山杉

富山県の県木を表した立山杉

 木の枠は、11月下旬に株式会社柴崎農園(富山市長岡)さんが組んでくださり、12月初めに松田電機工業株式会社(富山市八町)さんが、高所作業車を使いながらLED電球を付けてくださいました。

  イルミネーションは来年2月まで、冬の街路を明るく飾り、人々の目を楽しませてくれる予定です。(O)

2回目の自衛消防・防災訓練を行いました。

2014.12.01

(花)エリンジューム、バンダ、トルコききょう(枝)レッドドラゴン柳(葉物)ウーリーブッシュ、丸葉ユーカリ

(花)エリンジューム、バンダ、トルコききょう(枝)レッドドラゴン柳(葉物)ウーリーブッシュ、丸葉ユーカリ

 第2回目の自衛消防・防災訓練が、11月26日に農協会館で行われました。
 当会館は、消防法にもとづき、「特定防火対象物」に指定されており、毎年、消防訓練を年2回、防災訓練を年1回実施することが義務付けられており、8月引き続き実施しました。

  午後1時30分から903会議室で行われた訓練には、館内に入居している9団体から20名が参加しました。

  初めに、農協会館自衛消防隊の組織図にもとづき、各団体の役割分担や任務、避難経路などを確認するとともに、「農協会館消防・防災○×クイズ」を行い、10の設問にもとづき、消防や防災に関する基礎的な学習しました。

  続いて、8階ロビーの喫煙室から火事が発生したとの想定で、避難訓練を実施。
 富山消防署に火事を通報するとともに、参加者全員で9階から公園側の西側階段を使用して、会館前の駐車場まで避難しました。最後の人が到着するまでの所要時間は、3分40秒でした。

 最後は、消火栓と消火器を使った消火訓練。
 消火栓は、各階に2カ所ずつ設置してありますが、実際にホースを出して訓練する機会はなかなかありません。今回は1階ロビーで、㈱北陸綜合防災センター富山支社の長木さんと高堂さんの指導を受けながら、2人ペアになって、操作方法を実習しました。
 続いて、駐車場で消火器の操作方法の説明を受け、各団体からの代表者が、実際に消火器を使用しながら、安全栓を抜き、レバーを強く握り、消火訓練を行いました。

  今回の訓練にあたり、㈱北陸綜合防災センターの方にお世話になり、改めて感謝申しあげます。(O)

消火器を実際使用して、消火訓練を行いました。

消火器を実際使用して、消火訓練を行いました。

 

もう健さんの文章が読めない。

2014.11.26

 

(花)ガーベラ、シンピジューム(枝)ヒペリカム(葉物)ポボラス、ドラセナ、シラス

(花)ガーベラ、シンピジューム(枝)ヒペリカム(葉物)ポボラス、ドラセナ、シラス

 高倉健さんが、83歳で旅立たれました。
 突然の訃報に、とても驚きました。人知れず、忽然(こつぜん)とこの世を去る姿は、いかにも健さんらしい気がします。

 家内も映画好きなため、時間を合わせて、時々邦画を中心に観に出掛けます。
 健さんの遺作となった映画「あなたへ」も、2年前、ロードショーとともに観に行きました。映画終了後、家内も私も目頭が熱くなり、字幕スーパーが流れている間、言い尽くせない深い余韻の中に浸っていました。周りも、席を立つ人がほとんどなく、すすり泣く声があちこちで聞こえていたことを覚えています。

 健さんの映画を初めて観たのは、山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」でした。
 大学生だったその当時から、高倉健さんは大変人気がありました。でも、私にとっては「任侠映画の俳優」というイメージが強く、かってに嫌悪に近いものすら抱いていました。それだけに、「幸福の黄色いハンカチ」を観た時は、不器用ながら朴訥(ぼくとつ)と誠実に生きる主人公と、健さんがダブって映り、すっかり健さんの人柄に魅せられました。
 以来、折に触れ、健さんの映画を観てきました。好きな映画を強いて挙げるとすれば、「鉄道員(ぽっぽや)」です。

 健さんのお母さんが亡くなった時、健さんは「あ、うん」という映画の撮影中でした。葬儀に間に合わず、1週間後、ふるさと福岡に帰ったそうです。お線香をあげ、おがんでいるうちに、おかあさんの骨を見たくなり、仏壇の骨箱をあけます。お母さんの骨を見ているうちに、むしょうに、おかあさんと別れたくなくなって、骨をバリバリかじってしまったそうです。そばにいた妹さんたちが、驚いて悲鳴をあげ、気が狂ったのかと思ったとのこと。でも、そうではない。りくつではなく、そのとき、おかあさんと、どうしても別れたくないと強く思った。と、著書「南極のペンギン」(集英社文庫)に、健さんは著しています(85P)。

  健さんが、エッセイストであることは、意外でした。
 安価本や絶版本、珍しい本を見つけるため、時々、BOOK・OFF(ブックオフ)に足を運びます。7、8年前だったと思いますが、本棚で「高倉健」の名前を見つけて驚きました。人違いかと思いました。俳優のイメージと作家のイメージとが、どうしても一致しなかったからです。やはり、あの「高倉健」さんでした。

  その時、手にした本が、「南極のペンギン」です。
 逝去を知り、改めて再読しました。健さんらしい、飾らない、いい本です。まるで、童話を読んでいるような、心温まる不思議な本です。中でも「ふるさとのおかあさん」が、特に好きです。知っている限りでは、健さんは他に「旅の途中で」(新潮文庫)と「あなたに褒められたくて」(集英社文庫)を残しておられます。
 著書「あなたに褒められたくて」の最後に、お母さんに関する随筆が載っています。

 お母さん。僕はあなたに褒められたくて、ただ、それだけで、あなたが嫌がっていた背中に刺青(ほりもの)を描(い)れて、返り血を浴びて、さいはての『網走番外地』、『幸福の黄色いハンカチ』の夕張炭鉱、雪の『八甲田山』。北極、南極、アラスカ、アフリカまで、30数年駆け続けてこれました。
別れって哀しいですね。
いつも――。
どんな別れでも――。(202P)

 頑固で、優しくて、そして有難い母だったんです。
 自分が頑張って駆け続けてこれたのは、あの母に褒められたい一心だったと思います。(201P)

 背筋の伸びた、たくましい健さんの後ろ姿。その背骨には、いつもお母さんの言葉があったといいます。
 「辛抱ばい」
   「家族に恥ずかしいことをしなすんな」
 健さんは今頃、愛するお母さんの膝許に帰って行かれたのでしょうか。

  映画もさることながら、もう健さんの新たな文章が読めないと思うと、淋しいです。(O)

アンケートの回答、ありがとうございます。

2014.11.19

 

(花)カラー、シンピジューム、トルコききょう、てまり草(枝)梅もどき(葉物)モンステラ、ドラセラ、ゴットセファナ

(花)カラー、シンピジューム、トルコききょう、てまり草(枝)梅もどき(葉物)モンステラ、ドラセラ、ゴットセファナ

お客様アンケートの回答、ありがとうございます。

 今年2月から、当会館9階会議室の貸出しを始めました。
 空き部屋だった事務室をリニューアルし、新たに5部屋の会議室を新設したものです。
 当初、ご利用の申込みが少なかったのですが、4月以降は、大変ありがたいことにご利用がかなり増加しています。もちろん近隣の県民会館さんが、現在、免震工事を実施中ですので、その関係で当会館の利用が増加したものと思います。

 会議室の新設とともに、4月からお客様アンケートを実施しています。
 会議室やホールを利用された後、利用料金の請求書を発送しますが、その際アンケートを同封し、記入後、FAXで送付していただくという方法です。

 主なアンケートの設問は、
1.会議室等を利用された満足度は、いかがですか?
2.会議室、備品等の料金設定は、いかがですか?
3.スタッフの応対は、いかがでしたか?
4.今後も、会館を利用したいと思われますが?
5.利用された感想を、自由にご記入ください。
6.ご要望やご意見、改善点がありましたら、自由にご記入ください。
といった内容です。

  貸会議室業を進めていく中で、CS(Customer Satisfaction)、顧客満足度を常に確認していくことは、とても大切なことと考えています。
 1階事務所にいると、実際に利用されるお客様の声に気づかないことがあります。大概のお客様は、初めに事務所に立寄られ、終わられた後、改めて事務所に顔を出されます。途中何かあれば、内線電話等で連絡が入り、その都度、対応させてもらっています。それでも、後日改めてアンケートを記入して送っていただけることは、重要な事と考えています。大変嬉しいことに、一定数のご回答をいただいています。

  手元に届いたアンケートは、事務所内部で回覧のうえ、専務・会長にもまとめて報告しています。お客様からご指摘やご意見があり、対応すべき事柄があった場合は、その結果も報告書に記述しています。

  当事者としては、変な言い方かもしれませんが、お褒めの言葉をいただくより、問題点やクレーム、何か気付かれたことを、そのまま率直に書いていただく方がありがたいです。外部の方が利用されて初めて分かることが、結構あるからです。ある一人の方が思われたことは、他の方も当然感じておられるはずです。単に言葉に出しておられないだけだと思います。こちらとして避けたいのは、何も言われないまま、その後利用されないことです。声なき声が、一番怖いです。

  現在、県内はもちろんの事、東京や神奈川、愛知、大阪、兵庫、新潟、石川県など、今までに申込みがなかった県外の新たな会社や法人、各種団体様からのご利用が増えています。単なる会議や研修に止まらず、従来に無かったレイアウトや利用形態による、ご利用も増加しています。

  正直言って、会館は施設が古く、様々な制約があります。
 しかし、何よりも会議室やホールを利用されたお客様が、少しでも気持ちよくお帰りいただけるよう、スタッフ一同業務に励みたいと思います。
 たかが、会議室かもしれません。されど、会議室なのです。(O)

プランターによる野菜栽培

2014.11.11

 

(花)グラジオラス、グロリオーサ、ダリア(葉物)ヒペリカム、レザーファン

(花)グラジオラス、グロリオーサ、ダリア(葉物)ヒペリカム、レザーファン

 今年初めて、プランターによる野菜栽培にチャレンジしました。

 きっかけは、大平光代さんの著書「陽だまりの時間」(中公文庫)です。
もちろん、土地のない都会暮らしの人々が、マンションのベランダなどで、プランターを使ってキュウリやピーマン、トマトなど、野菜を栽培していることは知っています。
 ただ、どう考えても豊かな土地がある富山では、プランター栽培は無縁と考えていました。

 大平さんは、ダウン症の娘さん、悠(はるか)ちゃんのために、大阪から兵庫県の静かな山里に移り住んでおられます。少しでも新鮮でおいしい野菜を食卓に並べようと、自宅の庭で野菜栽培を始めますが、水はけがよくなったため、うまく育ちません。そこで、プランター栽培に切り替えたところ、ナスやキュウリ、ミニトマト、パプリカ、トウモロコシなど、数多くの野菜が収穫できているとのこと。

 この本を読んだのは、5月の連休明け。
 早速、ミニトマトやミディトマト、パセリ、シシトウ、とうがらし、ゴーヤ、オクラの苗を購入。母が畑で、キュウリやトマト、なす、ピーマンなど、夏野菜のほとんどを栽培しているため、敢えてマイナーな野菜でチャレンジすることにしました。

   初めての体験でしたが、結果として、オクラ以外、すべて成功。ミニトマトとミディトマトは、7月上旬から10月中旬まで、驚くほど収穫できました。おかげで、家内が作ってくれる弁当に、これでもか、これでもかという程、毎日トマト君が登場。ゴーヤも、わずか4本しか植えなかったにもかかわらず、すくすく伸びて、軒下まで広がる立派なカーテンが誕生しました。よく「緑のカーテン」という言い方をしますが、私にも出来ました。ただ、ゴーヤの実が思ったより大きくならなかったことが、残念でした。

 花も、プランターや鉢で20鉢ほど栽培しましたが、立派に咲き揃い、晩秋の今に至るまで、玄関先を豊かに飾ってくれています。4月中旬から現在まで、このように花々を楽しめることは、大変ありがたいことです。今年初めて植えた朝顔も、ゴーヤに負けないくらい、軒下までツルが伸び上がり、4種類の花をいつまでも楽しめました。
 家人によると、今年はいつになく、庭先に小鳥やミツバチ、蝶の飛来が多かったそうです。

  日々の水やりと適度な肥料の施肥。
 ただ、これだけの繰り返しですが、毎日野菜と花の生育を見ていると、嬉しいもの。オクラやカスミソウのように、失敗したものもありますが、朝晩、少しずつ育っていくのを見るのは、やはり楽しいものです。

 大平光代さんも、山里暮らしながら、庭でハーブを育て、料理に腕を振るい、子育てに真剣に向き合い、明るく生きておられます。かつては、弁護士として、また大阪市助役という多忙な中で生きていた大平さん。今は、子育てに奮闘中で、「野菜作りは子育てと一緒で、なかなか思うようにいかないけれど、少しずつ育っていくのを見るのはうれしいもの」と語っておられます。私たちが忘れがちな、「1日1日を丁寧に感謝して生きる」豊かさが、「陽だまりの時間」にあふれています。

 来年も、自分なりに野菜づくりと花栽培を楽しみたいと思います。
 それと、大平さんに教えていただいた「乾燥野菜」。今年は、残念ながら器具だけを購入し、全く手つかずに終わりましたので、来年こそチャレンジするつもりです。(O)

ある一冊の本

2014.11.05

 

(花)ゆり、オンシジューム、デンファレ、(枝)どうだんつつじ(葉物)ピット、レザーファン

(花)ゆり、オンシジューム、デンファレ、(枝)どうだんつつじ(葉物)ピット、レザーファン

「人生は邂逅(かいこう)である」といったのは、文芸評論家の亀井勝一郎氏だったと思います。
 邂逅とは、思いがけない出会いやめぐり合いという意味です。自分の人生を振り返った時、ある人に出会ったことやある一冊の本を読んだこと、また、小さな出来事がひとつの転機になったということは、よくあることと思います。

 私にとって、邂逅のひとつは、三浦綾子さんの著書「塩狩峠」です。
 高校2年の秋に学校の図書館でふと手にした、この本。著者の名前も知らず、書名も聞いたこともありませんでしたが、何気なく読み進むうちに、惹きつけられ、一気呵成に読み終えました。
 既に読まれた方も、おられると思います。明治末年、主人公・永野信夫が、結納のため旭川から札幌に列車で向かう途中、塩狩峠の頂上にさしかかった時、突然客車が離れ、暴走し始めます。鉄道職員であった信夫は、すぐにハンドブレーキに手をかけますが、列車は止まりません。結局、自らの命を犠牲にして大勢の乗客の命を救ったという、実話にもとづく小説です。こんな生き方もあるんだと、衝撃に近いものを受けました。  
   以来、三浦綾子さんの本をもっと読みたくなり、「道ありき」「塩狩峠」「この土の器をも」など、一連の著書を貪るように読んだことを覚えています。

 そのうち、三浦綾子さんに直接会いたくなり、今から丁度40年前の大学1年生の夏休みに、ご自宅のある北海道旭川市を訪ねました。
 訪問したい旨を電話で告げると、秘書の方に丁重に断られました。当然です。見ず知らずの者が、突然押しかけるのですから…。しかしながら、どうしても諦めきれず、住所を頼りに訪ね歩き、ご自宅に着いたのは午後8時半過ぎ。大変失礼と思いつつ、チャイムを押すとご主人の光世(みつよ)さんが出てこられ、快く受け入れてくださいました。残念ながら綾子さんは不在でしたが、光世さんと30分余り語らいの場を持たせていただきました。不躾な訪問にもかかわらず、光世さんは温かく誠実に接してくださり、今振り返っても心温まる思いがします。
 結局、綾子さんとは、翌年の夏休みに北海道大樹町の牧場で働かせてもらった後、旭川に立ち寄り、お会いすることが出来ました。

 三浦綾子さんは、約80冊の著書を執筆されたと聞いています。
 三浦さんの本で、読んでない本はおそらく無いと思います。いつも発刊されるのを心待ちにし、店頭に並ぶと同時に購入したものです。三浦さんは、生前、多くの難病に罹っておられます。そのため、思うように出版が進みませんでしたが、一冊、一冊を絞り出すように、あたかも遺言を書くように執筆されている気がしていました。

好きな本を強いて挙げるとすれば、「塩狩峠」「道ありき」「泥流地帯」「銃口」です。特に「塩狩峠」と「道ありき」は、節目あるごとに読んでおり、これまでに7、8回読んだと思います。同じ本でありながら、不思議と毎回新たな発見があります。

  
 先日NHKで、三浦綾子さんの本が東北地方、特に3.11の災害にあった地域で、よく読まれているという報道がありました。中でも、「泥流地帯」は、厳しい自然災害を扱っているだけに、多くの共感を呼んでいるとも聞きました。三浦綾子さんの本が、色々な方に用いられていることは、嬉しい限りです。

  先日の10月30日に、三浦光世さんが亡くなられました。90歳だったそうです。
 「道ありき」に出てくる前川正さん、三浦光世さんが私の目標でした。遠く及ばない存在でしたが、漠然としながらもお二人に近づきたいと思っていました。
 三浦光世さんにとっては、あの夜の出会いは、小さな出来事であり、もう記憶にもなかったと思います。でも、私にとっては、新たな道へ踏み出す第一歩の夜となりました。改めて、感謝しています(O)

10月27日  (花)スプレーバラ、ガーベラ、カーネーション(実)秋明菊の実(葉物)木苺

10月27日  (花)スプレーバラ、ガーベラ、カーネーション(実)秋明菊の実(葉物)木苺

10月20日  (花)ダリア、マリーゴールド、アンスリューム(枝)つる梅もどき(葉物)ドラセラ、コンパクター、ヒペリカム紅葉

10月20日  (花)ダリア、マリーゴールド、アンスリューム(枝)つる梅もどき(葉物)ドラセラ、コンパクター、ヒペリカム紅葉

カターレ富山の選手が、応援チラシを配布

2014.10.15

農協会館前で、7名の選手・スタッフの皆さんが応援を呼び掛けました。

農協会館前で、7名の選手・スタッフの皆さんが応援を呼び掛けました。

コンサドーレ札幌戦のチラシを手渡すカターレ富山の選手。

コンサドーレ札幌戦のチラシを手渡すカターレ富山の選手。

「19日のコンサドーレ札幌戦、スタジアムで応援してください。」

 15日の朝、カターレ富山の選手とスタッフ7名が、農協会館前でホームゲーム告知チラシを配布しました。カターレ富山は現在、J3降格の危機にあり、10月19日(日)に開催されるコンサドーレ札幌戦に一人でも多くのファンを集め、力強い応援で選手をサポートしてもらおうと実施されたもの。

 7時40分過ぎから、選手らは会館に出勤してくる職員に「19日は、ホームゲームです。スタジアムで、力強い応援お願いします」と声を掛けながら、案内チラシを1枚ずつ配布しました。今回、配布に参加したのは、選手が梅村さん(MF)と前さん(DF)の2名、クラブスタッフが深川さん、瀬島さん、松下さん、永冨さん、高嶋さんの5名。
 17日朝にも、JR富山駅前で告知チラシを配布する予定だそうです。

 10月11日の水戸ホーリーホック戦に引き続き、コンサドーレ札幌戦の連勝を期待しています。(O)

 

 

幻の名器・ストラディヴァリウス「デュランティ」

2014.10.15

ハロウィン、第2弾です。(花)トルコききょう、スプレー菊、カーネーション(枝)カンガルーポー(葉物)ファガス、木苺、レザーファン

ハロウィン、第2弾です。(花)トルコききょう、スプレー菊、カーネーション(枝)カンガルーポー(葉物)ファガス、木苺、レザーファン

20日に、千住真理子さんのヴァイオリンリサイタルが高岡文化ホールで開かれます。

千住真理子さんのリサイタルを聞くのは、今回が2回目。
前回は、2012年11月に県民会館で開かれた「アフタヌーン・スペシャルコンサート」。その時の曲目は、クライスラーの「愛の悲しみ」やサラサーテの「ツィゴイヌルワイゼン」など、小品5曲。クラシック音楽は、もとより門外漢な私ですが、あの運命的な出会いをした、幻の名器ストラディヴァリウス「デュランティ」の音色を聴けただけで、もう十分満足でした。

千住博氏、千住明氏、そして千住真理子さんと、有名な天才3兄弟。
長男の千住博氏は、東京芸大大学院を卒業され、国際的に活躍する日本画家。昨年まで、京都造形芸術大学の学長をされ、滝(ウォーターフォール)の絵がとても印象的です。
次男の千住明氏は、慶応大学工学部を中退して、東京芸大作曲科に入り直したという、異色の作曲家。ポピュラーからクラシックまで、幅広くジャンルを超えて作曲され、現在日本で最も注目される作曲家です。以前、NHK・Eテレの「日曜美術館」の司会をされていて、感性が豊かなうえに、飾らない人柄で、森田美由紀アナとの息もピッタシ。好感度、抜群でした。

千住真理子さんは、いうまでもなく日本を代表する世界的なヴァイオリニスト。
パンフレットによると、「2歳半よりヴァイオリンを始める。全日本学生音楽コンクール小学校の部全国1位。NHK交響楽団と共演し12歳でデビュー。日本音楽コンクールに最年少で優勝。パガニーニ国際音楽コンクールに最年少で入賞。1993年文化庁『芸術作品賞』、1999年、ニューヨーク・カーネギーホールでソロリサイタルを開き、大成功を収める。2002年秋、ストラディヴァリウス『デュランティ』との運命的な出会いを果たし、話題となる」とあります。

千住真理子さんが今日あるのは、母・文子さんの存在が大きかったようです。
詳しくは、文子さんの著書「千住家の教育白書」(新潮文庫)に記されています。超エリート家族の、子育てハウツー本かと軽い気持ちで手にしましたが、読み進むうちに、ただただ圧倒され、この母、この父、この温かい家庭があって、あの3兄弟があることを教えていただきました。

真理子さんは、当然、先天的にヴァイオリニストとしての、豊かな天賦の資質を持って生まれてこられたと思います。しかし、輝かしい才能を発揮される裏には、生半可ではない、信じられないような努力が積み重ねられ、影では、母・文子さんがしっかりと支えておられます。特に、かの有名な江藤俊哉氏に師事し、超人的なレッスンを受ける描写は鬼気迫るものがあり、母子でいかに難局を乗り越えて来たのか、心打つものがあります。

その文子さんが、昨年6月に87歳で永眠されました。
文子さんのがんが見つかり、余命宣告を受けてから、母娘の往復書簡を始めます。34通にも及ぶ手紙の中で、生と死について、東北大震災について、芸術とはなにか、女性の幸福とは何か、互いに真摯に語り尽しています。「命の往復書簡」(文芸春秋社)として出版されていますが、誠実な二人に感動するとともに、互いの魂が美しく響きあい、幾度も目頭を熱くしながら読ませていただきました。

千住真理子さんの演奏を生で聴く機会は、滅多にないと思います。
それだけに、最初ローマ法王の手元にあったというデュランティの音色を、心静かに聴かせていただくつもりです。

最後に、心に残った真理子さんの父・鎮夫さんの言葉をご紹介させてもらいます。

「ダイヤモンドというのは磨かないと光らないんだよ。そして傷をたくさんつけるんだ。そうするときらきら輝きはじめる。無数の傷がダイヤモンドの価値になっていくんだ。磨いていないダイヤモンドが砂浜にあっても誰も気づかない。でも、毎日毎日ダイヤモンドだと信じて磨いていたら、いつの日か輝いて、誰かが必ず見つけてくれる」千住文子著「千住家の教育白書」(新潮文庫、278P)(O)

 

昔懐かしいカレンダー

2014.10.06

今週は、ハロウィンです。(花)ガーベラ、ケイトウ、サンダーソニア(枝)ドラゴン柳(実)ヒペリカム(葉物)パニカム

今週は、ハロウィンです。(花)ガーベラ、ケイトウ、サンダーソニア(枝)ドラゴン柳(実)ヒペリカム(葉物)パニカム

早いもので、もう来年のカレンダーの申込用紙が届きました。

カレンダーは、業者の方からいただく一般的なものを使用していますが、自分なりにこだわっている一品があります。
それは、画家・向井潤吉さんのカレンダーです。

茅葺(かやぶ)き屋根の民家を、よく描いたことで知られる洋画家の向井潤吉さん。
向井さんは、1995年に93歳で亡くなられるまで、失われてゆく古民家や田園風景など日本の原風景を追い求め、全国各地を歩いています。作品の中心になっている民家と風景は、戦後間もない頃から描き続けられたもので、今ではほとんど見る事の出来なくなった懐かしい光景が、独特のタッチで描かれています。

向井潤吉さんを初めて知ったのは、一昨年9月に南砺市の福光美術館で開かれた展示会の時。
テレビで展示会のことを知り、早速、美術館に足を運びましたが、素晴らしい展示内容で、一つひとつの作品を食い入るように見せてもらいました。会場は、入館者がほとんどおらず、深い感動を受けながら、自分のペースで何回も見て回ったことを覚えています。
以前から絵画が好きで、時間を割いてはあちこちの美術館や博物館を回っていますが、向井潤吉さんの作品は初めて鑑賞させてもらったにもかかわらず、不思議と昔懐かしい思いを受けました。それ以来、すっかり向井潤吉さんのファンになりました。

向井さんの作品を見たくて、時々、東京・世田谷区にある向井潤吉アトリエ館を訪ねています。駒沢大学近くの閑静な住宅街の一角にあるアトリエ館。平成4年まで自宅兼アトリエであった建物と作品が保管されていた古い土蔵が、そのまま展示室として使用されています。新しく建設された近代的な美術館とは異なり、個人の住宅らしい自然な温もりと、長年、生活する中から育まれた息遣いが感じられ、独特の空間を作っています。
今まで違った季節に3回訪ねましたが、小さな庭もそれぞれ異なった彩りが感じられ、新鮮な思いでアトリエ館に入っています。
スタッフの方々も家族的で、いつも我が家に帰ってきたような不思議な思いにさせられます。全国に多くの美術館がありますが、常時、おいしいお茶が準備してある所はあまりないと思います。

たかが、カレンダーかもしれません。
でも、今から来年の向井潤吉さんのカレンダーが届くのを楽しみにしています。生涯、このカレンダーは買い求め続けると思います。(O、次回は10月15日に更新します)

 

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