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早朝に届いたバラの花束

2016.06.15

[花]モカラ(ロビン)、あじさい、てまり草、キリフキ草、[枝]どうだんつつじ

[花]モカラ(ロビン)、あじさい、てまり草、キリフキ草、[枝]どうだんつつじ

 朝起きると、玄関先にバラの花束が置かれています。
 バラを見ただけで、誰が届けてくださったのか、すぐわかりました。
 同じ町内の、4軒隣のおばあちゃんです。

 ピンク色のかわいいバラたち。
 ちょうど今、おばあちゃんの庭先では、みごとなバラが咲き揃っています。通勤時に、最寄りの駅まで歩いていますが、毎朝、おばあちゃんの家の前を通ります。垣根越しに、庭に赤やピンクなど、様々なバラが咲き誇っているのを、目にしていました。

 少し耳の不自由なおばあちゃん。
 おばあちゃんとは、簡単な挨拶を交わす程度で、今まで話らしい話をしたことはありません。それでも、花好きなのを知っておられるのか、早朝にわざわざ届けてくださったようです。

 我が家では、いつになく観葉植物や山野草たちが元気です。
 今までリビングの出窓に、まとめて置いていた観葉植物たち。直射日光を避けつつも、少しでも日当たりのよい所にと、配慮していたつもりでした。しかしながら、つい水やりを忘れたり、手入れをしなかったりと、恥ずかしながら枯らしてしまうことも、しばしば…。

 一念発起して、春先から外玄関や三和土(たたき)、廊下の角などに、分散して置くことに。
 不思議なものです。観葉植物が、生き生きと元気を取り戻してくるではありませんか。葉の緑色の鮮やかなこと。葉も、のびのびとした広がりを見せてくれます。何と一度も花をつけたことが無かった観葉植物が、今年初めて可憐な紫色の花を咲かせてくれました。

 きちんと水をあげるのはもちろんのこと、朝晩2囘の霧吹きスプレー、そして適度な施肥。
 当たり前のことですが、やるべきことを徹底してやり始めました。

 「植物は人を裏切らない」と、よく言います。どうも事実のようです。
 手間をかけた分だけ、植物はきちんと応えてくれます。花を咲かせ、かわいい実をつけ、結果を返してくれます。かわいがることと、比例関係にあるようです。

 特に霧吹きスプレーを喜んでくれるようです。葉だけではなく、観葉植物全体が潤うようにスプレーしています。根の健康を保つために、成長したものは大きな器に移し替えることも始めました。
 ちょっとした事の繰り返しです。嬉しいことに、観葉植物は時間をかけつつも、確かに余りあるいやしを返してくれています。

 庭では、朝顔の苗を育てています。
 昨年、緑のカーテンに出来た朝顔の種。晩秋に小さな器が一杯になるほど、たくさんの種が採れました。例年ですと、ホームセンターで苗を購入していましたが、今年はポットに種を蒔き、育てています。20鉢ほど植えましたが、なぜか芽が出たのは半分ほど。生長具合をみてプランターに移し替え、例年どおり軒下から緑のネットを張るつもりです。ゆたかな花を咲かせてくれることを楽しみにしています。

 緑のある空間。
 特別な事をしているわけではありません。
 ただ、水やりやスプレーなど、花や山野草、観葉植物を慈しみながら、緑の生活を日々楽しみたいと思っています。(O)

 PS.写真をクリックしていただくと、全景を見ていただくことができます。

九兵衛旅館

2016.06.07

[花]バラ(サムライ)、トルコキキョウ(ブルーフィズ)、オンシジューム(ハニーエンジェル)、[枝]ガマ、斑入マサキ

[花]バラ(サムライ)、トルコキキョウ(ブルーフィズ)、オンシジューム(ハニーエンジェル)、[枝]ガマ、斑入マサキ

 作家・藤沢周平さんゆかりの、山形県・湯田川温泉に行って来ました。

 開湯以来、約1300年を迎えるという湯田川温泉。
 泊まった宿は、九兵衛(くへえ)旅館。
 創業300年を超え、11代にわたり旅館業を営んできたという老舗旅館。
 湯田川は、孟宗(たけのこ)の産地として有名だそうで、夕食に出たタケノコづくしの「孟宗の膳」は、まさに絶品。掛け流しの露天風呂、そして女将さんはじめスタッフの皆さんの心温まる接客、評判どおり素晴らしい宿でした。

 藤沢周平さんが、山形県出身であることは、漠然と知っていました。
 ただ、湯田川温泉、そして宿泊した九兵衛旅館にもゆかりのある方だということは、まったく知りませんでした。

 九兵衛旅館に入ると、ロビーや廊下の一画に、藤沢周平さんの著書や新聞の切り抜き、映画のパネルなどが多数飾られています。藤沢周平さんは若い頃、ここ湯田川の地で2年間教鞭をとり、作家になってからも九兵衛旅館を定宿としていたことを知りました。

 藤沢周平さんは、山形県鶴岡市出身。
 山形師範学校(現在の山形大学)卒業後、生家に近い湯田川中学校に赴任し、国語と社会を担当。順調な人生を歩み始めたかと思われましたが、当時不治の病とされていた結核にかかり、休職を余儀なくされます。治療のため上京し、病気が治った後も、教職に復帰することは出来ず、業界紙の記者に。
 結婚し、長女が誕生するも、妻が28歳の若さで癌のため急逝。
「妻の死に強い衝撃を受け、やり場のない虚無感をなだめるために、時代小説の筆を執るようになった」と、ある本にあります。

 
 藤沢周平さんの本は、結構読んでいるつもりでした。
 ところが、読書ノートで確認すると、まったく読んでいないことがわかり、自分でもびっくり。
 どうも過去に観た山田洋次監督らの映画、「たそがれ清兵衛」「武士の一分」「蟬しぐれ」などの印象が心に強く残っていて、読んだものと勘違いしていたようです。

 旅を終え、早速、本棚にあった「時雨のあと」(新潮文庫)を読みました。

 司馬遼太郎や城山三郎、山本一力、高田郁など、自分が知っている時代小説家とは趣の異なった、独自の世界が描かれていました。
 主人公として書かれているのは、歴史に名を残すような武士ではなく、赤貧を洗うような武士、出世とは無縁な名もなき下級武士、そして市井(しせい)の人々。
 江戸時代を舞台に、庶民や下級武士の哀歓が丁寧に描かれています。
 その目線は、常に低く、やさしく、見下ろすような居丈高なそぶりはありません。
 藤沢周平さん自らが、肺結核という不治の病を得、さらに若くして奥様を亡くされるなど、辛い体験が微妙に作風に影響しているのかもしれません。生まれ故郷である庄内地方の気候風土も、関係しているのかもしれません。

 湯田川温泉、そして九兵衛旅館での藤沢周平さんとの出会い。
 今回、本当に良いきっかけをいただいたと思っています。

 遅まきながら、これからが私にとっての「藤沢周平ワールド」のスタートです。(O)

5階の耐震改修工事が、ほぼ終了しました。

2016.06.01

[花]ユリ(サンブッカ)、トルコキキョウ(ボヤージュピーチ)、ハイブリットチース(イカルガ)、[葉]ドラセナ(ハワイアンフラッグ)、レモンリーフ

[花]ユリ(サンブッカ)、トルコキキョウ(ボヤージュピーチ)、ハイブリットチース(イカルガ)、[葉]ドラセナ(ハワイアンフラッグ)、レモンリーフ

 5階フロアーの耐震改修工事がほぼ終了し、5月31日に完成検査が行われました。

 5階は、昨年10月から工事を開始しており、工事終了まで8カ月間掛かりました。
 今回の工事で、5階には耐震ブレース9台、耐震壁1台が新しく設置されました。残りは、ロビーだけとなり、6月中旬に完成する予定です。

 耐震工事は、9階から順に仕上げ、下位の階へと工事を進めています。
 5階フロアーについては、職員が勤務している事務所に耐震ブレースを設置する、初めてのパターンでした。工事の関係上、事務所内部に仮間仕切りを2カ所設置しましたので、かなり手狭になりましたが、計画どおり終えることが出来ました。

 完成後は、「明るく、すっきりした感じになった」「窓際に耐震ブレースが入っても、まったく違和感がない」などと、喜んでいただいています。

  5階の工事がほぼ終了し、耐震改修工事の進捗率は、5月末現在、約73%となりました。

 いよいよ6月4日から、1階フロアーの耐震改修工事がスタートします。
 ご案内したように、1階の正面玄関が閉鎖となり、NHK側の南側出入口をご利用していただくことになります。ご不便をお掛けしますが、ご協力くださるようお願いします。

 耐震改修工事の終了は、平成28年12月22日を予定しています。(O)

5階・データ通信センタの事務所内部に、耐震ブレースが2台新設されました。

5階・データ通信センタの事務所内部に、耐震ブレースが2台新設されました。

南側出入口の工事が終わりました。

2016.05.27

 

南側出入口に新しく作られたスロープと手摺り。

南側出入口に新しく作られたスロープと手摺り。

 6月4日から、いよいよ1階の耐震改修工事が始まります。

 1階の正面玄関については、以前にご連絡したとおり、耐震ブレース(鋼材)を新たに設置するため、工事が終了する12月下旬まで閉鎖させていただきます。
 その間、大変ご迷惑をお掛けしますが、NHK側にある南側出入口を利用していただくことになります。

 南側出入口については、従来のままでは設備的に十分とはいえないため、㈱竹中工務店に造作工事を依頼し、5月25日に完成しました。
 体の不自由な方のために、新たにスロープや手摺りを設置したほか、雨天の日にも滑らないようにと階段やスロープに塩化ビニールのマットなども敷いてもらいました。

 また、正面玄関周辺には、3カ所に案内看板を設置して、南側出入口への案内図も掲示させていただきます。約7カ月間と長期にわたって、ご不便をお掛けすることになりますが、ご協力くださるようお願い申しあげます。(O)

階段やスロープには、滑らないように塩化ビニールのマット敷いてあります。

階段やスロープには、滑らないように塩化ビニールのマット敷いてあります。

530(ごみゼロ)運動

2016.05.25

[花]オンシジューム、マリーゴールド、[葉]コンシンネ、モンステラ、丸葉ルスカス

[花]オンシジューム、マリーゴールド、[葉]コンシンネ、モンステラ、丸葉ルスカス

 先日、農道沿いのゴミ拾いをしました。

 昨年、集落近くに三井アウトレットパークがオープン。
 主要アクセスである国道8号線が、たまたま集落の端を横切っているため、少しでも美化に役立てばと、ゴミ拾いをしたものです。
 今回、ゴミを集めたのは、8号線に対し併行して走っている農道沿い。距離にして、片道約100メートル。時間にして、約30分間。大人5人が、各自大きめのスーパーバックを持ち、拾い始めましたが、袋がアッという間にいっぱいに……。
 ちょっと見た感じ、側溝にペットボトルがいくつか見える程度で、大したことはないとたかをくくっていたところ、いざ草むらに足を踏み入れてみると、プラスチックやら、コーヒー缶やら、ゴミが出るは、出るは……。

 地元O市では、以前から「530(ごみゼロ)運動」に取組んでいます。
 毎年5月30日に各種団体や一般市民が参加して、ごみゼロ運動を実施しています。本来ならば、5月30日に実施すべきイベントですが、なかなか平日に休むことも出来ず、5月の休日を利用して行っています。

 NHK・BS1に「COOL JAPAN 〜発掘!かっこいいニッポン〜」という番組があります。外国人の目からみた、日本の衣食住の文化を紹介する番組ですが、切り口がユニークで面白く、時々見ています。
 外国人がニッポンを見て驚くことの1つとして、
 「日本は、道路にはゴミが全く落ちておらず、トイレも非常に清潔だった」ことが紹介されていました。世界各国の中でも、日本はもっとも清潔な国として高い評価をいただいているようです。

 最近読んだ、加藤恭子編「日本人のここがカッコイイ!」(文春新書)の中でも、
 「日本の街はどこも非常にきれいなのに、掃除している人が目立たないという事実。これにはびっくり。それなのにこんなにきれいとは、凄いことだと思いました。」(39ページ)と、中国人男性の感想が記されていました。

 
 それなのに、今回ごみ拾いをしてみて、ガックリ。
 結局、かなり大きなゴミ袋を準備していましたが、袋が足りなくなり、途中で止めました。
 日本人のマナーも、実態はこの程度なのかもしれません。

 当日は、朝から5人がかりで別の農道の草刈りを2時間余りした後、ごみ拾いをした訳ですが、思った以上にひどい状態に、疲れが増しました。
 ほとんどが、8号線からの投げ捨てのようです。一時期、アウトレットパークへの渋滞がひどい頃がありましたので、イライラして一層ひどくなったのかもしれません。

 多くはペットボトルでしたが、錆びついた缶コーヒー、食品トレー、紙パック、そしてズックなども。不思議だったのは、缶チューハイ、ハイボールなどのアルコール類の空容器。まさか、飲酒運転をしているはずはないとは思いますが……。

 集めたゴミは、一番若い小生がそのまま自宅に持ち帰り、分別処理しました。
 燃えるゴミと燃えないゴミに分け、汚れたペットボトルや缶などは、すべてタワシで水洗い。ところが洗っても、泥がこびり付き、一部変色していて、悪戦苦闘。特に困ったのは、残ったまま封印し、捨てられたペットボトル。中身が腐って、もうドロドロ状態に。悪臭が漂います。何回も洗い流し、なんとか分別ごみとして出せる状態にまでもっていきました。
 ペットボトルは、ラベルをはがし、フタと容器に分け、さらに金属類やプラスチックなども、かろうじて市指定の分類表どおりに分別しました。

 結局、きれいに分別処理をするのに、約1時間掛かりました。

 途中、「なんでこんな汚い事、一人でやっているんだろう?」「ボランティアとはいえ、他人が捨てたものを、なんでせっせと洗っているのだろう」と、何とも割り切れない思いが、込み上げてきました。

 恥ずかしながら最後に残っていたのは、「受けたからには、最後のひとつまで完全に仕上げてやってやる。」という、典型的なA型のつまらぬ片意地だけでした。(O)

心に響くメロディー

2016.05.17

[花]バラ(アンナマリー)、ガーベラ(バスケット、オレンジケーキ)、カーネーション(ソト)、サンダーソニア、[葉]レモンリーフ、[枝]スノーボール

[花]バラ(アンナマリー)、ガーベラ(バスケット、オレンジケーキ)、カーネーション(ソト)、サンダーソニア、[葉]レモンリーフ、[枝]スノーボール

 5日、作曲家・富田勲さんが亡くなられました。

 富田勲さんは、生前、数多くの名曲を残されました。
 一番心に残っている曲をと聞かれれば、迷うことなく「新日本紀行」のテーマ曲をあげます。

 NHK総合テレビで放送されていた「新日本紀行」。
 日本各地の風土と人間模様をあらわした、ドキュメント番組でした。テーマ曲として、富田勲さんが作曲された情緒豊かなメロディーが流れていました。35年余りたった今も、この曲を耳にするたびに、何とも言えぬ哀愁を感じます。
 長い間、国民に愛され続けて来たこの曲。懐かしい昭和の香りが漂い、日本の原風景を表わす代表的な曲のひとつと思います。

 この「新日本紀行」が、宿題となっていた時期がありました。
 小学校5年生の時です。
 その時の担任は、30代前半のA先生。教育熱心で、スポーツ好きな男性の先生でした。担任を外れた後も、中学入学時に、卒業時にと、節目あるごとに心のこもった手書きのハガキを届けてくださる、そのような先生でした。

 この先生が出したユニークな宿題が、「新日本紀行」の感想文。
 毎週放送される「新日本紀行」を見て、感じたこと、思ったことを自由に書き、翌日に提出するというものです。何を書いても良いのですが、わずか30分間の番組とはいえ、小学5年生にとっては難解な内容の時もあり、結構しんどい宿題だった記憶があります。

 当然ながら今となっては、何を書いていたのか、まったく覚えていません。
 ただ、思わぬ効果がありました。

 地理が好きになったということです。どちらかというと、以前から社会科は得意科目でしたが、いっそう地理に興味を抱くようになりました。中学、高校と進むにつれて、地理への関心はさらに高まり、大学受験の際には、当然のように「地理B」を選択しました。受験したどの大学の入学試験も、地理だけは確かな手応えがあり、高得点をキープ出来たと自負しています。

 富田勲さんの作曲ではありませんが、もうひとつ今も心に響いている曲があります。
 NHKラジオ「昼のいこい」のテーマ曲です。
 お昼の12時台に流れる、この番組。長寿番組として有名ですが、作曲は古関裕而さん。

 各家庭に電話が普及しておらず、農協の有線放送が電話の替わりをしていた時代。
 これかれ、今から半世紀以上も前のことになりますが、わが家にも茶の間の棚の上に、有線放送の黒い四角い箱がおいてありました。
 幼い頃、近所の子供たちと外で思いっきり遊んできた後、お昼にお腹を空かして我が家に戻った時、茶の間の有線放送からこのメロディーがよく流れて来たものです。幼い子供なりに、このメロディーには感じるものがありました。

 今もNHKラジオからこの曲が流れて来ると、言うに言えない、心に鳴り響くものがあります。

 人の心の風景を呼び覚ます音。
 そして、日本の原風景を呼び起こす懐かしい音楽。

 誰にでも、そのような音、音楽というものがあるのではないでしょうか。(O)

6月4日から、正面玄関が使えなくなります。

2016.05.10

 

[花]すかしゆり(エスプリ)、トルコききょう(ボレロホワイト)、[葉]ゴットセファナ、ギボウシ、[枝]どうだんつつじ

[花]すかしゆり(エスプリ)、トルコききょう(ボレロホワイト)、[葉]ゴットセファナ、ギボウシ、[枝]どうだんつつじ

 平成26年12月からスタートした、農協会館の耐震改修工事。
 平成28年4月末現在、全体の約70%が終了し、工事は順調に進んでいます。

 耐震工事は現在、2階から5階に掛けて行われています。
 耐震工事にあわせて、各階にある大型空調機器の交換工事も併行して実施しているため、ゴールデンウィーク期間中、連日のように大型レッカー車による、窓からの耐震ブレース(鋼材)や空調機器の搬入作業が行われました。

 6月初旬から、いよいよ最終階である1階の耐震改修工事が始まります。
 1階正面玄関は、耐震診断の結果、強度が不足していることがわかり、新たに耐震ブレースを設置することになりました。そのため、ご利用者の皆様に大変ご迷惑とご不便をお掛けしますが、しばらくの間、正面玄関を閉鎖させていただき、NHK側の出入口を利用していただくことになります。

 閉鎖させていただく期間は、6月4日から12月下旬までの約7カ月間。
 NHK側の出入口については、現在ある階段のほかに体の不自由な方に配慮して、新しく仮設のスロープを設置します。
 また、正面玄関周辺には、看板などを置いて、出入口の案内をさせていただきます。

 正面玄関の閉鎖にともない、長期にわたり何かとご迷惑をお掛けしますが、趣旨をご理解いただき、ご協力くださるようお願い申しあげます。(O)

樹木を伐採した後、新しく植えられたヤマボウシ。

樹木を伐採した後、新しく植えられたヤマボウシ。

PS.前回、会館外周の樹木を3本伐採したことをご案内しましたが、5月7日に㈱柴崎農園さんが新しい樹木を植えてくださいました。今回、植樹してくださったのは、ヤマボウシ2本とハナミズキ1本です。
 今から、きれいな花を咲かすのを楽しみにしています。

会館とともに年輪を刻んだ大木

2016.04.25

  農協会館の北側にある樹木、3本を切らせてもらいました。

[花]トルコききょう、デンファレ、アンスリューム、[葉]ナルコラン、[枝]こでまり

[花]トルコききょう、デンファレ、アンスリューム、[葉]ナルコラン、[枝]こでまり

 農協会館は、耐震改修工事を実施していますが、3月末現在、約65%の工事が終了しています。
 耐震工事は、最上階である9階から仕上げ、徐々に下の階に降りるスタイルをとっています。9階から6階までの工事が終了し、現在は5階から2階までの階で工事が行われています。

 耐震補強をする耐震ブレースについては、大型レッカー車で1本ずつ鋼材を吊上げ、各階の窓から館内に搬入しています。今回、2階の耐震工事を進めるにあたり、大きく育った樹木が耐震ブレースを搬入する際に妨げとなるために、樹木を切ることにしたものです。

 樹木の伐採作業は、4月23日に行われました。
 伐採をお願いしたのは、富山市内にある造園業者・㈱柴崎農園さん。朝早くから8名のスタッフの皆さんが準備し、大型レッカー車や高所作業車などを使いながら慎重に切り始め、予定よりも早い半日で終了しました。大きな木だっただけに、切り終わった後、かなりの量の枝や幹などが出ましたが、きれいに片付けてもらいました。

 今回切らせてもらった木は、ケヤキ1本とシラカシ2本の計3本。3本とも、高さ10メートル以上に及ぶ大木に生長していました。
 農協会館は、昭和55年に竣工していますが、3本の木はその時に植えられたものと思われます。36年もの長い間、風雪に耐え、会館とともに年輪を刻んできたことになります。

 伐採にあたり、「残念だ」「想い出が詰まっているのに……」という惜しむ声をいただきました。私自身、

農協会館北側にある樹木を切る柴崎農園の皆さん。

農協会館北側にある樹木を切る柴崎農園の皆さん。

伐採する作業に立ち会いましたが、チェンソーで切り倒す時は、さすがに感無量で複雑な思いにさせられました。
 あくまでも耐震工事を進めるうえでの対応ということで、ご了解ください。

  伐採後については、2階に耐震ブレースを搬入した後、時節をみて、ヤマボウシやソヨゴなどの樹木を新たに植えることにしています。(O)

 PS.いよいよ4月29日からゴールデンウィークに入ります。ブログは、1回お休みをいただきます。次回は、5月9日を予定していますので、ご了承ください。

 

人の心に寄り添える人

2016.04.19

[花]ストック(ホワイトアイアン)、スプレーデルフィニューム、トルコききょう、アルストロメリア、ガーベラ、[葉]丸葉ユーカリ

[花]ストック(ホワイトアイアン)、スプレーデルフィニューム、トルコききょう、アルストロメリア、ガーベラ、[葉]丸葉ユーカリ

 今話題を集めている、清水健さんの著書「112日間のママ」(小学館)を読みました。

 読売テレビのアナウンサーとして、関西では知らない人がいないという清水健さん。清水さんは、月~金曜日の夕方、情報番組「かんさい情報ネットten.」のメインキャスターを務め、視聴率トップを争うほどの人気ぶりだそうです。

 朝日新聞の「ひと」欄で、初めて清水健さんのことを知りました。

 清水さんは、2013年6月に同じ番組でスタイリストをしていた奈緒さんと結婚します。2014年4月、妊娠が分かった直後に乳がんが見つかり、そして闘病ののち、2015年2月、結婚からわずか1年9カ月で奈緒さんが逝去。29歳の若さでした。そのとき、残された長男は生後112日……。

 奈緒さんのがんは、悪性度が高く、進行性の早い乳がんだったそうです。
 困難な状況にもかかわらず、奈緒さんは出産も自身の生存も諦めませんでした。傍らで付添う健さんも、夫としてできることは何か。入院先の病室で寝泊まりしながら仕事に通い、新薬治験の可能性などを求めて多くの医師を訪ねたとあります。

 この本は初め、こういった本にありがちな「涙頂戴的な本か」と思っていました。
 しかしながら、読み進むうちにぐいぐいと真摯に生きるお二人に惹き込まれ、一気に読み終えることが出来ました。通勤途中、電車の中で読んでいる内に涙が溢れ、もう読み進むことが出来ず、本を閉じました。

 3月に購入した際には、品薄状態でしたが、現在は書店に山積みになっています。
 もう詳しいことは書きません。もしよろしければ、一読してください。

 最後に、心に残った健さんの言葉を書かせてもらいます。

 「僕しかできないことがあるならば、僕だから伝えられることがあるならば。本当の意味で、人の痛みや悲しみがわかる、人の心に『寄り添える』ひとりの人間でいたい。心からそう思う。だから僕は伝え続けたい。その想いでカメラの前に立たせてもらっている」(175P)(O)

人の心を動かす人形たち

2016.04.11

[花]ゆり(シベリア)、[葉]ナルコラン、[枝]キク、桃、アセビ、スノーボール

[花]ゆり(シベリア)、[葉]ナルコラン、[枝]キク、桃、アセビ、スノーボール

 久しぶりに、高橋まゆみ人形館に行って来ました。

 長野県飯山市にある高橋まゆみ人形館。
 2010年4月にオープンし、飯山市在住の人形作家、高橋まゆみさんの創作人形を展示しています。2年前の夏に初めて人形館を訪ね、昭和の香りが漂う素朴な人形たちにすっかり魅せられてしまいました。周りをいつくしむような、おじいちゃん、おばあちゃんのやさしい笑顔。今にも笑い声が聞こえてきそうな子供たちの明るい表情。
 物質的には決して恵まれた時代ではなかったと思いますが、ほのぼのとした、なんとも言えない心の豊かさが人形から伝わってきます。

 詳しくは知りませんが、日本には数多くの人形作家がおられることと思います。
 人形展といえば過去に、与(あたえ)勇輝さんの「昭和・メモリアル 与勇輝展」(富山大和店)、石井美千子さんの「昭和のこどもたち」(砺波市美術館)などを鑑賞したことがあります。

 日本画家・奥田元宋さんの奥様であり、日展理事長でもある奥田小由女(おくださゆめ)さんの作品も、日展などで定期的に見せてもらっています。
 以前、富山県水墨美術館で開催された、ご夫婦による合同展「響き合う風景と人形 奥田元宋と小由女展」も、興味深く見せてもらいました。

 
 紙粘土を使いながら、人形に魂を入れていく人形作家。
 作り手によって、人形の表情がそれぞれ異なり、醸し出す雰囲気も違ってきます。芸術面から見た場合は、奥田小由女さんの作品が高い評価を受けるのかもしれません。しかしながら、私にとっては高橋まゆみさんの作品が一番親しみを覚えます。

 今回の高橋まゆみ人形館の企画展は、春のコレクション展「日本一短い手紙展」。
 福井県坂井市へ全国から寄せられた「日本一短い手紙」。これらの入賞作品が、高橋まゆみの人形とうまくマッチして、館内に飾られていました。
 展示されていた、一つひとつの「日本一短い手紙」が心に響きましたが、もっとも心にとまった作品は、

   何もない そう思ったあの場所に
      全てがあったと 知る今日この頃    石丸裕(宮崎県)

 
 この手紙は、17歳の高校生が書いたものだそうです。

 ふつうの主婦だった高橋まゆみさん。
 通信教育で人形づくりを学びはじめ、試行錯誤を重ねながら、今日の作風を作り上げたそうです。また、いつの日にか、再び高橋まゆみ人形館を訪ねてみようと思います。
 帰りに、高橋まゆみさんの著書「人形出会い旅 ~まなざしの向こうに~」(信濃毎日新聞社)を購入してきました。これから読むのを楽しみにしています。(O)

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