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小学校の閉校

2016.02.08

バレンタインです。[花]バラ(サムライ)、(ルビーレッド)、スプレーバラ(湘南キャンディレッド)、ホワイトレースフラワー、[葉]丸葉ルスカス

バレンタインです。[花]バラ(サムライ)、(ルビーレッド)、スプレーバラ(湘南キャンディレッド)、ホワイトレースフラワー、[葉]丸葉ルスカス

 現在住んでいるA市で、小学校統合の話が出ています。
 3地区にある小学校3校を統合して、別の場所に新しく小学校を建設しようというものです。今後、5年以内を目途に、地域と協議を進めたうえで、方向性を決定するそうです。

 少子化が叫ばれて、久しい今日。
 確かに周りでも、子供たちは少なくなっています。
 平日はもちろんのこと、休日でも子供たちが遊んでいる姿を目にすることは、滅多にありません。40軒足らずの小さな町内ですが、小中学校へ通っている子供たちは、ごく少数のようです。

 町内に児童公園があり、年に2~3回、町内あげて早朝から草むしりをしています。花壇にさまざまな花を植え、公園の整備もしています。子供向けの遊具も色々設置してありますが、公園で遊んでいる子供たちを見掛けることは、まずありません。

 児童数が年々減少する中で、適正な規模を保つために、小学校を統廃合することは、自然な流れだと思います。ただ、小学校の統廃合については、何かと地域と密着しているだけに、地域に及ぼす影響は少なくないようです。

 昭和40年代前半、もう半世紀も前のことになります。
 B市の統廃合計画にともない、通っていた小学校が廃校となりました。小学校5年生の時です。
 全校生徒、100人にも満たない小さな小学校。山あいにある、2階建ての古びた木造校舎。明治時代に尋常小学校として建てられ、長く地域で愛され、多くの卒業生を送り出して来ました。祖父も、祖母も、父も、母も、姉も、皆この小学校の卒業生でした。

 校庭の周りに桜の木が多く植えられ、春には爛漫たる桜で満ち溢れ、葉桜も色鮮やかで、秋には色とりどりの紅葉で溢れていました。豊かな時代とは言えませんでしたが、あの小学校には、濃厚でゆったりとした時間が流れていた気がします。

 6年生を卒業式で送り出した翌日、閉校式が行われました。
 生徒や先生、卒業生、地域の人々、そして市役所の関係者ら。小さな体育館は、多くの人で一杯になりました。最後に校歌を歌う時に、なぜか無性に淋しくなり、大人の人たちと泣いたことを覚えています。
 今も閉校したあの小学校の校歌を、ほぼ覚えています。中学校、高校の校歌は、まったく記憶にありませんが、不思議なものです。小学生には理解しづらく、格調の高い、漢文のような歌詞ですが、今となれば独特の味わいがあります。

 4月から「街の小学校」に通い始めました。
 約3.5キロ離れた平場の小学校。徒歩での通学は、小学生にとって結構遠く感じられました。それ以上に辛かったのは、女子生徒からの「いじめ」。転校して早々、「山ザル」とか「山の学校に帰れ」とか、面と向かっていわれました。帰れといわれても、帰る小学校はもうないのに……。理由が分からず、理不尽な思いをしたものです。
 男子生徒とは、自然と打ち解けましたが、同じクラスの5~6人の女子生徒からは、なぜかヒソヒソ話をされたり、無視されたり、色々とありました。どうしてか編入した同学年の中で、一番つらくあたられた気がします。
 今から思うと、どこか私に不遜な態度があったのかもしれません。

 それでも、3~4カ月経つうちに、いじめはいつの間にか収まりました。
 環境が変わったうえに、担任の先生も気付いてくれず、もちろん家族にも言えず、何とも言えない悶々とした日々を送りました。ただ、このメンバーには、「勉強でも、スポーツでも、絶対に負けないゾ」という闘志を、密かに燃やしていたことも事実です。

 当時、「いじめ」という言葉は、一般化してなかった時期です。
 でも、いじめ自体は、現在ほどではないにしろ、あったと思います。あの時のことは、いまだに小さなトゲとして、心に疼きます。忘れたくとも消し去れない、嫌な思い出です。わずかな期間とはいえ、いじめを体験したものとして、いじめを受けている人の痛みが、少しはわかる気がします。

 いじめのリーダー的な存在だった女子生徒とは、中学校で同じ部活となりました。
 同じブラスバンドの部活動を通じて、すっかり親しくなり、コンクールでも共に頑張りました。今では5~6年に1回開催している部活の同窓会で、会うことを楽しみにしている11人のメンバーの1人です。(O)

静寂閑雅

2016.02.01

[花]ガーベラ(ケンタッキー)、スプレーデルフィニューム(プラチナブルー)、スィートピー(オレンジ染)(ピンクスロース)、[葉]レモンリーフ、ブプレリューム

[花]ガーベラ(ケンタッキー)、スプレーデルフィニューム(プラチナブルー)、スィートピー(オレンジ染)(ピンクスロース)、[葉]レモンリーフ、ブプレリューム

 久し振りに降雪に見舞われ、今年初めて雪かきに追われました。
 今回はどちらかというと、県西部の方が多かったようです。

 早いもので、もう如月(きさらぎ)に入りました。
 毎年この時期、県内の美術館は冬眠じゃありませんが、これといった企画展が少なくなるようです。

 そういった中で、先日、楽翠亭美術館の「静寂閑雅 - 美の佇まい」に行ってきました。
 近年、県内には数々の美術館が誕生しており、すべての美術館に足を運んだわけではありませんが、この美術館が、私にとって一番心通じ合える美術館に思えます。規模は異なりますが、どこか東京の根津美術館と相通じるものを感じます。
 1時間余りの鑑賞中、私のほかに来館者はなく、終わりごろになって女性の方がお二人、入館して来られましたが、自分のペースでゆっくりと回らせてもらいました。

 静寂閑雅(せいじゃくかんが)
 その名のごとく、館内全体はひっそりとした静かさが漂い、雅やかな風情に満ちていました。今回印象深く残ったのは、篠田桃紅、十二代三輪休雪、十四代酒井田柿右衛門、三浦小平二、深見陶治さんらの作品です。

 現在、103歳になられた篠田桃紅さん。
 作品は、「水墨の抽象画」とも呼ばれ、最近ではエッセイ「103歳になってわかったこと」(幻冬舎)がベストセラーとなり、大きな話題を集めています。1月初め頃だったと思いますが、NHK・Eテレで104歳の現役医師・日野原重明さんとの対談が放映され、大変興味深く見せてもらいました。
 墨に金箔、銀箔、朱色などが複雑に絡み合い、年齢を感じさせない、若々しさと力強さが漲っていました。

 十二代三輪休雪(きゅうせつ)さん。
 山口県萩焼の窯元。以前、東京・虎の門にある菊池寛実記念 智美術館で開催された、「三輪壽雪・休雪― 破格の創造」で、初めて三輪壽雪(じゅせつ)・休雪さん親子の存在を知りました。その時は、通常の萩焼を遥かに超えた独特の造形に、ただただ圧倒されました。それ以来、不思議と休雪さんの作品に魅せられています。

 十四代酒井田柿右衛門さん。
 佐賀県有田焼の代々続く名門の陶芸家。柿右衛門様式は、余りにも有名です。
 当日は、「濁手蓼文花瓶」などの作品が展示してあり、静寂な中でしばらく正座し、作品と対峙させてもらいました。実に繊細で、流麗な印象を受けました。

 知ったかぶりをして、色々と書いています。
 しかしながら、実のところ美術品、芸術品の基礎的な知識を持ち合わせていません。正規の鑑賞方法というものが、仮にあったとしても知りません。ただ、個々の作品と向き合う中で、自分なりに感じるもの、何か通じるものがあれば、それでよいと考えています。美を味わう心、美を美として感じられる心だけは、大切にしたいと思います。
 何よりも美術館巡りが、自分にとっては至福の刻(とき)だからです。

 帰りに美術館の売店で、女優・山口智子さんのエッセイ「名も知らぬ遠き島より」(筑摩書房)、「楽しい和-」(小学館)を見つけました。以前から探し求めていた本です。思い掛けない所で手にすることが出来、嬉しくなりました。
 いいこと続きのひとときでした。(O)

白いタペストリー

2016.01.26

[花] ゆり(レクサス)、ラナンキュラス、麦、[枝] ねこ柳、[葉] ドラセナ、コンパクター

[花] ゆり(レクサス)、ラナンキュラス、麦、[枝] ねこ柳、[葉] ドラセナ、コンパクター

 諏訪内晶子さんの著書、「ヴァイオリンと翔る」(NHKライブラリー)を読み終えました。

 世界的に活躍をしているヴァイオリニストの諏訪内晶子さん。
 ご存知の方も多いと思いますが、諏訪内晶子さんは世界3大コンクールである、ベルギーのエリザベート王妃国際音楽コンクールで第2位、4年に1回開催のロシア・チャイコフスキー国際コンクールで、18歳、史上最年少で優勝という輝かしい経歴の演奏家です。

 著名な人ですので、名前は知っていましたが、今まで生演奏を聞く機会もなく、本を手にするのも今回が初めて。どなたか忘れましたが、この本を素晴らしい良書として紹介する方がいて、読んだ次第です。

 諏訪内さんが26歳の時に執筆したという、この本。
 語彙力が豊かで、文体も理路整然としており、多くのことを教えてもらいました。この若さで、きちんと自分の考えを持ち、文章として表現できることが驚きです。ヴァイオリンといい、文章力といい、神は諏訪内さんに最高の賜物を与えたのでしょうか。

 本の中では、数々の国際コンクールで輝かしい栄誉に浴するも、テクニックの最高峰のみを求めるのではなく、自分だけの音に仕上げるために、必死に向き合う姿が書かれています。そのために、作曲家が書き上げた譜面に秘められた、時代背景や思想、心情などを含めて深く読み取るとともに、音楽とは別に、人間として幅広く成長することを真摯に求める姿が記されています。

 文章の上手な方は、各分野におられますが、音楽界にも何人かおられます。
 知っているだけでも、指揮者では小澤征爾さん、岩城宏之さん、佐渡裕さんなど。ピアニストの中村紘子さん、ヴァイオリニストの千住真理子さんも有名です。N響関係では、コンサートマスターの篠崎史紀さん、オーボエ奏者の茂木大輔さん、元・第一ヴァイオリン奏者の鶴我裕子さんなど。

 主なものは読ませてもらっていますが、個人的には岩城宏之さんと鶴我裕子さんのエッセイが好きです。「バイオリニストに花束を」(中公文庫)などの著書がある鶴我さん。新刊本がなかなか出版されないのが、残念です。
 岩城さんは、既に故人となられましたが、洒脱で軽妙なタッチの文章が好きです。特に「九段坂から ― 棒ふりはかなりキケンな商売」(朝日文庫)は、赤裸々な岩城さんを知ることが出来、一番好きな本です。諏訪内さんの本に刺激されて、音楽関係の本が読みたくなり、「岩城音楽教室 ― 美を味わえる子どもに育てる」(知恵の森文庫)を読み始めています。久しぶりに懐かしい岩城宏之さんにお会いしているようで、いつもに増してウキウキしながら読み進めています。岩城宏之さんは、いい人ですね。

 この頃、人生はタペストリーではないか、と思う時があります。

 この地に生まれた時、一人ひとりに見えないが、1枚の白いタペストリーが与えられています。
 このタペストリーに生涯にわたって、毎日々々、一本ずつ幾度となく糸を通していきます。赤、黒、白、黄色など、糸は数多くあり、複雑に絡み合っていきます。時には、糸の太さも微妙に違います。
 いつの間にか、真っ白だった布地が、意識しないうちに少しずつ埋まっていきます。
 生きている間は、裏側しか見ることが許されず、途中は複雑怪奇で、何を作っているのか、自分でも皆目わからない。まるで、刺繍の裏側を見ているように……。
 それでも、ひと針、ひと針、心をこめて糸を通し続けます。
 そして最期に、初めて表側をみせてもらう時、いつのまにかきれいな作品に仕上がっています。
 「どうして自分だけが…」「なぜこのようなことばかりが起きるのか…」と悩み苦しみ、糸が複雑に絡み合い、多岐にわたればわたるほど、逆に表は立派に完成するようです。

 諏訪内晶子さんは、17歳でエリザベート王妃国際音楽コンクール2位、18歳でチャイコフスキー国際コンクール優勝という、若くして素晴らしい糸をタペストリーに紡いておられます。でも、芸術家として、日々悩み苦しみ、悶々とした中で、さらなる音の高嶺を求めて、日々糸を通しておられることと思います。

 すべての人にも、白いタペストリーが届いているはずです。
 一人ひとり、大きさも模様も異なっていても、どの作品も最高傑作に仕上がると思います。もとより諏訪内晶子さんとは比べる必要もありませんが、小生も倦むことなく、片時も休むことなく、糸を紡いでいきたいと思います。(O)

街中で、すれ違う人

2016.01.19

ひとあし先に、春が来ました。[花]ガーベラ(ファニー)(ファンタ)(バナナ)、カーネーション(エクセリア)、かすみ草(ピンク染)、[葉]丸葉ルスカス

ひとあし先に、春が来ました。[花]ガーベラ(ファニー)(ファンタ)(バナナ)、カーネーション(エクセリア)、かすみ草(ピンク染)、[葉]丸葉ルスカス

 以前、毎朝のように会う女性がいました。
 いつも富山駅前の交差点あたりで、すれ違いざま会っていました。
 昨年6月頃から、地下道に変えましたので、最近はもう会うことはなくなっています。

 その女性の方は、ダウン症の人です。
 20代前半くらいだったのでしょうか。いつもリュックを背負い、ちょこちょこと小幅で歩いていました。街中でダウン症の人を見かけると、なんとなく顔つきや体つきでわかります。ダウン症の人は、比較的年齢より若く見えますので、もう少し上だったのかもしれません。

 「ダウン症」という言葉は、前から知っていました。
 でも、初めて具体的に教えてもらったのは、正村公宏さんの著書「ダウン症の子をもって」(新潮社)でした。確か二十歳頃だったと思います。この本は現在、新潮文庫となり、本屋の書棚によく並んでいますが、読んだ時は単行本でした。
 著名な経済学者で、当時専修大学の教授だった正村公宏さん。正村教授は、マスコミでもよく取り上げられ、経済に関する著書は、ゼミの学びの中でも結構利用させてもらいました。
 このような正村教授に、ダウン症の子供さんがおられると知り、驚きました。本の内容は、ほとんど忘れましたが、正村教授がダウン症の子供さんを心から愛し、成長を楽しみにしながら、しっかり育てておられたことは覚えています。実に、いい本です。

 
 ダウン症の子供さんを育てておられる方に、大平光代さんがおられます。
 小生の読書ノートを繙いてみると、大平さんのこのような言葉が記してあります。

 「ダウン症の母となって初めて、なにが自分にとって大切なものなのか、見えてきました。振り返ると、そこにある家族の笑顔、新緑を揺らす風、水面をはねる陽光、ゆったりと流れる日々の時間、季節の移ろい。昔は何も感じなかったことが、いまはどれも愛おしく思える」(引用本、不明)

 大平さんのことは、以前にブログに書かせていただきましたので、もう触れません。
 ただ、失礼ながら、日々大変なことがあると思いますが、何か余裕を持って子育てをしておられるように見えます。

 街中を歩いていると、時々ダウン症の方に会います。
 ダウン症の方は、心優しく、とても素直な方が多いと聞いています。
 小生に何が出来るわけでもありませんが、いつも何かお役にたつことがあれば、と思いつつ歩いています。(O)

週末の「集落通い」

2016.01.13

[花]デンファレ(アンナ)、フリージア(アラジン)、スプレーバラ(レモンド)、[葉]ゴットセファナ、ユーカリ

[花]デンファレ(アンナ)、フリージア(アラジン)、スプレーバラ(レモンド)、[葉]ゴットセファナ、ユーカリ

 新しい年がスタートして、早や10日余り。
 正月気分も、すっかり抜け切ったという感じです。

 先日、母が一人暮らしをしているA市で、集落の初寄り合いがありました。
 中山間地に位置する、この集落。典型的な過疎地帯にあたり、現在の戸数は14軒。徐々に戸数が減少し、集落内の高齢化が進んでいます。
 昨年、約2キロ離れた地に、振ってわいたように三井アウトレットパークが誕生しましたが、山あいの集落には無関係だったようです。

 初寄り合いでは、新年度役員の決定、市役所への陳情事項や集落の問題などを話し合いました。わずかな戸数とはいえ、昔からの役回りだけはしっかり残っています。ほぼ全員が、何らかの形で役割分担することになります。役員といっても、主な役員はすでに順番が決まっており、余程の理由がない限り断ることはできません。
 小生は、生産組合長になりました。任期は1年です。

 会合での長老格は、80代前半の人。70代・60代が会議の中心となり、50代はヒヨコ扱いです。還暦間近の小生は、いつも定席の末席に座り、自由な雰囲気とはいえ、発言はなるべく控えています。
 集落の20代、30代の多くの若者は、結婚とともに生家を離れます。アパート暮らしか、交通の便が良く住みやすい地で、新居を構えることが一般的となっています。世代交代しようにも、交代すべき若者が少なくなっているが実状です。

 今年の話題の中心は、やはりイノシシ対策。
 昨年も、秋の収穫時期に米にかなりの被害を受けました。以前から電気柵を広範囲にわたって設置してきたとはいえ、電気柵の無い場所にイノシシがうまく移動するため、イタチごっこの状態です。イノシシは多産系だそうで、相当数増えているようです。
 現在、市役所に対し、新たに3か所に電気柵の設置を要望しており、一方では集落に初めてイノシシ捕獲用の檻(おり)が2基提供されることが決定したそうです。
 はたしてイノシシを、何匹捕獲することが出来るものやら。

 小さな集落とはいえ、昨年、地元神社の屋根瓦の一部葺き替え工事に約200万円掛かり、さらに森林組合の指導にもとづき、現在集落近くの山林に新しく林道を敷設中で、補助金を除く不足分について、集落に一定額の負担金が掛かることになっています。少ない戸数とはいえ、共同体として集落を守っていくためには、それなりに負うべきものが出てきます。
 ただ、今後10年先、20年先の集落の将来を考えると、言葉がありません。

 小生は現在、A市に隣接するB市に住んでいます。
 2か所で住居を構え、ノロシを挙げている訳ですから、当然双方で固定資産税や保険など一定の負担がかかっています。それ以上に大変なのは、役割分担や各種行事の参加など、何かと土・日曜日、祝日の時間的な制約が増えていることです。
 A市は、生まれ育った地であり、何よりも母が一人で元気に頑張ってくれています。先祖伝来のわずかな田畑を守ろうなどと、大上段に構えたことは考えていません。
 しかしながら、集落では一応「若者」の部類に属しています。後継者が減少していく中にあって、B市から車で約20分余り離れていますが、当分週末の「集落通い」を続けるつもりです。(O)

「翼をください」に思いを寄せて

2016.01.04

[花]ゆり(オークラ)、アナスタシア(サニー)、ピンポンマム(白)、[実]千両(赤)、[枝]若松、金行李柳

[花]ゆり(オークラ)、アナスタシア(サニー)、ピンポンマム(白)、[実]千両(赤)、[枝]若松、金行李柳

 新年あけましておめでとうございます。
 今年も、よろしくお願い申しあげます。

 今年は例年になく、とても温かく、穏やかな正月三が日となりました。
 人生、60年間近く生きてきましたが、これほど温暖な正月は記憶にありません。
 年末年始、何かと気忙しかっただけに、足回りがよく助かりましたが、ここまで温かいとどこか末恐ろしい気もします。やはりエルニーニョ現象の影響なのでしょうか?

 正月、何気なくBS朝日を見ていたら、「翼をください」のメロディーが流れていました。
 フォークグループ・赤い鳥が歌い始め、やまがたすみこ、山本潤子さんらによって歌い継がれてきた、この曲。とても好きな曲です。歌詞もメロディーもよく、心に響きます。個人的には、やまがたすみこさんのカバーが、一番好きです。あの透明感のある声、のびやかな高音に惹きつけられます。
 最近では、音楽の教科書にも取り上げられ、小中高の合唱コンクールでもよく歌われていると聞き、嬉しくなりました。

 かつて、この「翼をください」を挿入歌とした映画がありました。
 「翼は心に付けて」という映画です。
 この映画が上映されたのは大学4年の秋、もう35年以上も前のことです。
 実話にもとづいて制作された、この映画。鈴木亜里さんという中学3年の女の子が、骨肉腫と闘い、右腕切断という大手術をうけながらも、十五年間の人生を明るく、たくましく精一杯生きるというものです。

 映画館で鑑賞した後、もう涙、涙で、館内にいた多くの方も感動のあまり、しばらく席を立てなかったのを覚えています。

 高校受験に合格した鈴木亜里さんが入学するはずだった、和光高校の校長先生が書かれた文章を、少し長くて恐縮ですが、あえてそのまま引用させてもらいます。

 「いまわたしの願いごとが かなうならば翼がほしい
  この背中に鳥のように 白い翼つけてください
  この大空に翼をひろげ 飛んでゆきたいよ
  悲しみのない 自由な空へ
  翼はためかせ ゆきたい

 いい歌詞でしょう。とてもすがすがしいよね。そう一九七六年の四月、もう二十四年も前のことです。ひとりの女の子が、和光高校に入学したんです。いや厳密にいうと入学することになっていたんです。その子の名は鈴木亜里といいます。その子は公立中学校に学ぶ間、ずっと和光への入学を望んでいました。それなりに夜を日について勉強もしていました。ところがね、不幸にも中三の夏、骨肉腫という悪性の病気にかかってね、骨のガンだよね。右腕を犯されていたので、北里病院で肩から手術で切断したんです。右利きの子は左手だけになったんだ。
 もう和光高校の受験はだめだね、とがっかりしたらしいけど、そのうちに左手があるんだからねと言って、左手で字を書く練習をはじめ、猛烈に勉強したそうです。十二月、一月の厳しい寒さの中、夜中まで起きてがんばる亜里さんを見ていて、お父さんは、もういいよ、高校なんてどうでもいいじゃないか、と幾度となく言ったそうです。
 それでもこの子は、がんばらないと後で悔いが残るからと言ってがんばり続けました。そうして入学試験では見事に合格しました。ところがそのときは腕のガンは肺に転移していて、合格発表の一週間後には再び入院することになりました。彼女の体は全身ガンに犯され、手の施しようはなかったそうです。
 亜里さんは、ずっと希望していた和光高校に入学したくて、病気と戦い続けましたが、四月十二日の入学式まであと一週間というところでついに力尽きてしまいました。

 (中略)

 私は生徒に鈴木亜里のことを話しながら、彼女の告別式の日のことを思い出す。
 二十四年前の四月六日、彼女の告別式の日である。春たけなわの美しい日、彼女の家に行く多摩川べりの道は桜の花が咲きほこり、風に花吹雪が雪のように舞っていた。私は彼女にそっとお別れをしようと思って参列者のかたわらに立った。その彼女がいつも口ずさんでいた「翼を下さい」の曲が静かに流れていた。

   子どもの時 夢みたこと
  いまも同じ 夢にみている
  この大空に翼をひろげ 飛んでゆきたいよ
  悲しみのない 自由な空へ
  翼はためかせ ゆきたい」
               (和光高校ホームページより掲載)

[花]ハボタン、フリージア、スプレーマム(フィーリンググリーン)、スプレーカーネーション、[実]千両(黄)、[枝]若松

[花]ハボタン、フリージア、スプレーマム(フィーリンググリーン)、スプレーカーネーション、[実]千両(黄)、[枝]若松

 鈴木亜里さんは、「翼をください」の歌がとても好きだったそうです。
 いつも口ずさんでいたそうです。
 歌詞の内容が内容だけに、どんな思いをもって、この歌を口ずさんでいたのでしょうか。
 胸に迫るものがあります。

 小生、今年還暦を迎えます。
 60年で干支が一回りして再び生まれた年の干支にかえることから、 還暦と呼ばれているそうですが、別に赤いちゃんちゃんこを着るつもりもなければ、特別、これといった感慨もありません。
 ただ、一つの節目として、再出発したいという思いはあります。

 最近、「生きている」のではなく、「生かされている」という思いが、強くなっています。
 世の中には、鈴木亜里さんように生きたくとも生きることが許されない人もいます。
 この1年間、与えられた1日々々を大切にしていきたいと思います。(O)

心のノートを真っ白に

2015.12.24

アドベント第4週です。[花]バラ(サムライ)、スプレーカーネーション(パルパトス)、[葉物]コチア、ヒペリカム(ココバンブー)、レモンリーフ

アドベント第4週です。[花]バラ(サムライ)、スプレーカーネーション(パルパトス)、[葉物]コチア、ヒペリカム(ココバンブー)、レモンリーフ

 年の瀬も押し迫り、早いものでもうしばらくで新しい年を迎えようとしています。
 年を追うごとに時間の経つのが早く感じられ、1年そのものが短くなっている気がします。

 「ジャネーの法則」という法則があります。
 ご存知の方も多いと思います。
 時間の長さは、年齢に反比例するという法則です。フランス人のポール・ジャネーが考えたといわれています。

 50歳の人にとっての1年の長さは、人生の50分の1。
 5歳の人にとっての1年の長さは、人生の5分の1。
 要するに「1年というものは、自分の年齢分の1」というものです。
 年を取ればとるほど分母の数字が増えていくわけですから、1年はだんだん短く感じられ、早く過ぎ去るという法則です。なんとなく、納得してしまいます。

 この1年間を振り返ってみると、それなりに色々とありました。

 一番大きな出来事は、何といっても家内の病気、入院、手術、そしてリハビリ。
 無事退院し、3カ月以上経過した現在も、通院、リハビリの日々が続いています。一時はどうなるものかと心配しましたが、徐々にとはいえ回復しつつあり、喜んでいます。元どおりの体になるには、もうしばらく時間を要するようです。
 といいつつも、仕事が多忙を極め、不自由な体にもかかわらず、しばしば夜遅くまで勤務しています。

 あたかも健康な日々が当たり前かのように考えていた自分。
 家族という歯車が、一つひとつ順調に回っているときは、歯車が回っていることすら気付かないものです。ひとたび、どれか1つでも歯車が狂い出すと、全体の動きが鈍くなり、新たに歯車を回すのには大きな力が必要になることを思い知らされました。
 ちょうどそのような頃、疲労が重なったせいもあったのか、自らも体調をくずし、健康の大切さを一層思わされました。
 もうじき還暦を迎える身。もう以前のように若くはないことを、そして自信があったはずの体力も確実に衰えていることを痛感させられた年でもありました。

 愛犬トーマスが亡くなったことは、以前ブログに書かせてもらいました。
 8月上旬に約18歳という、犬としては長寿ともいうべき生涯を終えたトーマス。いずれ、よく遊んだ庭の一角に埋めてやるつもりですが、なかなか踏ん切りがつかず、いまだにペット用の骨壺袋に入れたまま、玄関わきに置いています。そこは、いつもトーマスが生活していた場所。台の上に小さな座布団を敷き、休ませています。
 今も家族が、「行ってきまーす」「トーマス、ただいま」と、声をかけています。
 土に戻してやるのは、もうしばらく後になりそうです。

 今年は9回、コンサートに行きました。
 小田和正からクラシックまで、ジャンルは様々。残念ながら山下洋輔ジャズコンサートのように、私にとっては期待外れのコンサートもありました。
 逆に印象に残ったのは、12月にあった弦楽四重奏団クァルテット・エクセルシオ。
 素晴らしい弦の響きに酔いしれました。特にドヴォルザークの弦楽四重奏曲「アメリカ」は、最高でした。この曲は、たびたびCDやラジオでも耳にするポピュラーな曲ですが、生演奏で聞くのは初めて。よく知っている曲だけに、リラックスしつつも、集中して聞くことが出来ました。
 特に大友肇さんのチェロの音色が、心に響きました。

 「いつも心のノートを真っ白にしておきたい」

 大好きなエッセイスト・高峰秀子さんの言葉です。
 この1年を振り返った時、自分の心の色はどうだったのでしょうか?
 「真っ白」とは程遠い状態だった気がします。黒とは異なる、何かドロドロしたものが蠢いている「心の色」だったようです。他人には言葉や態度で、なんとでも誤魔化すことが出来たかもしれません。しかしながら、ほかでもない自分の心を偽ることはできません。もう一人の自分は、冷静に自分を見ています。

 今年も、残りわずか。
 来年こそは、いつもとは言えなくとも、少しは心の白さを保ちたいものです。わずかずつであっても、心温まるものを心の板に書き記す一年でありたいと思います。

 少し早いですが、良いお年をお迎えください。(O)

今年も、未達で終わります。

2015.12.14

アドベント第3週です。[花]グロリオーサ(サザンウインド)、ガーベラ(チェレキ)、ポインセチア(ウインターローズ)、[葉物]丸葉ルスカス、[枝]どうだんつつじ(加工)、コットン、ヒバ

アドベント第3週です。[花]グロリオーサ(サザンウインド)、ガーベラ(チェレキ)、ポインセチア(ウインターローズ)、[葉物]丸葉ルスカス、[枝]どうだんつつじ(加工)、コットン、ヒバ

 残念ながら今年も、未達で終わりそうです。

 今年最初のブログに、「年間100冊読破が目標」と書かせていただきました。
 12月13日現在、83冊の本を読み終えています。
 大晦日まで若干日数が残されており、もう3~4冊は読めるでしょうから、今年は86、87冊で終了となりそうです。目標の100冊には遠く及びませんが、それでも昨年の67冊からみると、少しは頑張った部類に入るのかもしれません。

 別に誰と競争しているわけでもありません。
 冊数にこだわって、無理に数字を伸ばしているつもりもありません。
 ただ、結果として、100冊を到達したいという目標を掲げているだけです。どうしても怠惰で、惰性に走りがちな自分をみていると、日頃から厳しく律していく必要があると思うからです。
 目の前に100冊という手が届きそうで、今一つ届かない目標を置くことによって、自らにムチを打っているわけです。100冊という数字は、1週間に2冊読むだけで達成できる数字です。決して無理な数字とは思えないのですが、いまだに達成したことがありません。

 本を1冊終読するたびに、読書ノートに記録を残し、著者、本名、出版社、自分としてのランク付けを記入しています。結構な量になってきています。
 もう一つのノートには、印象に残った言葉や文章などを書き写すようにしています。ただそれだけのことですが、わずかずつでも増えていくと嬉しいものです。
 でも、その時は大変感動して心躍る思いで書き記したはずの文章が、後になって改めて読み返すと、何の変哲もない平易な文章であることが度々あります。文章は、流れの中でこそ生きているのであって、断片的にとらえても輝きを失うのかもしれません。

 今年印象に残った本をあげれば、永田和宏著「歌に私は泣くだろう」(新潮文庫)、斎藤明美著「高峰秀子の言葉」(新潮社)、細谷亮太著「こころの体操を大切に ― いつもいいことさがし2」(中公文庫)、加賀美幸子著「生き方の鍵を見つける」(東京書籍)などです。

 特に加賀美幸子さんの本は、秀逸でした。
 言うまでもなく加賀美さんは、元NHKのアナウンサー。ネットによると、「NHK女性アナウンサー初の理事待遇のエグゼクティブアナウンサー」とあります。妻として、母として、家庭ではまったく手抜きをすることなく、常にベストを尽くし、職場では役員して睡眠時間を削ってまで最善を目指す姿。
 加賀美さんの朗読は、以前から高い評価を受けています。あの深みのある独特な朗読の背景にあるものを、垣間見せていただいたような、そんな一冊でした。

 最近、ドキュメントものの本を続けて読んでいます。

・ NHKスペシャル『ワーキングプア』取材班著「ワーキングプア ― 日本を蝕む病」(ポプラ社)
・ 大山典宏著「生活保護とワーキングプア」(PHP新書)
・ 樋口康彦著「『準』ひきこ森 ― 人はなぜ孤立してしまうのか?」(講談社+α新書)
・ 青砥恭著「ドキュメント高校中退 ― いま、貧困がうまれる場所」(ちくま新書)
・ 藤田孝典著「下流老人 一億総老後崩壊の衝撃」(朝日新書)

 特に「下流老人」は、データにもとづき詳細に現代社会を分析しており、衝撃的な内容となっています。他人ごとではなく、老後崩壊の危機を自らのものとして身近に感じられました。まさに「目からウロコが落ちる」思いで、読ませてもらいました。
 ドキュメントものの本は、読む機会が余りありませんでした。世相や世の流れをを正確に知るためにも、今後は積極的に読み進めるつもりです。

 机の周りには、今年新たに購入した、読まずに積み上げられたままの約100冊の本が、山積みの状態となっています。購入したのは良いが、なかなか読書が追い付かない状況です。相変わらず本屋で、ブックオフで、読み切れないのに、ついつい衝動的に本を購入しています。この調子では、永久に追いつけないようです。

 以前にも、ブログに書かせてもらいましたが、
 「もしひとが、自分は何かを知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない」
 という言葉があります。

 本の世界に入ると、いかに自分が何にも知らないかということを、しみじみ思わされます。
 小さな感動、小さな喜びを求めて、来年も好きな本を読み続けたいと思います。その結果、なんとか目標の100冊を突破すれば、改めて報告させてもらいます。楽しみに待っていてください。(O)

7階耐震工事が、部分完成しました。

2015.12.07

アドベント第2週です。[花]シルバーブローディア、トルコききょう(レイナホワイト)、かすみ草、[葉物]ユーカリ、[枝]サンキライ

アドベント第2週です。[花]シルバーブローディア、トルコききょう(レイナホワイト)、かすみ草、[葉物]ユーカリ、[枝]サンキライ

 耐震改修工事の7階完成検査が12月7日、山瀬中央会専務や松田全農富山建築設計事務所長、株式会社竹中工務店の工事関係者らが出席して行われました。

 今回引渡しされたのは、会館西側にある役員室と第1会議室、第2応接室などです。
 7階は、4月下旬から工事が始まり、7月下旬に事務所・会議室の空調設備が完成し、このたび耐震フレームが入る役員室などが完成したものです。

7階役員室に新設された耐震フレーム。

7階役員室に新設された耐震フレーム。

今回設置した耐震フレームは、幅11メートル、高さ3メートル、総重量は約2トン。
 役員室や第1会議室は、木目を基調とした落ち着いた部屋になっていますが、耐震フレームは明るい色にするため、白色に統一しています。
 8階にも、すでに2基設置されていますが、今回は大型化されたもので、役員室の窓際に1基、第1会議室と第2応接室の窓際にも1基、それぞれ同じ大きさの耐震フレームが新設されました。

 7階については、残りは東側ホールの耐震フレーム1基のみとなり、来年1月

5階西側で進められている耐震壁。

5階西側で進められている耐震壁。

末に完成する予定です。

 なお、耐震改修工事では、耐震診断にもとづいて、耐震フレームの設置とともに「耐震壁」の設置も同時に進めています。
 耐震壁は、2階まで5階までの西側の一角に1面ずつ建ち上げるもので、現在5階と4階で工事を進められています。特に5階では、5日、6日に鉄筋の組立てが行われ、型枠の組立て後、下旬にいよいよコンクリートを流し込むことになっています。(O)

 ps.写真をクリックすると、さらに大きく見ていただくことができます。

第2回防火・防災訓練を行いました。

2015.11.30

アドベント第1週です。(花)ゆり(サンブッカ)、カーネーション(チューリッヒ)、ポンイセチア、(葉物)雪冠杉、(枝)サンゴ水木

アドベント第1週です。(花)ゆり(サンブッカ)、カーネーション(チューリッヒ)、ポンイセチア、(葉物)雪冠杉、(枝)サンゴ水木

 第2回自衛消防防火・防災訓練が11月27日、農協会館で行われました。
 農協会館は、消防訓練を年2回、防災訓練を年1回行うことが、消防法で義務付けられており、8月26日に実施した第1回目に引き続き行われたものです。

 訓練には、耐震改修工事を進めている㈱竹中工務店からのスタッフ1名を含め、館内の各団体から16名が参加しました。

 今回の訓練は、「8階ロビーにある喫煙室から出火した」との想定で行い、参加者の多くが農協会館自衛消防隊に所属していることから、初期消火班や防護措置班、避難誘導班など隊員の役割分担や出火時における避難経路などを確認しました。

 富山県は、比較的地震の少ない県といわれていますが、防災意識を高めるために、「地震発生時10カ条の心得」にもとづき、「素早く机などの下に身を隠す」「すばやく火の後始末をする」「外に出るときには、瓦やガラスなど、上からの落下物に気を付ける」など、地震が発生した時の基本的な動作についても、もう一度確認しました。

心肺蘇生の大切さを説明する富山消防署庶務救急課の高木さん。

心肺蘇生の大切さを説明する富山消防署庶務救急課の高木さん。

 はじめの訓練は、救命講習。
 約90分間の「救命入門コース」で、講師は富山消防署庶務救急課の高木三千丈さん。

 参加者は2班に分かれ、仮に倒れた人がいた場合、救急車が到着するまで対応すべき心肺蘇生の手順を学習しました。
 参加者は、呼吸の確認や胸骨圧迫、気道の確保、人工呼吸の仕方、AED(自動体外式除細動器)の使い方など救命にかかわる一連の動作を、マネキンを相手に「1、2、3、4」と大きな声を出しながら実習しました。
 高木さんは、「救急隊が到着するまでに、どれだけ心肺蘇生法が行われたかが、

マネキンを使って、気道を確保し、人工呼吸の訓練をする参加者。

マネキンを使って、気道を確保し、人工呼吸の訓練をする参加者。

その人の生存率に大きな影響を及ぼす。恐れずに、しっかりと取り組んでもらいたい」と強調しました。

 講習会終了後、高木さんから参加者一人ひとりに「救命入門コース参加証」が渡されました。

 続いて、避難訓練。
 富山消防署に通報するとともに、火災が発生した場合に、当然エレベーターは使用できませんので、9階から1階ロビーまで参加者全員で階段を駆け降りました。

 最後は、消火栓と消火器を使った訓練。
 ㈱北陸綜合防災センターの担当者から操作方法を聞きながら、実習しました。

 屋内消火栓は、各フロアーに2カ所ずつ設置してありますが、実際に消火栓を開け、ノズルを手にする機会はなかなかありません。代表2名が、1階ロビーの消火栓を開け、ホースを取り出し、開閉弁を開ける訓練をしました。

消火器の操作方法を聞く参加者。

消火器の操作方法を聞く参加者。

消火器についても、各団体の代表者8名が消火栓の安全ピンをはずし、火元と想定した赤いコーンめがけて噴霧し、消火器の操作を確認しました。

 今回の防火・防災訓練にあたり、全面的にご協力いただいた富山消防署と㈱北陸綜合防災センターの方々に、心から感謝申しあげます。(O)

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