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世界にひとつだけの本

2017.01.24

[花]ストック(アイアンパープル)、ゆり(アクティバ)、バンダ、ガーベラ(ピンクパペット)、アネモネ、かすみ草、[葉]旭ハラン

[花]ストック(アイアンパープル)、ゆり(アクティバ)、バンダ、ガーベラ(ピンクパペット)、アネモネ、かすみ草、[葉]旭ハラン

 以前から、小さな願いをひとつ持っています。
 この世を去るまでに、本を一冊書くことです。

 別に「○○賞をとりたい」とか、「△△賞を受賞したい」とか、だいそれたことを考えている訳ではありません。
 心にあるものを形あるものとして残したいという、ただそれだけです。
 「じゃー、心に何があるんだ」、「何を書きたいんだ」と問われるでしょうが、今の小生には、これといったものはありません。それでも、いつの日にか一冊の本として残したいという思いを、強く抱いています。

 「人は誰でも、1冊の本は書ける」と言う人がいます。
 出版に値するレベルなのか、本として売れるかどうか、といったことでは、もちろんありません。
 順風満帆な人生というものは、なかなか無いと思います。誰しも大なり小なり、波瀾万丈な人生を歩んでいるものと思います。そのような歩みを、自らの手で「自分史」として書き記す、あるいはアレンジしながら「私小説」風に仕上げる、そのような意味合いだと理解しています。
 確かに現代は、「自費出版」ブームだと聞いたことがあります。

 という小生も、本といえる代物ではありませんが、以前、小冊子を作ったことがあります。
 26歳の時です。
 結婚式の記念品の一つとして、当日、出席された方々にその冊子をお配りしました。家内との出会い、結婚にいたる歩み、そして結婚への思いなどを、心の赴くままに綴りました。改めて読み直すと、稚拙で肩肘(かたひじ)が張った文章になっていて、本当に恥ずかしい限りなのですが、若きしの我が身を振り返り、何か懐かしい気もします。

 
 小冊子の題は、「ぶどうの枝」です。
 題字は、職場の隣の席に座っていた女性の方に、揮毫(きごう)していただきました。この方は、その当時から北陸書道院で活躍されており、70歳を過ぎられた現在も、書道・茶道の分野などで頑張っておられます。
 ただ、余りにも達筆過ぎたのか、「ぶどうの枝(えだ)」を「ぶどうの杖(つえ)」と呼ぶ人が多く、苦笑したものです。

  印刷と製本は、地元の北日本印刷株式会社さんにお願いしました。限られた予算にもかかわらず、立派な小冊子に仕上げてくださいました。
 表紙と裏表紙は、朱色の上品な和紙。紫色の和綴じ(とじ)で、ひと針ひと針しっかり留められていました。約35年前のその当時、県内には和綴じを出来る職人がほとんどおらず、苦労したと聞きました。

 
 わずか30ページ足らずの小冊子。200冊製本しました。
 「お前の本など、誰が読むのか」と言われそうですが、大変ありがたいことに多くの方々に喜んでいただき、初め作成した200冊は、数カ月でなくなりました。改めて100冊増刷しましたが、それらの本も数冊しか、手元には残っていません。
 これらは、子供たちへの贈物のつもりで残しています。(おそらく子供たちは、読んでくれることはないでしょうが……)

 女優・木村多江さんが、朗読を続けている人気の番組あります。
 「Sound Library ~ 世界にひとつだけの本」です。FMとやまで、日曜日の夜に放送されています。
 一人の女性の日記風の物語を、木村多江さんがぬくもりのある静かな声で朗読している、この番組。バックに流れる音楽とうまくマッチしていて、聴いているだけで癒されます。なぜか、主人公の月原加奈子と木村多江さんが重なって聴こえてきます。

 月原加奈子は、旅行会社勤務の38歳、OL。日常の人々との関わりの中で起きる、喜びや悲しみ、ちょっとした気づき。そのような心の機微を、たったひとつしかない人生として丁寧に描かれています。
 いつも「世界にひとつだけの本」の世界に、引き込まれています。

 
 人に読んでもらおうとは思っていません。
 でも、自己満足かもしれませんが、いつの日にか形あるものとして、一冊の本を書き上げたいと願っています。
 どこにもない「世界にひとつだけの本」として……。(O)

鳥インフルエンザの防止対策に、ご協力ください。

2017.01.17

[花]胡蝶蘭(ピンク)、ルビナス、ラナンキュラス(るペラピンク)、スィートピー(さくら)、[葉]メキシカンオレンジ、ドラセナ

[花]胡蝶蘭(ピンク)、ルビナス、ラナンキュラス(るペラピンク)、スィートピー(さくら)、[葉]メキシカンオレンジ、ドラセナ

 全国各地で、鳥インフルエンザの発生が確認されています。
 昨年11月に青森県で国内初となる発生が確認された後、北海道や宮崎県、熊本県、愛知県、岐阜県などで発生し、昨年11月末には隣の新潟県でも発生が確認されています。

 全国的な鳥インフルエンザの感染拡大が懸念されていますが、農協会館では拡大防止対策として、消毒マット(グレー色)を2枚設置しました。
 消毒マットの設置は、全農富山県本部からの依頼にもとづくもので、昨年12月15日から正面玄関入口と南側入口(NHK側)の2カ所に置いています。

 消毒マットには、除菌剤が塗布してありますので、農協会館に入館される際には、必ず靴底を軽くトントンと消毒マットに触れてから入ってください。
 消毒マットは、鳥インフルエンザの清浄化が確認されるまで、設置します。(O)

看板をあげて、協力をお願いしています。

看板をあげて、協力をお願いしています。

グレーの消毒マットに、除菌剤を塗布しています。入館の際には、必ず靴底が触れるようにしてください。

グレーの消毒マットに、除菌剤を塗布しています。入館の際には、必ず靴底が触れるようにしてください。

 

 

内側に沁みいる喜び

2017.01.10

29-1-10 明けまして、おめでとうございます。
 健やかに、新しい年をお迎えのことと思います。今年も、よろしくお願いします。

 昨年を振り返りますと、何より耐震改修工事が無事終了することが出来、ホッとしています。足掛け3年、24カ月と長期にわたる改修工事でしたが、大きな事故やトラブルが発生することもなく、計画どおり終えることが出来ました。
 多くの方から「正面玄関が明るく、綺麗になった」「開放的で、気持ちがいい」などと、嬉しいお褒めの言葉をいただき、こちらも嬉しくなります。
 改めて、多くの方々に感謝申しあげます。

 

 個人的なことで恐縮ですが、年間100冊の本を読むことを目標としています。
 昨年はというと、残念ながら68冊止まりでした。一昨年の85冊に比べると、大幅なダウンです。読書ノートをみると、夏場の6月から8月に掛けて、明らかにペースが落ちています。言い訳がましいのですが、この時期、全くといっていいほど、土、日曜日の休みがありませんでした。水田の草刈り、そして生産組合長として、イノシシ対策や山道刈り、秋道刈りなどに追われ、多忙を極めた時期であったことは、事実です。
 夏場のペースダウンが、最後まで影響したようです。
 週2冊で、目標の数字に達成するのですが、現実は甘くないようです。

 心に留まった本としては、徳永進著「野の花 あったか話」(岩波書店)、同「野の花 ホスピスだより」(新潮文庫)、細谷亮太・大下大圓共著「『いのち』の重み」(佼成出版社)などがあげられます。
 昨年、山形を旅行した関係で、作家・藤沢周平さんの本を6冊読ませてもらいました。
 いつの間にか「周平モード」に引き込まれるとともに、一人娘である遠藤展子さんの著書「父・藤沢周平との暮らし」(新潮文庫)も繙き、子供の目から見た父・藤沢周平さんの生き様にも触れることが出来ました。
 併せて、米沢藩に興味が湧き、破綻寸前の藩財政を救ったことで有名な上杉鷹山を扱った「漆の実のみのる国」(文春文庫)や、延沢恒夫著「米沢の殉教者とその余影」なども読みました。
 特に「米沢の殉教者とその余影」は、350年以上も前に、上杉家の城下町である米沢の地で、50数名のキリシタンが信仰ゆえに処刑場で殉教した本で、長崎や雲仙、京都などではなく、東北の地に殉教者がいたことに驚くとともに、幼子から老人まで喜んで死を受け容れる姿に、言葉に表せない感動を受けました。

  美術館や博物館については、昨年、10数回訪ねることが出来ました。
 例年より少ない回数となりましたが、好きな向井潤吉アトリエ館に2回、昨年11月に新しくオープンした「すみだ北斎美術館」にも行くことが出来ました。ただ、「北斎美術館」については、開館間際に訪ねたせいか、浮世絵ブームの影響なのか、ものすごい人でゆっくり鑑賞することが出来ず、とても残念でした。

 昨年、一番印象に残った展示会は、石川県立美術館で開催された「日本伝統工芸展」です。毎年5月に高岡市美術館で開かれる「日本伝統工芸展富山展」が好きで、欠かさず足を運んでいますが、石川県の伝統工芸展は規模も、展示内容も数段上でした。
 NHK・Eテレ「日曜美術館」で紹介されていた、神奈川県・本間昇氏の日本工芸新人賞を受けた「神代桂菱紋重糸目筋箱」や、沖縄県・城間栄順氏の日本工芸賞を受賞した琉球紅型染着物「彩海」など、約350点にも及ぶ、日本伝統工芸の粋を集めた作品を間近に鑑賞することが出来、まさに至福の時となりました。

 もう新しい年がスタートして、10日余りが過ぎました。
 先日、集落の初寄会(はつよりあい)があり、忙しかった生産組合長も無事新しい方へ引き継ぐことが出来ました。今年は、少しは時間の余裕が出来るかナーと思っています。

  正月早々、柴田よしき著「さまよえる古道具屋の物語」(新潮社)、白洲正子・牧山桂子共著「白洲正子のおしゃれ 心を磨く88の言葉」(新潮社)、重松清著「その日のまえに」(文春文庫)を読み終えました。 重松清さんの「その日のまえに」については、既に読まれた方もおられると思いますが、「その日」、つまり「死」を扱った本で、最後の三連作を読む頃にはもう涙、涙で、グジュグジュになりました。実にいい本でした。

 重松清さんが、どこかで書いていましたが、

 「外に向かって弾けるような喜びではなく、内側に静かに沁みていく喜び」

 そのような喜びをいっぱい心に蓄える、そんな年にしたいものです。(O)

耐震改修工事が完成しました。

2016.12.27

[花]アマリリス(赤)、カーネーション(ドンペドロ)、ダリア(ガーネット)、ゆり(エマニー)、スターチス(ピンク)、[葉]ドラセラ(赤)、レザーファン、[枝]青文字

[花]アマリリス(赤)、カーネーション(ドンペドロ)、ダリア(ガーネット)、ゆり(エマニー)、スターチス(ピンク)、[葉]ドラセラ(赤)、レザーファン、[枝]青文字

 農協会館の耐震改修工事が完成し、修祓式が12月26日に関係者約40人が出席して行われました。

 農協会館は、1980年3月に完成しましたが、建築基準法にもとづく耐震基準を満たしていなかったため、耐震診断を実施したうえで、耐震改修工事を行ったものです。2014年12月から工事を着工し、足掛け3年、24カ月の工事期間を経て、耐震ブレス68台、耐震補強増設壁4壁を新たに設けました。
 また、空調設備が老朽化していたため、耐震改修工事と併せて、空調の更新も実施しました。

 1階エントランスホールで神事が行われ、会館理事長の伊藤富山県農協中央会長や県農林水産部の伍嶋部長らが玉串を奉げ、設計監理した全農富山県本部、施工者の株式会社竹中工務店に感謝状を贈り、関係者がテープカットをして、完成を祝いました。

 工事期間中、何かとご迷惑とご不便をお掛けしたことをお詫び申しあげるとともに、多くの面でご協力いただいたことを改めて感謝申しあげます。
 今回の耐震改修工事を期に、一層皆様に愛される農協会館となるよう努力して所存です。今後ともご愛顧のほど、よろしくお願い申しあげます。(O)

耐震改修工事の完成を祝い、1階エントランスホールで行われた修祓式。

耐震改修工事の完成を祝い、1階エントランスホールで行われた修祓式。

いい風を求めて…

2016.12.24

クリスマスです。 [花]ダリア(かまくら)、バラ(ミルナ)、ブバルディア(ダイヤモンドボルドー)、トルコききょう(ハピネスホワイト)、[葉]丸葉ルスカス、ブルーアイス、[枝]サンキライ、サンゴ水木

クリスマスです。
[花]ダリア(かまくら)、バラ(ミルナ)、ブバルディア(ダイヤモンドボルドー)、トルコききょう(ハピネスホワイト)、[葉]丸葉ルスカス、ブルーアイス、[枝]サンキライ、サンゴ水木

 久々のブログとなりました。
 長い間、お休みをいただいたこと。お許しください。
 今後も、毎週とはいえませんが、時々書かせてもらうつもりです。

 10月中旬に、京都の奥座敷、大原へ行ってきました。
 デューク・エイセスの歌、「京都 大原三千院 恋に疲れた女がひとり・・・」でも有名な大原。京都が好きで、ほぼ毎年、あちこちの名所旧跡を訪ねていますが、京都北部に位置する大原へは、なかなか足が運べませんでした。
 今回、長年の願いが叶って、やっと大原の里を巡ることが出来ました。

 三千院を中心に勝林院、宝泉院、実光院、来迎院など、静かな山里にたたずむ寺院。
 いずれの寺院も、苔の庭園がひときわ美しく、落ち着いた風情が漂っていました。紅葉シーズンが始まる前に訪ねたせいか、思いのほか観光客が少なく、静寂な空間を満喫できました。

 三千院の中でも、見事なまでに日本庭園に調和している往生極楽院。
 縁側から眺めた庭園が美しい宝泉院。
 そして、久し振りに聴いた水琴窟の調べ。

 時間に追われることなく、のんびりと過ごした半日は、何よりの得難いものとなりました。

 今回の旅で一番心を捉えたのは、声明(しょうみょう)でした。
 豊かな自然が残っている大原、数々の貴重な国宝や重要文化財。そのいずれも素晴らしいものでしたが、なぜか心の琴線に一番触れたのは、どこからとなく聞こえてきた声明でした。

 声明は、経典に節(ふし)をつけた仏教音楽のひとつ。
 三千院でも、勝林院でも、堂内に静かに流れていました。仏教音楽に造詣があるわけではありませんが、以前から声明には関心がありました。グレゴリア聖歌が好きで、ときどき聴いていますが、声明とグレゴリア聖歌とは、不思議と何か相通じるものを感じます。

 高校時代に、禅寺に2回籠もったことがあります。
 高校2年生の夏休みに、約1週間。2回目は、東京の大学へ進学が決まった高校3年生の春休みに、約2週間。
 お世話になった禅寺は、高岡市太田にある臨済宗国泰寺です。当時の管長は、達磨絵などで著名な故・稲葉心田(しんでん)師。入山する時と下山する時に、寺院の奥にある心田師の自室までご挨拶に伺いましたが、とても柔和で、豪放磊落な印象を受けました。

 現在はどうか知りませんが、その当時は事前に連絡すれば、入山が許されました。
 禅寺での生活は、午前5時前に起床、読経、座禅、清掃、朝食、作務(さむ)、昼食、作務、座禅、写経、夕食、読経、座禅、就寝などの繰り返し。テレビやラジオ、新聞などあるはずもなく、戒律が厳しく、食事や風呂など、一つひとつにすべて定まった作法があり、食事も、当然ながら粗食そのものでした。

 浄土真宗の家に生まれ、臨済宗とは全く無縁な中で育ちましたが、何かを求めて、禅寺の門をたたきました。今の小生には、当時のようなひたむきさや純真な思いは、もうありません。入山した2回とも、謹慎処分を受けた市内の高校生がいて、無期限で生活指導を受けていましたが、すぐに親しくなりました。

 「般若心経」も2~3日で覚え、体に沁みついたのか、今でも少しは諳んじることが出来ます。初め苦しかった座禅も、いつのまにか自然体で組めるようになりました。寺院には、ピーンと張り詰めた雰囲気が漂っていましたが、とても心地よく感じられました。

 一日に幾度となく、僧侶たちと唱えた般若心経。
 その読経の響きが、三千院で聞いた声明の響きへと繋がったのかもしれません。

 

 今年は、長野県から始まり、山形県、東北一周、京都府、沖縄県と旅行しました。
 旅をするということは、いい風に吹かれることと思っています。
 今いる所から離れて、違った風が吹くところに我が身を置く。いい風に吹かれると、少しは人に優しくなれる気がします。だから、いい風に吹かれるために、意識していい風が吹かれるようなところへ、我が身と我が心を意図的に持っていく。
 そして、新たな風の吹くところで、小さな発見や出会いをする。
 今回の声明のように……。

 いい風を求めて、来年も全国各地を旅したいと思っています。(O)

日々是好日

2016.11.01

[花]すかしゆり(フレミントン)、カラー(ゴールドフィーバー)、ブルースター(エンジェル)、ガーベラ(サンディー)、[葉]木苺

[花]すかしゆり(フレミントン)、カラー(ゴールドフィーバー)、ブルースター(エンジェル)、ガーベラ(サンディー)、[葉]木苺

 母の認知症が、少しずつ進んでいます。

 父を亡くして、ひとり暮らしを始めてから、もう13年。
 「風邪ひとつ、ひいたことがない」が口ぐせで、健康が何よりの自慢だった母。
 土仕事が生きがいで、水田を守り、いろいろな野菜づくりを楽しみながら、畑仕事に勤しんできた母。

 そのような母が、今年に入って、「軽い認知症」と診断されました。
 昨年の暮れに腰を痛め、歩行がやや困難になってからというもの、少しずつ物忘れがひどくなり、時々辻褄(つじつま)の合わないことを話します。物忘れについては、以前から兆候が見られましたが、80歳代半ばということもあり、年齢的に当然の成り行きと思っていました。
 今回初めて、医師から「認知症」として診断され、認知症の薬が処方される段になると、「ついに来たか」という複雑な思いになるとともに、ショックに近いものを受けました。

 腰を痛めたといっても、入院したわけでも、手術を受けたわけでもありません。
 整形外科の医師からは、湿布薬と痛止めの薬を処方されただけで、一時はトイレなど日常の生活に支障を来たす時期もありましたが、今は元気を取り戻しています。介護の杖(つえ)は離せなくなりましたが、ゆっくりと歩いています。
 春先には、大好きな畑仕事に精を出せるようになり、例年どおりトマトやきゅうり、なすなど、多くの夏野菜を植え、自然の恵みを満喫していました。
 先日も、玉ねぎを植えるため、自ら鍬で畝(うね)を打ち、100本の苗を植えました。

 初めの頃は、1日に何回も同じ質問をされ、幾度となく同じ昔話を聞かされ、イライラして、「ばあちゃん、さっきから同じ話ばかりしているよ」と、つい大きな声を出してしまう時もありました。感情的に反応してしまった後には、決まって自分の愛の無さ、人間として器の小ささに、自己嫌悪に陥ったものです。
 一方では、あれだけしっかり者だった母親の変わりように驚くとともに、徐々に手の届かない「遠い人」になりつつある母を受入れたくないという思いも、心の隅にあったようです。

 最近、A市で仕事を終えた後、ほぼ毎日B市にいる母を訪ねるようにしています。
 寒さとともに畑仕事が少なくなり、近所のおばあちゃんたちと会話をする機会が減るためです。
 滞在時間にして、わずか30分程度ですが、母の話し相手になるとともに健康状態の確認もかねて、足しげく通っています。ついでに、台所の後片付けやゴミの分別、居間の整理整頓などもしてきます。
 買い物に行けなくなったため、冷蔵庫の中を確認しながら、食べ物も届けています。

 
 この頃になってようやく、母との「間合い」の取り方が分かってきた気がします。
 以前にも増して、同じことを何度も話しており、母に頼んだことは見事に忘れていますが、こちらがイラつくことは少なくなりました。少しは、余裕をもって母に接することができるようになったと、自分では思っています。
 不思議なものです。
 こちらに少しでも心の余裕が出て来ると、母の表情もなぜか和らいできた気がします。
 まるで、心を映す鏡のようです。
 家内も、何かと協力してくれており、ありがたいことです。

 「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」という禅語があります。
 その日その日が最上であり、最高であり、かけがえのない一日といった意味でしょうか?
 残念ながら、一日々々遠くなりつつある母。
 母が、少しでもかけがえのない良い日々を送ることができるように、微力ながらしっかり支えていこうと思っています。(O)

 PS.先日、朝日新聞を読んでいると心にとまる文章がありました。少し長いですが、紹介させていただきます。

 「生きてていいんだ」

 
 私が精神の病気になったのは16歳の時です。
 病院に入院し、対人関係に苦しみ、社会から取り残されたような気がしました。
 やっと退院しても、自分ほど不幸な人はいないと本気で思いました。
 でも、最近になって、世界中の人がなにかしら苦しみや悲しみを抱えていると悟り、自分が恥ずかしくなりました。
 幸せな人と不幸な人は別の人だと思っていたのが、実は同じ人のなかに幸せと不幸が一緒に重なってあるのだと、気付きました。
 まわりの世界のことを知らなかったのが、病院や施設でいろんな人がいることを知るなかで、だんだんそれがわかるようになりました。
 そして、自分はここにいていいんだ、生きてていいんだと気付いた時、重い荷物のようなものをやっとおろせました。
 自分が不幸と思うのは「今」だから。
 10年後には忘れているかもしれない。
 幸せな人をうらやむのは、その人の影の部分を知らないから。
 私は30年近くかけて、長い長い闇から少しだけ抜け出せたような気がしています。

                    朝日新聞 コラム「男のひととき」
                             東京都  男性(45歳) 清掃業

[花]ダリア(サングリア)、あじさい(マジカルルビー)、ガーベラ(ファンタ)、カーネーション(エルメスオレンジ)、[葉]丸葉ユーカリ、モンステラ、[枝]ドラゴン柳、かぼちゃ(白) 平成28年10月3週分

[花]ダリア(サングリア)、あじさい(マジカルルビー)、ガーベラ(ファンタ)、カーネーション(エルメスオレンジ)、[葉]丸葉ユーカリ、モンステラ、[枝]ドラゴン柳、かぼちゃ(白) 平成28年10月5週分

 

[花]りんどう(夢うらら)、トルコききょう(コサージュイエロー)アンスリューム(グリーン)、[葉]シンフォリカルポス原種、ドラセナ、コンパクター  平成28年10月第5週分

[花]りんどう(夢うらら)、トルコききょう(コサージュイエロー)アンスリューム(グリーン)、[葉]シンフォリカルポス原種、ドラセナ、コンパクター  平成28年10月第4週分

1階エントランスホールのLED化工事が始まりました。

2016.10.11

[花]バラ(コーラルハート)、スプレーバラ(クラシバヤ)、ケイトウ、[葉]アンスの葉(ハート)、ゴットセファナ、[枝]銀香梅

[花]バラ(コーラルハート)、スプレーバラ(クラシバヤ)、ケイトウ、[葉]アンスの葉(ハート)、ゴットセファナ、[枝]銀香梅

 10月8日から、いよいよ1階エントランスホールの天井改修工事が始まりました。

 1階エントランスホールの照明は、今まで普通の蛍光灯を使用していましたが、耐震改修工事にあわせて、すべてLED化することになりました。

 天井修繕工事は、次の3期に分けて実施します。
  1.エントランスホール北側(農協観光富山支店側)
    10月8日(土)~11月6日(日)
  2.エントランスホール南側(農協会館事務局側)
    11月 5日(土)~12月4日(日)
  3.エレベーターホール前
    10月29日(土)~12月4日(日)

 工事の期間中、照明場所の変更や仮設照明の設置などを予定しています。

 正面玄関を長期にわたって閉鎖しているうえに、照明関係でも何かとご迷惑をお掛けすることになりますが、ご理解ご協力くださるようお願い申しあげます。

 正面玄関の耐震改修工事、そしてエントランスホールの照明器具のLED化と、農協会館の玄関は新しい顔に変わろうとしています。

 12月下旬の完成を楽しみにお待ちください。(O)

 

七十八歳の同窓会

2016.10.05

[花]トルコききょう(パティオラベンダー)、スプレーカーネーション(ロリポップバイオレット)、ガーベラ(ピンク)、[葉]細葉ルスカス、レモンリーフ

[花]トルコききょう(パティオラベンダー)、スプレーカーネーション(ロリポップバイオレット)、ガーベラ(ピンク)、[葉]細葉ルスカス、レモンリーフ

 先日、叔母から電話が入りました。
 「小学校の同窓会があるので、久しぶりに帰省します。○○ちゃん、よろしくネ」

 もうじき還暦を迎える初老の男をつかまえて、もう「○○ちゃん」はないと思いますが、叔父、伯母たちからは、未だに「○○ちゃん」で通っています。

 大阪に嫁ぎ、現在は和歌山県で暮らしている叔母。
 今年で、78歳になったとのこと。
 近年大病を患って入退院を繰り返し、随分心配しましたが、すっかり元気を取り戻したようです。関西方面と遠距離であることと、子育てなど、日々の生活に追われたこともあり、今までほとんど欠席してきたという同窓会。「今回が最後の同窓会」ということで、やや健康面に不安を抱えつつも、出席を決断したようです。
 「××さんに、久しぶりに会える。△△さんに会えることを楽しみにしている」と、明るい声で話す叔母。楽しげな声が電話口から響いてきますが、誰一人として知っている人はいません。
 余程楽しみにしているのでしょう。

 78歳で、小学校の同窓会。
 聞くだけで、すごいことです。
 叔母の同級生が何人いたのか、知る由もありません。当然、亡くなられた方もおられるはず。
 同窓会を開くだけのクラスメートが生きておられること、そして同窓会を開こうという思いを抱かせる学級であったこと。何よりも高齢にもかかわらず、世話をしている幹事さんもすごいと思います。
 何といっても、叔母たちが小学校を卒業して、65年以上も過ぎているわけですから。

 
 叔母が卒業した小学校は、小生にとっても母校になります。
 祖父も祖母も、父、母、伯母、伯父たちも、そして亡き姉も、この小学校の卒業生です。
 小学校の統廃合にともない、木造校舎は半世紀以上も前に壊され、今は跡形もなくなっています。グランドも、以前は地域運動会や盆踊りなどに使われましたが、過疎化や少子化の影響で、運動会自体開くことが出来なくなり、5~6年前から荒れ放題と聞いています。

 小生は、この小学校で男子6名、女子11名とともに学びました。
 わずか18人の学級でしたが、とても仲が良く、まとまりのあるクラスでした。熱心で、大変良い先生方に恵まれ、想い出の多い日々を送れたと個人的に思っています。
 同級生は皆、県内で生活しており、時々顔を合わす人もいます。

 しかしながら、このメンバーとは、一度も同窓会を開くことなく、今日まで来ています。
 本来ならば、小生が幹事役を担うべきだったのかナーと内心考えています。成績は、際立つ方ではありませんでしたが、お調子者で、以前からこういう時の旗振りはお前だという空気を感じていました。

 受け持っていただいた先生は、3人おられました。
 同窓会を開かないうちに、お一人は既に亡くなられ、もう一人の先生は認知症がかなり進んでいると聞いており、一番親しみを覚えた5年生の時の先生も、先月初め亡くなられてしまいました。
 たとえ同窓会を開いたとしても、もうお呼びできる先生はおられません。

 中学校、高校を含めても、俗にいう同窓会なるものに出席したことがありません。
 どうも、大人数の同窓会は肌に合わないようです。
 それでも、5~6年に1回開催される中学時代のブラスバンドの同窓会、年2回開いている高校時代の悪仲間の「六人会」には、「永久幹事」として出席しています。気心の知れた仲間たちとの会話、近況報告、ちょっとしたことですが、とても楽しいひとときとなっています。

 
 和歌山の叔母は、10月15日に帰省してきます。
 少しでも良き思い出を残してもらえるようにと、プランを練っています(O)

耐震工事、約96%終了しました。

2016.09.27

[花]鉄砲ゆり、トルコききょう(ハピネスホワイト)、[枝]花ナス、[葉]丸葉ルスカス、スマイラックス

[花]鉄砲ゆり、トルコききょう(ハピネスホワイト)、[枝]花ナス、[葉]丸葉ルスカス、スマイラックス

 9月24日、耐震改修工事として、最後となる耐震ブレスが農協会館に搬入されました。

 今回の搬入された耐震ブレスは、今までの中では最大級のもので、正面玄関の風除室に組立てられます。1階は、他の階よりも天井の高さが高いため、耐震ブレスも従来のものより大きくなったわけです。
 この耐震ブレスが完成すると、会館内部に68台の耐震ブレスが設置されたことになります。

 正面玄関は、今後玄関サッシの取付けや天井の復旧などを進め、会館の顔として新しくリニューアルします。正面玄関の入口は、今まで左右2カ所にありましたが、完成後は中央部の1カ所だけになります。

 耐震工事は現在、2階と1階で進められています。
 2階フロアーは、耐震壁や耐震ブレスの主だった作業は終了し、化粧パネルや天井のボード貼りなど、細かな仕上げ作業に入っています。完成は、11月上旬を予定しています。
 1階フロアーは、鉄骨ブレスの搬入がすべて終了し、今後はシャッターの取付け作業などを進め、工事終了は12月下旬を予定しています。

 9月末現在、耐震工事の進捗率は約96%となります。
 10月上旬からは、新たに1階エントランスの照明関係の工事に入ります。
 色々とご迷惑をお掛けしますが、今後ともご協力ください。(O)

 PS.写真をクリックすると、大きく見ることができます。

大型レッカーで耐震ブレスを吊上げ、正面玄関の仮設ステージの台車にゆっくり卸します。(写真は、すべて㈱竹中工務店からの提供です)

大型レッカーで耐震ブレスを吊上げ、正面玄関の仮設ステージの台車にゆっくり卸します。(写真は、すべて㈱竹中工務店からの提供です)

台車に載せた耐震ブレスを正面玄関の入口から慎重に搬入します。

台車に載せた耐震ブレスを正面玄関の入口から慎重に搬入します。

正面玄関の風除室の中で、耐震ブレスを吊上げ、所定の位置に固定します。

正面玄関の風除室の中で、耐震ブレスを吊上げ、所定の位置に固定します。

松山善三さん

2016.09.20

 

[花]ゆり(タランゴ)、ケイトウ(サカタプライド)、てまり草、[枝]われもこう(星生の泉)、ヒペリカム(紅葉)

[花]ゆり(タランゴ)、ケイトウ(サカタプライド)、てまり草、[枝]われもこう(星生の泉)、ヒペリカム(紅葉)

 映画監督で脚本家の松山善三さんが、亡くなられました。
 91歳で、老衰だったそうです。

 「二十四の瞳」に主演した俳優の高峰秀子さんと昭和30年に結婚。
 おしどり夫婦として知られていたご夫妻。平成22年に高峰さんが旅立って、早や6年。養女で作家の斉藤明美さんと暮らしておられることは知っていましたが、その後どうされているのかと、ずっと気になっていました。

 訃報に接した時、たまたま高峰秀子さんの著書「旅日記 ヨーロッパ二人三脚」(ちくま文庫)を読んでいました。
 この本は、昭和33年にご夫妻がヨーロッパを旅した際の旅行記。約7カ月間にも及ぶフランスやドイツ、スペインなどを旅行した、水入らずの旅日記です。食事や散歩、買い物など、心から楽しむお二人。のびのびした様子が、とても微笑ましく感じられます。
 松山善三さんという「生涯の伴侶」を得た高峰秀子さんの幸せの証が、いきいきと伝わって来ていただけに、訃報を聞いた時は感慨もひとしおでした。

 

 松山善三さん。
 名前を聞いても、もうピンと来る人は少ないと思います。
 ろうあ者同士の夫婦を描いたデビュー作「名もなく貧しく美しく」など、映画監督として数多くの話題作を手掛けておられますが、小生が観ていた映画は、「典子は、今」だけでした。

 この映画は、実在のサリドマイド病患者・辻典子さんの半生を描いたものです。
 サリドマイド剤の副作用で、生まれつき両腕を持たない辻典子さん自らが主演し、明るく生きる姿を描いて大ヒット。昭和56年に放映され、手の代わりに両足を使って日々の生活をしっかりと生き抜く姿は、その当時、大きな反響を呼びました。
 社会人になって間もない頃に、この映画を観て、大変感動したことを覚えています。

 知りませんでしたが、辻典子さんはその後、熊本市役所に就職され、結婚されて「白井のり子」となられています。2人のお子さんを産み、育て、平成18年3月末に熊本市役所を退職され、半生記をまとめ上げ、「典子44歳 今、伝えたい」(光文社)として、出版されています。
 白井のり子さんが、あのような不自由な体で、どのように勤務され、どのように子供さんを育てられたのか知りたくて、あちこちの書店やブックオフなどで探しましたが、残念ながらこの本は見つかりませんでした。近いうちに買い求めて、読むつもりです。

 

 小学校、中学校時代の同級生が、先日不慮の死を遂げました。
 30歳前後で障害のある身となり、長い間、苦しんでいる姿を傍らで見てきただけに、いまだに心の整理がつかないでいます。
 彼の生涯は、何だったのかな……と、時々思い返しています。

 生きとし生けるものは、いつの日か死を迎えます。
 高峰秀子さんが、そうであったように。
 そして、松山善三さんもまたそうであったように、「凛」とした生きかた。
 そのような歩みをもって、静かに生涯を閉じられればと願っています。(O)

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