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息子への最期の手紙

2015.11.02

(花)グロリオーサ(ルテア)、ゆり(シベリア)、トルコききょう(バレオグリーン)、(葉物)ゴットセファナ、ドラセナ、(枝)錦木(紅葉)

(花)グロリオーサ(ルテア)、ゆり(シベリア)、トルコききょう(バレオグリーン)、(葉物)ゴットセファナ、ドラセナ、(枝)錦木(紅葉)

 徳永進さんという方を、ご存じでしょうか?

 生まれ故郷である鳥取県で、ホスピス「野の花診療所」を開設しているお医者さんです。この方のエッセイが好きで、よく読んでいます。もうかれこれ15冊以上は、読んでいると思います。

 先日、富山市のブックオフ黒瀬店で、徳永さんの本を見つけ、嬉しくなりました。
 この店の100円均一コーナーに、よく掘り出し物が出ます。もう出版元にもない絶版本や一般書店では扱わないような単行本が、時々並んでいます。手に入りにくい珍しい本や、108円で本当に良いのだろうかと思うような本があり、びっくりします。

 今回は、徳永進著「死の中の笑み」と「死のリハーサル」(ゆるみ出版)です。
 30年以上も前に書かれた、人間の死に関するエッセイです。徳永さん自ら関わった患者さんの死や家族の関わりが、赤裸々に描かれています。徳永さんの目線は、いつも優しく温かく、患者の目線と同じ視点で物事をとらえています。
 ともすれば、悲しみに満ち、忌み嫌われるはずの死を、時にはユーモアを交えて楽しく描き出しています。医師として、こんなこと書いてもいいのだろうかと思うような本音を、あからさまに語っています。

 生きとし生けるものは、必ず死を迎えます。
 何人も避けて通れない、厳格な事実です。

 今、「エンディングノート」が静かなブームだそうです。
 小生も、50代半ばに「遺書」を認(したた)めました。

 50歳を過ぎた頃から、遺書というものを意識しはじめ、心の中でずっと温めてきました。少しずつ文章に書き残し、推敲に推敲を重ね、A4版で3枚、約2,300字にまとめました。告知、終末期医療、緩和ケア、ホスピス、葬儀社、葬儀の進め方、富山大学しらゆり会、納骨、寺院との関係などを、自分なりの言葉で書き記しました。

 俗にいう財産や相続に関することは、全く触れていません。
 ありがたいことに残せるような財産など、もとよりありませんから、記入の必要がないのです。過去に「子孫に美田を残さず」と語った方もおられたようですし……。
 内村鑑三氏の著書「後世への最大の遺物」(岩波文庫)ではありませんが、残すべきものは目に見えるものではなく、目に見えないものにこそ価値があると勝手に考えています。 

 遺書は、転勤で県外にいる息子に郵送しました。
 世の中、何があるかわからず、逆縁という可能性も否定できませんが、順番どおりならば喪主を務めてくれるであろう、息子に送った次第です。初めは驚き、戸惑っていた息子も、すぐに理解してくれました。
 家人とは、普段から死や葬儀について話しており、価値観も似ており、明文化せずとも以心伝心で互いに事足りると思います。

 人は、一定の年齢を重ねたあたりから、平均寿命から自分の年齢を差し引いて、「残り何年ぐらい」と漠然とした「引き算」をしている気がします。もちろん自分の寿命が残り何年かわかる人など、どこにもいません。何が起きるか、誰もわかりません。でも、終着点からの引き算が、底辺にある気がします。

 不思議なものです。
 遺書を書き、心の整理をしてからというもの、世の中が少し違って見える気がするのです。
 55歳で遺書を書くことにより、一度完結した人生から、新たな人生が始まった気がします。新しく迎える1日々々が、とても新鮮に感じられます。本来ならば無かったはずの日々が新しく加えられ、毎日何か得をしているような気分です。
 新たに与えられた「足し算」の歩みをしている、何かプラス思考でいられます。

 「メメント・モリ」という言葉があります。
 「日々、死を意識して生きなさい」といった意味でしょうか。誰かの本で初めてこの言葉に触れ、心にとまり、以来事あるごとに反芻しています。

 死を美化するつもりは、まったくありません。
 といって、否定するつもりもありません。
 川が流れるように、自然な流れのまま、ただ流れていくものだと思います。

 息子に、もうあのような長文を送ることはないと思います。
 あの遺書は、息子への最期の手紙と考えています。(O)

眠れぬ夜

2015.10.26

ハロウィン第1弾です。(花)ヒペリカム(トマトフレア)アンスリューム(スィートロージィ)かぼちゃ、(葉物)クロトン(ゴールディアナ)(枝)ドラゴン柳、風せんとうわた

ハロウィン第1弾です。(花)ヒペリカム(トマトフレア)アンスリューム(スィートロージィ)かぼちゃ、(葉物)クロトン(ゴールディアナ)(枝)ドラゴン柳、風せんとうわた

 久しぶりに眠れぬ夜を過ごしました。
 喘息(ぜんそく)になったためです。
 18日の夜から徐々に喘息の症状が出始め、息苦しくて、深夜から朝方まで悶々とした時間を過ごしました。

 喘息については、ご存知の方も多いと思います。
 息を吐くことが出来ても、息を吸うことが上手くできなくなる症状です。呼吸困難な状況が、ずっと続くわけです。なぜか、夜や朝方に症状が出ることが多く、時間が時間だけに掛かりつけの病院に行くことも出来ず、ひたすら朝が来るのを待つしかありません。
 もちろんひどい時は、夜間救急指定病院に駆けつけることも出来ますが……。

 小生、幼い頃、小児ぜんそくに罹っていました。
 自分の記憶にはありませんが、よく深夜に小児ぜんそくが出て、両親が背負って、約4キロ先にある町医者の所へ駆けつけたと聞いています。
 昭和30年代前半のこと。マイカーなど、どの家にもあるはずも無く、自転車を必死にこいで、急いでくれたようです。白い目をむいて苦しがっている我が子を見て、「何回、死ぬのではないかと心配した」と聞かされています。

  小児ぜんそくは、小学校に入学するまで治りましたが、50代半ばを過ぎて、ある日突然、喘息を再発しました。その時は、喘息とはわからず、深夜急に苦しみ始め、救急指定病院で処置してもらい、初めて「喘息」と知った次第です。

 わが家。
 以前から家事全般を家人と分担し、助け合っています。
 家事自体、嫌いな方ではなく、あまり苦になりません。料理は、家人のように手早く、上手に作ることは出来ませんが、包丁を握ることが好きで、結構台所に立っています。

  家人の都合で、9月初めから朝食、娘と小生の弁当作り、買い物、夕食の準備、掃除、洗濯など、ほとんど小生がしています。
 どうしても睡眠不足となり、疲労もたまっていたのか、1カ月前から不自然な微熱が続き、市販の薬も効かず、後頭部に変な鈍痛が時々走るなど、少し体調を崩していました。そこに風邪をこじらせてしまい、ついに今回の喘息の引き金となったようです。

  
 翌19日、会議と会議の合い間に、掛かりつけの医者で喘息の点滴をしてもらい、やっと自然に息を吸い込めるようになりました。普通、「息をすること」を意識することは、あまりないと思いますが、吸えば空気が体内に入ってくる喜びをしみじみと実感しました。深呼吸が出来ることが、こんな嬉しいことかと思わされました。

  帰りに、薬局で喘息と風邪薬を処方してもらい、7種類の薬を飲み始めました。

 そして、20日。
 朝目覚めると、しゃっくりが止まりません。
 満員の通勤電車の中で、初老の男がいつまでもしゃっくりをしていて、変な目で見られますが、自分の力ではどうにもなりません。ネットで、さまざまな民間治療方法が紹介されていて、色々とチャレンジしますが、 いっこうに治りません。

 仕事帰りに、再び掛かりつけの医者の診察を受け、「原因は特定出来ないが、喘息で処方したある薬が影響したと思われます。その薬の服用を止め、新たにしゃっくりを止める薬を処方します」とのこと。
 薬が効いたのか、午後9時頃になって、やっと治まりました。

 結局、午前5時30分の起床から午後9時までの計15時30分も、しゃっくりに悩まされたことになります。しばらく治まった時間帯もありましたが、ほぼ続いていました。ここまで長引くと、さすがに横隔膜がおかしくなり、なかなか辛いものがありました。

ハロウィン第2弾です。(花)ガーベラ(赤)カーネーション(エルメスオレンジ)ダリア(祝花)、(葉物)レモンリーフ、コンパクター、(枝)野バラ、バラの実

ハロウィン第2弾です。(花)ガーベラ(赤)カーネーション(エルメスオレンジ)ダリア(祝花)、(葉物)レモンリーフ、コンパクター、(枝)野バラ、バラの実

1週間が経った現在も、今一つ体調がすぐれません。

 ただ、こういった経験も、すべてに益にされると考えています。
 すべての事には理由があり、すべての事に無駄なことはないと考えています。喘息しかり、しゃっくりしかり。実際に体験してみないと、なかなかその苦しみは分からないものです。大きな病を背負っている人から見れば、なんでもないことです。

 ただ、もう無理の効かない体になったことだけは、事実のようです。(O)

 PS.
 ブログを読んでくださり、ありがとうございます。
 体調不良のため、1回お休みをいただき、恐縮しています。

 

言うに言われぬ、急行「能登」の思い出

2015.10.14

(花)りんどう(紅の唄)、オンシジューム(ボブキャット)、トルコききょう(ジャスニーホワイト)、カーネーション(カロンテ)(葉物)ゴットセファナ、谷渡り、玉シダ

(花)りんどう(紅の唄)、オンシジューム(ボブキャット)、トルコききょう(ジャスニーホワイト)、カーネーション(カロンテ)(葉物)ゴットセファナ、谷渡り、玉シダ

 自宅近くに大きな書店があり、週に1度、平台にある新刊本をチェックすることを楽しみにしています。
 新しく出版される本や話題になっている本は、日頃から新聞の書評欄や広告欄などをひと通りチェックし、見落さないようにしています。へそ曲がりのせいか、俗にいうベストセラーの本を手にすることは、まずありません
 新刊コーナーの平台6台の中から、思わぬ掘り出し本を見つけた時は、それだけで嬉しくなります。

  今回、目に留まった本は、柴田よしき著「夢より短い旅の果て」(角川文庫)。

  作家・柴田よしきさんは、推理作家であり、小説家としても有名です。
 推理小説は興味がないため、読んでいませんが、「ばんざい屋シリーズ」の「ふたたびの虹」、「竜の涙 ばんざい屋の夜」(共に祥伝社文庫)の2冊については、読み終えています。特に「ふたたびの虹」は、過去にNHKでドラマ化され、主役の相田翔子さんの名演が心に残り、早速原作を読み、以来、すっかり柴田さんのファンになっています。

 「夢より短い旅の果て」
 パラパラとページをめくると、もう廃止となってしまった急行「能登」や「氷見線」といった言葉が目に飛び込んできます。何となく気になり、買い求めました。

  急行能登といえば、思い出がいくつもあります。
 1日1往復、上野と金沢間を結んでいた寝台急行能登。
 東京の大学に進学した小生。上京や帰省の際には、結構この夜行列車にお世話になりました。かれこれ、もう40年前のことです。その当時、今のように格安な夜行バスがあるはずもなく、特急「白山」を利用する人が多く、夜行の寝台特急「北陸」や急行能登、急行越前などに乗る人もいました。

  貧乏学生でしたので、よく急行能登に乗りましたが、高い寝台車を利用したことは一度もなく、いつも決まって自由席。
 廃止された平成22年頃には、特急電車のようなモダンな車両になっていましたが、昭和50年代当時の能登といえば、年季の入った古めかしい車両でした。自由席の椅子は、木造の枠に布張りのやや硬めのボックスシート。天井でクルクル回る扇風機も、時代遅れの代物でした。
 席が空いている時は、ボックスを独り占めして、「く」の字になって寝ました。夏山シーズンには、多くの登山者が通路や座席下に新聞を敷いて寝ていたものです。

 どこでも寝られる性分のせいか、心地良い揺れとリズミカルな音に誘われ、いつの間にか眠りに着くことが出来ました。
 それでも、真夜中、駅から発車する時の、車両と車両をつなぐ連結器が発する「ガクーン」という独特の振動に起こされ、時々目を覚ましました。

  急行能登に、言うに言われぬ苦い思い出があります。
 小生のせいで、走行中に急行能登を急停車させてしまったことです。

  確か大学2年の、ゴールデンウイークの最終日だったと思います。
 田植えの農作業を手伝うため、五月の連休中に帰省し、上京する時のことです。
 急行能登は、金沢が始発で、3つ目にあたるA駅から乗車しました。いつもなら空いているはずの自由席がすでに満員、通路に立っている人もいます。連休最終日のためか、予想以上に観光客や上京する学生らで、ごった返しています。仕方がなく、車両後方の連結器付近になんとかスペースを確保し、自分のバックに腰かけました。

 ところが、高岡駅、富山駅、魚津駅と停車するたびに、さらに多くの乗客が乗車してきます。知らない者同士ですが、互いに譲り合い、協力し合い、空きスペースを作り、乗れるように工夫します。この時点になると、多くの人が立ったままの状態でした。

 直江津を過ぎた頃だったと思います。
 皆で荷物を一カ所に積み上げたりして、わずかでもスペースが確保できるようにしていた際、何気なく角にあった白い紐(ひも)を引っ張ってしまったのです。
 急行能登が、急に速度を落とし始め、急停車します。
 窓の外を見ると、漆黒の闇の中。

 何があったのだろうと周りの人と話していると、車掌さんが満員の車両の中を掻き分け、慌てて小生たちがいる所に向かってきます。

  「何かあったのですか」
 はじめ、車掌さんが言っている意味がわかりませんでした。
 「非常ブレーキが作動して、緊急停車しました」
 「作動位置を確認したところ、このあたりからサインが出ていました」

  なんと小生が、張本人だったのです。

  混雑した中で、場所を少しでも作ろうと皆で作業している中、たまたま手にしたロープが、なんと「非常用停止紐」だったのです。
 確かに天井を見ると、小さく赤色でシールが表示してあります。

 もちろんお詫びし、事の経過を説明します。周りの方々も、すぐに状況説明に加わり、助け舟を出してくださいます。年配の車掌さんは、すぐに理解してくださり、急いで先頭車両の方へ戻って行かれました。

  程なくして、アナウンスが流れ、急行能登は何事もなかったように、ゆっくりと動き出します。

  皆でホッとひと安心していたところに、先程の車掌さんが再びこちらに来ます。
 手元に紙があり、小生の氏名、住所、電話番号、大学名等を記入してもらいたいとのこと。何もお咎めが無いものとかってに思っていたら、シャバはそう甘くありませんでした。

  「意図的ではないにしろ、急行列車を非常停止させてしまったことは事実です。現状からみると、問題にならないと個人的には思いますが、業務上記録を残す必要がありますので、記入してください」
 「東京に着いた後、関係部署に報告します。おそらく大事にはならないとは思いますが、後日改めて連絡を入れる可能性もあります」

  もう、ガックリです。
 A駅からほぼ立ちっぱなしで、全く眠っていないうえに、この有様。
 疲れがどっと来ました。

  東京に着いてからも、下宿のアパートに電話が入らないか、大学に連絡がいくのではないかと、毎日内心ビクビクものでした。意図的に悪いことをしたわけではないと思いつつも……。
 しばらく陰鬱な日々を過ごしたことは、事実です。

 数日が過ぎ、1週間が過ぎ、1カ月が過ぎ、結局国鉄からは何ら連絡もなく、書類も届きませんでした。

  何を思って、あの白いロープを引いたのか、今も定かではありません。
 やり場のない苦い思いを抱く時期もありました。
 40年余り過ぎた今となっては、むしろ急行「能登」という言葉に何とも言えない、ほのぼのとした懐かしさを覚えます。(O)

 

「モイ、モイ」

2015.10.06

(花)デンファレ(キャディーストライプ)、トルコききょう(コレゾライトピンク)(葉物)福みどり、ゴットセファナ(枝)シンフォリカルポス(マリーン)

(花)デンファレ(キャディーストライプ)、トルコききょう(コレゾライトピンク)(葉物)福みどり、ゴットセファナ(枝)シンフォリカルポス(マリーン)

 最近、よく見ているテレビ番組があります。
 NHKBSプレミアムの「イッピン」と「美の壺」です。

  特に「イッピン」は、全国各地の名も無き職人さんが、日常生活のために作った実用品を紹介しており、出来るだけ見るようにしています。
 手作業で作られる木製品や漆器、ガラス製品、竹細工、和紙などのイッピン(逸品)。
 伝統に裏付けされた工芸品を、ただ古くからの伝統を守るだけではなく、現代の生活スタイルに合わせて、新しい機能を付け加え、さらにモダンなデザインへとうまく調和させています。
 イッピンで紹介される工芸品からは、素朴な素材をそのまま活かしつつも、時代にマッチした独創性やみずみずしい感性が感じられます。

 「イッピン」という番組を通じて、全国にはこんなに多くの逸品があるのかと驚かされています。女性リポーターと職人との軽妙な会話や、わかりやすい科学分析により、少しずつ職人技が浮き彫りにされます。番組終了近くなると、新たな民芸品、工芸品に出会えた喜びと民芸品そのものから発せられる温かみに、いつの間にか魅せられています。

  「上手物(じょうてもの)」という言葉があります。
 エッセイスト・白洲正子さんの随筆を読み、初めてこの言葉を知りました。
 反対語にあたる「下手物(げてもの)」という言葉は、日常使うことがあっても、「上手物」という言葉は今まで目にする事がなく、読み方すら分かりませんでした。意味は、「精巧につくられた高価な工芸品。出来や品質がよく、特に工芸品などで,一品制作の精密な作をいう」とあります。

 上手物は、一流の芸術家や工芸作家が創作した美術品や工芸品といったところでしょうか。あくまでも一品限りの芸術品であり、優れた作品は美術館や博物館で陳列され、鑑賞される対象となります。

 小生、相変わらず美術品が好きで、時間があるたびに、美術館などに通っています。学術的なことや難しい理論などは、正直いって分かりません。ただ、多くの展示品の中で、心にとまる作品が一品でもあれば、もうそれだけで十分満足です。作品と1対1で正面から真剣に向き合い、何か心に感じ得るものが一つでも見出されば、足を運んだ甲斐があったと思っています。

  「イッピン」で扱われる商品は、上手物というより、民芸品です。
 「民芸」といえば、柳宗悦(やなぎ むねよし)さん。柳宗悦さんは、日本が機械化、効率化を目指し、積極的に近代化を進めている中にあって、手仕事が軽く扱われ、廃れていくことに警鐘を鳴らし、民芸品の大切さを改めて訴えた人として有名です。

 古くから地域に根ざし、実用品として日々使う楽しみがある民芸品。
 作った職人に何のてらいもないだけに、素朴な風格といったものを感じることもあります。使い込めば使い込むほど、美しさを増す気がします。

 以前、沖縄を旅行した時に、「八重山ミンサー織り」のブックカバーをホテルの売店で買ったことがあります。手触りが良く、何とも言えない風情があり、すっかり気に入りました。使い込むうちに、さらに味わいが増し、数年後メーカーからまとめて購入しました。文庫本を終読するたびにブックカバーを取替え、ささやかな喜びを楽しんでいます。

 作り手の温もりが感じられ、作り手と使い手とがキャッチボールできる民芸品。
 高価な民芸品を購入することは、なかなか出来ません。
 でも、珍しいちょっとした民芸品を1個ずつでも買揃えたいと思います。飾って鑑賞するのではなく、職人が丹精込めて作られた品を使わせていただき、その素晴らしさ、その良さを味わいたいものです。

 最近、「モイ、モイ」という言葉に出会いました。
 カンボジア語で、「ゆっくり、のんびり」という意味だそうです。女優・杏さんの著書「杏のふむふむ」(ちくま文庫)の中で、紹介されていました。なんとなく語呂が良く、親しみを覚える言葉です。
 どこか杏さんが放つオーラと似ている気がして、心に残っています。

 「モイ、モイ」
 ゆっくり、のんびりとした豊かな暮らしをするうえで、ちょっとした「イッピン」を手元に置くことは、生活の良きアクセントになる気がします。
 そのような「あなただけのイッピン」を、お持ちでしょうか。(O)

14メートルもある大獅子

2015.09.29

(花)ゆり(プレミアムブロンド)、ダリア(星の王子)、ピンポン菊(葉物)星斑ハラン、レザーファン(枝)雪柳、花ナス(レッドピンポン)

(花)ゆり(プレミアムブロンド)、ダリア(星の王子)、ピンポン菊(葉物)星斑ハラン、レザーファン(枝)雪柳、花ナス(レッドピンポン)

 久し振りに獅子舞を舞いました。

 現在住んでいる地域は、獅子舞が盛んで、大獅子が1頭、子獅子が2頭います。
 秋祭りとして、毎年9月第3日曜日は、獅子舞の日に決まっています。
 還暦間近で、しかも持病の腰痛持ちの小生が頼まれたのは、大獅子。俗にいう獅子舞は、ここでは「子獅子」を指します。激しい所作が求められる子獅子。残念ながら老体の我が身には、声が掛かるはずもありません。あんなに激しい動きには、もうついていけるはずもありませんから。
 大獅子は1日だけ、子獅子2頭は2日間にわたって、全町内を舞います。

   大獅子。
 獅子頭(ししがしら)から、尾までの全長が14メートル。横幅が2.5メートル。文字どおり、大きな獅子です。この大獅子の中に、大人18名が入ります。頭(かしら)を操る人が1名。胴体部分で蚊帳(かや)を竹で持ち上げる人が、左右に8名ずつの計16名。尾を振る人が1名。
 この大獅子のために、6町内から5名ずつ計30名の協力依頼があり、笛や太鼓の囃子方(はやしかた)や世話役を含め、総勢は約40名にも及びます。
 小生も、40代前半まで大獅子に参加していましたが、歳とともに疎遠に。今回、たまたま町内で若手が揃わないとのことで、10数年ぶりに復帰することに。

 「雨男」という有難くない名称を頂戴している我が身には珍しく、この日は見事なほどの日本晴れ。時折、さわやかな秋風も吹きよせる、絶好の日和となりました。

  午前8時20分。獅子舞の装束である法被(はっぴ)や脚絆、足袋に身をつつみ、神社に集合。困ったのは、草履(ぞうり)。わら草履など、日頃履く機会があるはずもなく、自己流でなんとか履いて行きましたが、宮に着くなり、町内の人に笑われ、若い衆に縛り直してもらう羽目に。

 午前9時。神主からお祓いを受け、獅子舞に魂を入れ、いよいよ出発。
 回る戸数は、地域にあるすべての民家、会社、老人施設など、約250軒。1軒ごとに玄関先で、お囃子に合わせ、舞います。小生の役割は、蚊帳(かや)持ち。以前までは、獅子頭を持って舞うこともありましたが、かなり重い頭を勢いよく振り回す体力は、もうありません。慣れた若い衆ですら、連続で5軒も舞うと腕が上がらず、くたくたになるほどですから。頭を操る人は、順次7~8人で交代します。

 お昼の休憩時間、45分をはさみ、大獅子が終了したのは、夕方5時少し前。
 蚊帳を持ち上げつつ、お囃子に合わせて、足を交互に舞うだけですが、他の人と一度も交代することが無かったため、正直疲れました。若連中は、最後まで元気でしたが、我が身は、足も膝もガタガタ。何といっても、6~7時間歩き通しだったわけですから。
 はじめは顔も知らなかった他の町内の人たちとも、丸1日も蚊帳の中に入っていると、いつの間にか連帯感が生まれました。

 この大獅子。一時期、下火になりかけた時期もあったそうですが、今日まで地域住民に守られ、営々と古き伝統が受け継がれてきています。

 町内会長に頼まれ、ピンチヒッターで参加した大獅子。
 老体には堪えましたが、最高の秋晴れにも恵まれ、それなりに実りのある一日でした。

P.S.
ブログをアップする日が1日遅れ、申し訳ありませんでした。
「民芸」については、次回書かせていただきます。(O)

貸会議室で、Wi‐Fiが利用できます。

2015.09.15

 ホームページを、一部リニューアルしました。

  今回の主な変更点は、

1.「貸ホール・貸会議室」のコーナーを、ご利用しやすいように変更しました。

(花)オンシジューム、ケイトウ、スプレーカーネーション(葉物)オクラレルカ、ハラン

(花)オンシジューム、ケイトウ、スプレーカーネーション(葉物)オクラレルカ、ハラン

2.新設したWi-Fi関係を掲載しました。

3.トップページのスライド写真を一部変更しました。

4.8階の「ホール控室」を「804会議室」に名称変更しました。

  以上の4点です。

 1.「貸ホール・貸会議室」については、
(1)「360度パノラマビュー」を新しく導入しました。
 8階ホールと801会議室、903会議室の3カ所を、360度のワイドビューで見ていただくことが出来ます。

(2)「イベント事例集」を新設しました。
 過去に8階ホールで開催されました講演会や研修会、シンポジウム、試験会場などの利用状況を紹介しています。
 データの掲載にあたり、株式会社富山育英センター様、富山県農業協同組合中央会様に大変ご協力をいただきました。改めて、感謝申しあげます。

(3)「収容人数別一覧」、「スタイル別一覧」を新たに設けました。
 ご利用目的により、短時間に検索できるように工夫したつもりです。

 2.Wi-Fi(インターネット接続)が、ご利用できるようになりました。
  8階、9階のすべての貸会議室、貸ホールに、新しくWi-Fi機能を設置しました。
  ただ、フリーで、ご利用いただくことは出来ず、パスワードが必要となります。1日、1,000円(税込み)となりますが、会議、研修などで、ご利用ください。

3.県内JAでは、子供たちに農業に親しみを持ってもらえるように食農教育を進めていますが、トップページに食農教育に関したデータを掲載しました。
 データの掲載にあたり、JAみな穂・総務人事課様に全面的にご協力をいただきました。改めて、感謝申しあげます。
 なお、トップページは季節の変化にともない、10月1日、12月1日、平成28年3月1日に変更する予定です。

 4.8階の「ホール控室」については、従来までは来賓や講師の控室として、ご利用いただいていました。
 今回の耐震改修工事にともない、控室だけではなく、小規模なミーティングルームとしても利用いただけるように、スタイルを変更しました。
 名称も、「804会議室」に変更しましたので、ぜひご利用ください。

 

 P.S.
 シルバーウィークに入りますので、21日のブログは1回休ませていただきます。
 次回は、28日となります。「民芸」について、書かせていただくつもりです。(O)

小さな日本庭園が誕生しました。

2015.09.07

 

(花)モカラ、エンリジューム、アンスリューム(葉物)ソングオブジャマイカ、ゴットセファナ(枝)石化エニシダ

(花)モカラ、エンリジューム、アンスリューム(葉物)ソングオブジャマイカ、ゴットセファナ(枝)石化エニシダ

 農協会館前に、小さな日本庭園が誕生しました。

 耐震改修工事とは別に、6月中旬から会館外周の配管取替工事を行っていました。
 7月中旬に工事が終了し、工事を進めていた場所は元どおり復元しましたが、会館前だけは、更地(さらち)のままになっていました。

  この場所は、工事を始めるまでは、柘植(つげ)の木が生垣のように植えられていました。
 農協会館の竣工とともに植えられた、この柘植の木。毎年生長するため、年に数回、造園業者にお願いして剪定してもらっていました。
 約35年もの長い間、親しまれてきた柘植の木でしたが、工事の邪魔になるため、一本残らず抜き取られました。

  工事終了後、改めて柘植を植える予定にしていましたが、造園会社である株式会社柴崎農園の社長さんから「柘植の代わりに別の木を植えて、小さな庭を造ってみたらどうか」との提案があり、「費用を同額にする」ということもあり、役員に相談し、結局お願いすることに。

 

農協会館前に、新しく誕生した日本庭園。

農協会館前に、新しく誕生した日本庭園。

 記録続きの猛暑が続いていたため、お盆前になかなか植栽に掛かれず、天候が落ち着き、外気温も涼しくなった8月下旬に、やっと庭造りを始めることに。ありがたいことに植樹した頃から、ちょうど雨模様の日が続いており、木々の根付きも順調なようです。

 植えられたのは、マユミ、柊(ひいらぎ)、アオダモ、ヒラドツツジ、ソヨゴ、ドウダンツツジ、ヤマボウシ、ライラック、エゴノキ。そして、地表にはスギゴケ。限られた予算にもかかわらず、社長さんの配慮で、当初計画には無かった立派な庭石も置いていただきました。

 1日半の庭仕事を終えて、新しく出来上がった日本庭園。

 嬉しいことに、大変評判が良いようです。
 「しっとりと落ち着いた感じで、いいね」とか、「限られたスペースを、うまく生かしている」など、多くの方からお褒めの言葉を頂戴しています。

 
 会館前に誕生した日本庭園。
 早いもので、うっすらと色づき始めた樹もあります。
 小さな庭園ながら、これから四季の移ろいを十分楽しめませてくれそうです。(O)

 

ヤマボウシ、マユミなどを植え、きれいに剪定する㈱柴崎農園の皆さん。

ヤマボウシ、マユミなどを植え、きれいに剪定する㈱柴崎農園の皆さん。

 

最後に、スギゴケを地表に敷き詰めます。

最後に、スギゴケを地表に敷き詰めます。

 

地震に備え、シェイクアウトとやまに参加

2015.09.02

 

午前10時に「地震が発生しました」と、館内放送を流しました。

午前10時に「地震が発生しました」と、館内放送を流しました。

 9月1日は、「防災の日」。
 地震を想定した県民一斉参加型の訓練「シェイクアウトとやま」が、県内各地の学校や職場で行われました。農協会館も「シェイクアウトとやま」に参加し、緊急時に備えて防災意識を高めました。

 シェイクアウトは、「地震を吹き飛ばせ」という意味の造語。
 参加者が1カ所に集まる訓練とは違い、それぞれの場所で「まず低く」「頭を守り」「動かない」という基本動作を取る訓練です。2008年にアメリカで始まり、県内で行われるのは、昨年に引き続き2回目。

  農協会館では、午前10時に館内放送を流し、「地震が発生しました」を合図

館内放送を聞き、一斉に机の下に隠れる農協中央会の職員。

館内放送を聞き、一斉に机の下に隠れる農協中央会の職員。

に、職員らが1分間、一斉に机の下に隠れ、災害発生時に備えました。(O)

消防・防災訓練を実施しました。

2015.08.31

 

(花)シンピジューム、トルコききょう、スプレーカーネーション(葉物)コンパクター(枝)野バラ、どうだんつつじ

(花)シンピジューム、トルコききょう、スプレーカーネーション(葉物)コンパクター(枝)野バラ、どうだんつつじ

 第1回目の消防・防災訓練が、8月26日に行われました。

 農協会館は、高さ31メートル以上の建築物のため、消防法にもとづき、「特定防火対象物」にあたり、年2回の消防訓練、年1回の防災訓練が義務付けられています。

 今回の訓練には、館内に入居している11団体から25名が参加。
 現在、耐震改修工事を進めている株式会社竹中工務店からも、3名の方が参加してくださいました。

 最初に実施した訓練は、救命講習(救命入門コース)。

模型を使い、気道確保の大切さを説明する富山消防署の池水さん。

模型を使い、気道確保の大切さを説明する富山消防署の池水さん。

 講師は、富山消防署庶務救急課の池水真未さん。
 池水さんは、「倒れた人を発見した場合、救急隊が到着までの間、どれだけ心肺蘇生が行われたかが、その後の生存率に大きく左右します」と、救命講習の大切さを説明。

  参加者は3班に分かれ、呼吸の確認や胸骨圧迫、気道確保、人工呼吸、AEDの使用方法などを、約90分間にわたって研修。
 参加者は、マネキンを使用しながら、「1、2、3、4………」と大きな声を出しながらリズムを取り、胸骨圧迫や人工呼吸などを実習しました。
 講習終了後、池水さんから参加者全員に「救命入門コース参加証」が渡されました。

 続いて、避難訓練。

 8階ロビーの喫煙室から火事が発生したとの想定で、富山消防署に通報。火元の反対側にあたる西側階段を

マネキンを使って、「1、2、3、4……」と、大きな声を出して胸骨圧迫をする受講生。

マネキンを使って、「1、2、3、4……」と、大きな声を出して胸骨圧迫をする受講生。

使って、9階会議室から会館前まで駆け降りました。最後の人が、避難先に到着するまでの所要時間は、3分20秒。全員、スピーディーに避難することが出来ました。

 最後は、消火栓と消火器を使った消火訓練。

 屋内消火栓は、各階に2カ所ずつ設置してありますが、滅多にホースを直接手にする機会はないもの。今回は、㈱北陸綜合防災センターの担当者から操作方法などを聞きながら、1階ロビーの消火栓を使って実習。消火栓を開け、ノズルを持って30メートル用のホースを引っ張り出し、開閉弁を開ける訓練をしました。

 消火器についても、初めに操作方法の説明を受け、各団体の代表8名が、それぞれ消火器を手に持ち、安全ピンをはずして、消火器の使い方を確認しました。

 

消火器の正しい操作方法を聞き、一気に消火する参加者。

消火器の正しい操作方法を聞き、一気に消火する参加者。

 農協会館には、現在、約360人が勤務していますが、毎年8月に実施している消防・防災訓練に、今後も救命講習(救命入門コース)を取り入れる予定です。毎回、受講者を新しくすることにより、館内の救命受講修了者が増え、仮に人が倒れるなど緊急事態が発生した場合、一人でも多くの職員が救急車が到着するまでの間、慌てることなく、適切な対応を取れるようにするためです。

 今回の訓練にあたり、富山消防署と㈱北陸綜合防災センターに、全面的にご協力をいただきました。改めて、心から感謝申しあげます。(O)

耐震改修工事、順調に進んでいます。

2015.08.25

 

(花)ゆり、オンシジューム、トルコききょう、りんどう、スプレーカーネーション(葉物)ナルコラン

(花)ゆり、オンシジューム、トルコききょう、りんどう、スプレーカーネーション(葉物)ナルコラン

 農協会館の耐震改修工事。
 本格的に4月から工事がスタートして、もう5か月。
 今のところ、工事は順調に進んでいます。

 5月に9階の工事がすべて終了し、現在は8階、7階、6階で耐震改修工事を進めています。
 外部の方から、「外側から見ると、耐震工事しているようには見えない」「本当に耐震工事をしているのですか」と、よく聞かれます。耐震工事の工法として、建物の内側に鉄骨ブレースを組み込む方法を採用していますので、外見上、工事の内容が分かりづらいのかもしれません。

 8月23日、日曜日。
 大型クレーンを使って、屋上へ初めて資材等の荷揚げ作業を行いました。
 重量の負荷が、かなり掛かるため、クレーン車が停止する農協会館横の駐車場に、厚手の鉄板を敷き、さらに鉄板をしっかり固定するため、周囲をアスファルトで固める作業を、前日に事前に済ませておきました。

 当日到着した大型クレーン車の大きさは、50トン。
 7月に25トン級のクレーン車で、7階に鉄骨ブレースの搬入を行いましたが、50トン級は初めて。最大級のクラスといえます。
 大きさが大きさだけに、NHK側の道路を片側交互通行にして、作業を開始。
 農協会館の高さは、1階から屋上まで約47メートル。クレーンのブーム(竿の部分)は、最大限に伸ばして約50メートル。
 午前8時30分から始まった吊上げ作業は、天候に恵まれたこともあり、順調に進み、予定どおり正午に無事終了。

 今後、8月下旬から9月中旬にかけて、毎週のように週末の土曜、日曜日に、大型移動クレーン車による鉄骨ブレース等の搬入が行われる予定です。
 耐震改修工事は、10月から5階、11月からは4階、さらに12月から3階で順次始まる計画です。すべての工事が終了するのは、平成28年12月下旬の予定となっています。

 その間、何かとご迷惑をお掛けしますが、ご理解とご協力のほど、よろしくお願い申しあげます。

  なお、貸会議室については、まだ工事中の箇所も一部ありますが、ほとんどの会議室は工事が終了していますので、ぜひ、新しくリニューアルしました貸会議室をご利用ください。(O)

50トンの大型クレーンを使って、農協会館の屋上へ荷揚げ作業をしているところです。

50トンの大型クレーンを使って、農協会館の屋上へ荷揚げ作業をしているところです。

屋上では、作業員が順次資材を荷受けしています。

屋上では、作業員が順次資材を荷受けしています。

屋上から逆に大型クレーンの作業状況を見たところです。正直、足がすくみます。

屋上から逆に大型クレーンの作業状況を見たところです。正直、足がすくみます。

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