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赤ちゃんの泣き声が聞こえる美術館

2015.05.12

(花)粟、ゆり、デンファレ、クレマチス、スプレーカーネーション(葉物)ヒバ、ドラセナ

(花)粟、ゆり、デンファレ、クレマチス、スプレーカーネーション(葉物)ヒバ、ドラセナ

 ゴールデンウイークに、ある美術館へ行って来ました。
 「世界一かわいい美術館」です。
 今年3月にオープンした、この美術館。地方紙で、初めてその存在を知り、不思議なネーミングといい、ずっと気にかかっていました。

  あいの風鉄道の水橋駅前にあるという「世界一かわいい美術館」。
 ナビを頼りにセットした目的地に着いても、それらしき建物が見当たりません。しばらく探してもわからず、TELしてみると、なんとすぐ傍の建物が美術館。
 古民家を移築して造ったという、平屋の美術館。一見すると、ふつうの住宅にしか見えません。正面に掛けられた看板もやや小さく、分かりづらいもの。でも、この遠慮がちな看板こそが、この美術館に相応しいのかもしれません。

 美術館に足を踏み入れて、ビックリ。
 なぜか赤ちゃんの泣き声が、館内に響き渡っています。

 静寂、静謐をもっとも大切にするはずの美術館。他の美術館では、まず考えられません。
 そんなに多くの美術館に足を運んだわけではありませんが、赤ちゃんの泣き声はもちろんのこと、赤ちゃん連れの方を拝見したことも、一度もありません。

  しかしながら、作品を鑑賞しはじめるとともに、そういったことが全く気にならなくなり、むしろ赤ちゃんの泣き声がなぜか会場にマッチしているような、不思議な感覚にさせられました。

  とにかく、この美術館はすごい。
 建物自体は、確かに「世界一」かわいいものかもしれませんが、その展示物の充実ぶりは驚きそのものです。

  ある篤志家が、個人で蒐集(しゅうしゅう)してきた美術品、工芸品等を、多くの人に観てもらいたいと、美術館を新設したとのこと。観覧料は、無料です。
 現在は、企画として「文化勲章受章者作品展」を開催中。
 東山魁夷、奥村土牛、平山郁夫、杉山寧、奥田元宋、小林古径、小倉遊亀など、錚々たる作家の作品群です。約100点の展示作品ですが、ただただ圧倒されました。
 素人考えですが、本来ならば、これらは山種美術館や根津美術館クラスの美術館に展示されるべき作品だと思います。

  通常の美術館なら、作品と作品の間に一定の距離と空間があり、「間」を大切にしています。照明にもさまざまな工夫が施され、陳列の順番ひとつとっても、かなり用意周到な準備のうえで、配置されます。

  失礼ながら、この美術館には余りそれらのものがありません。
 知人宅の広間と廊下で、絵画を鑑賞しているような雰囲気があります。
 近代的な美術館のように整った環境で作品に触れるのではなく、作品そのものと1対1で対峙して鑑賞するスタイルが、この美術館の特徴といえます。
 信じられないほど、間近で一級品を鑑賞することができます。赤ちゃんの泣き声に代表されるように、変に肩肘を張ることもなく、家庭的な雰囲気の中でゆっくりと鑑賞できる良さがある気がします。
 これらは、他に類がない素晴らしさと思います。

  川合玉堂の「彩雨」は、以前から好きな絵です。
 絵はがきを持っていましたが、直接鑑賞する機会はありませんでした。今回、まったく予期しないままに、突如目の前に現物が現れ、驚きとともに深い感激を受けました。
 「元宋の紅」として有名な奥田元宋さん。大好きな作家の一人です。いつもの紅を基調とした晩秋の風景画ではなく、「水仙」という気風の違った作品に接し、新鮮なイメージを受けました。

  一番感動を受けたのは、東山魁夷の「峰陽」です。
 つたない私の言葉では、とても十分に表現することができません。
 もしよろしければ、ご自分の目で鑑賞してみてください。(O)

窓越しに見える新緑の輝き

2015.04.28

(枝)満作(花)オーニソガラム、カーネーション、スプレーカーネーション、トルコききょう(葉物)ナルコラン

(枝)満作(花)オーニソガラム、カーネーション、スプレーカーネーション、トルコききょう(葉物)ナルコラン

 新緑が、目に優しい季節となりました。

  沙羅双樹(さらそうじゅ)が、日ごとに新緑の輝きを増しています。
 事務所から窓越しに見える沙羅双樹。
 小さな庭の中央に、5、6本かためて植えられています。
 隣のビルが、道路を隔てて近くに建てられているため、事務所がある1階からは、自然の風景を楽しむことが出来ません。青空はもちろんのこと、残念ながら四季の移ろいを感じることもあまり出来ません。
 でも、デスクから見える沙羅双樹の木々をとおして、自然の歩みを味わっています。
 限られた、わずかな空間ですが、1年を通じて美しく変化してくれ、仕事の合間に心癒されています。

 この沙羅双樹の木々。
 「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす 奢れる者も久しからず……」と、平家物語の冒頭に登場し、あまりにも有名です。
 新緑のこの時期。若葉がゆたかに満ちあふれ、淡い緑色から深い緑へと彩りを増しています。白い可憐な花が咲きそろう5月。これからが楽しみです。

 目には青葉 山ほととぎす 初鰹

 ちょうど、この時期を詠った句なのでしょうか。
 江戸中期の俳人・山口素堂(そどう)の作とあります。
 「目にはまぶしく輝く木々の新緑が映り、耳には山ほととぎすの鳴き声が聞こえて、口では新鮮な初鰹を味わう」ことを表すそうです。「青葉」は視覚、「ほととぎす」は聴覚、「初鰹」は味覚と、それぞれで季節感を表し、季語が3つもある珍しい俳句ともあります。

 山々も、新緑が眩いばかりに映えています。
 花水木(ハナミズキ)が所どころで咲き、柔らかな色彩を見せています。白や薄いピンクの花をつける花水木。見ているだけで、なぜかホッとさせられる不思議な花です。
 芝桜も、赤、薄紫、白色の花を咲かせ、鮮やかなコントラストを見せています。この芝桜に魅せられている人も多いのでは、と思います。

 さわやかな清風が吹き、百花繚乱のこの時期。
 花を愛でる心、自然のいとなみを慈しむ感性を、大切にしたいと思います。(O)

 PS.
5月4日は、ゴールデンウイークのため、ブログを1回休ませていただきます。
次回は、5月11日の予定です。

雲外蒼天(うんがいそうてん)

2015.04.20

(花)すかしゆり、オンシジューム、バラ(葉物)ドラセラ

(花)すかしゆり、オンシジューム、バラ(葉物)ドラセラ

 ただ今、時代小説作家・高田郁さんの本にハマっています。

 高田郁という作家を知ったのは、今年2月。
 失礼ながら、郁(かおる)という漢字が読めず、女性であることがわかったのも、しばらく経ってから。

  新聞の書評で、著書「ふるさと銀河線 軌道春秋」(双葉文庫)を称賛する評論家がいて、さっそく購読。期待にたがわず、大変おもしろくて、続けて「晴れときどき涙雨」(幻冬舎文庫)を購入。以来、すっかり高田さんの文体に魅せられ、「次も」「さらに」と進み、4月に入ってから、「みをつくし料理帖」シリーズ(ハルキ文庫)全10巻にチャレンジ中。

  「みをつくし料理帖」は、
 「大坂で少女の頃に水害で両親を失い、天涯孤独の身となった18歳の女性が、江戸・神田の料理屋『つる屋』の調理場を任され、大坂と江戸の味の違いなどに戸惑いながらも、天性の味覚と負けん気で、日々研鑽を重ねていく」小説です。

  当然ながら料理を題材とした本ですので、季節に合った旬の食材や趣向を凝らした料理が、数多く登場します。「食」を通して、江戸時代の生活習慣や食文化に触れられるだけでも楽しいのですが、繰り広げられる人情話に、ついつい引き込まれてしまいます。
 そこには、山本周五郎さんや山本一力さんなど、男性作家が描く江戸とは趣(おもむき)の異なった、やさしく、温かみのある江戸が、女性目線で息づいています。

  主人公の澪(みお)は、一人の料理人として、お客さんに少しでも美味しく食べてほしい、食べることで喜んでもらいたいと、限られた食材の中で、様々な新しい料理を考案しながら料理を作り続けます。

  澪の歩みを象徴するたとえとして、たびたび「雲外蒼天(うんがいそうてん)」という言葉が、本の中で登場します。

 雲外蒼天とは、「雲外に蒼天ありという。暗雲の外に出れば、蒼穹(あおぞら)は広く、あたたかい。雲は、さまざまな障害や悩みの意。困難を乗り越え、努力して克服すれば、快い青空が望めるという意味。絶望してはいけないという激励のことば」と、ネットにあります。

  いい言葉です。
 大切に心にしまっておこうと思います。

  現在、折り返し地点を過ぎ、6巻目「心星ひとつ」まで読み進んでいます。
 今月末までには、全巻読破し、なんとかゴール出来そうです。

  はたして、ストーリーはどのように展開するのか?
 このワクワク感、高揚感がたまりません。
 まさに、私の至福の時です(O)

本間一夫さんの笑顔

2015.04.13

(花)アマリリス、アンスリューム、モカラ、スプレーカーネーション(葉物)ナルコラン、モンステラ、レザーファン

(花)アマリリス、アンスリューム、モカラ、スプレーカーネーション(葉物)ナルコラン、モンステラ、レザーファン

 一時期、点字を習っていました。
 20歳の頃だったと思います。

  朝日新聞の「点訳ボランティア養成コース、養成者募集」の記事が目に留まり、さっそく応募することに。募集人員は、約30名。毎回、多数の応募があるとのことで、申込用紙とともに受講希望を書いた作文も提出。選考の結果、何とか受講生に。

  点訳者とは、目の不自由な方のために、文章を点字に翻訳する人のこと。
 点字は、6つの点の組み合わせからなり、独特のルールにもとづき、点訳します。点訳者は、すべてのルールをマスターし、根気強く1点1点、紙に直接打って点訳します。
 現在は、「パソコン点訳」が開発され、目の不自由な方の要望にしたがい、以前よりは容易に点訳図書ができるようです。その当時は、すべてボランティアの手作業に頼らざるを得ない状況で、点訳本がかなり不足していたため、点訳奉仕者の養成が急務だったようです。

  養成講習の会場は、西新宿・高層ビルの一角にある朝日カルチャーセンター。講習会の初日に出席して、びっくり。受講生のほとんどが、女性。しかも、50代から60代が中心で、多くは時間的な余裕のありそうな方々ばっかり。

  講師は、本間一夫先生。
 この時は、本間一夫先生が日本で初めて点字図書館を創設した人で、視覚障害者のために大きな足跡を残された方であることは、全く知りませんでした。
 笑顔がとても素敵で、物腰が柔らかく、好々爺といった印象を受けました。
 講習は、週1回の半年コースだったと記憶しています。かなり通いましたが、恥ずかしながら途中で挫折し、修了書はもらえませんでした。それでも当時、点字で手紙らしきものを出していましたので、一定のレベルには達していたと思います。

  本間一夫さんの本が、岩波書店から出版されたのが昭和55年。
 「指と耳で読む-日本点字図書館と私」(岩波新書)と題された本。発刊とともに購入し、終読したことは覚えていますが、今回改めて再読しようと本棚を探しても見つかりません。
 残念ながら、書店にも並んでいませんでした。

  ネットで、本間一夫さんのことを確認すると、

 「昭和-平成時代の福祉活動家。5歳のとき失明。昭和15年自身の蔵書をもとに、日本初の点字図書館を東京にひらく。点字学習の指導や点訳者の育成につとめ、点字図書、テープ図書の貸し出し、盲人用生活器具の開発や普及につくす。87歳。北海道出身。関西学院大卒」とあります。

  いまだに、ふと本間一夫さんのことを想い出すことがあります。
 柔和そのものの笑顔が、とても懐かしく目に浮かびます。
 ただ、点訳ボランティアが中途半端に終わったことが、心に刺さった小さな棘(とげ)のように時々疼くことがあります。(O)

静かに老いてゆく愛犬との日々

2015.04.06

(花)ガーベラ、ラナンキュラス、カーネーション、スプレーカーネーション、スイートピー、マーガレット(葉物)レモンリーフ、、ブプレリューム

(花)ガーベラ、ラナンキュラス、カーネーション、スプレーカーネーション、スイートピー、マーガレット(葉物)レモンリーフ、、ブプレリューム

 家路に着き、玄関ドアを開け、真っ先にすることがあります。
 愛犬が、寝息をたてているか、確認することです。

  わが家の愛犬トーマスは、17歳。
 犬の年齢早見表によると、人間に換算して、もう84歳過ぎ。
 もうすっかり、お爺さんです。毎日、眠り続けています。信じられないほど、ひたすら眠っています。
 帰宅して、寝ているトーマスのお腹が、静かに動いているのを確認すると、正直ホッとします。

 当地に転居する際、子供たちと犬を飼う約束をしました。
 子供たちが、ペットショップへ足蹴(あしげ)く通い、選んだのが今のトーマス。柴犬なのに、なぜか名前はカタカナの「トーマス」。当時人気のあった、幼児番組「機関車トーマス」から命名したようです。

  飼い始めた頃は、小さくて両手に乗るほどの大きさ。子犬の頃は、見ているだけで、しぐさが可愛らしく、子供たちのおもちゃ代わりに。
 子供たちとの初めの約束、「犬の世話は、ちゃんとみるから……」を守ったのは、ほんの2カ月間だけ。いつの間にか、子供たちは「部活がいそがしい」「塾に行かなくてはいけない」とのたまうことに。予想どおり、可愛がるのは子供たちの役割、世話はすべて父親の務めに。朝晩、2回の散歩、食事や下の世話、そして犬小屋の掃除……。結構、やることがあります。

 エネルギーにあふれる成犬になってからは、生きる活力をもらった気がします。
 ただ、柴犬のオスのためか、成犬になってから何回咬まれたことか。遊んでいて、甘がみかと思うと、本気でガブリ。なにを考えているものやら。「誰が一番世話しているか、わかっているのか」と、本気で怒りたくなります。

 トーマスは、散歩が大好き。
 夏場、何を勘違いしたのか、空が白み始める午前4時前から、「散歩に行こう」と大きな声で吠えることも。ご近所に迷惑が掛かるので、結局、眠い目をこすりながら、散歩に行く羽目に。
 でも、トーマスとの散歩のおかげで、毎日規則正しい生活が送れ、かなりの距離を歩いた時期もありましたので、健康維持には大変役立った気がします。

  今のトーマスはといえば、目や耳はおろか臭覚もおぼつかない状態。最近は、とみに足腰が弱り、前脚で何とか立ち上がっています。それでも、相変わらず朝晩、1日2回の散歩は続けています。散歩といっても、すぐ近くの町内を回ってくるだけ。後ろ脚を、ややひきずるように歩き、ステップしているような有様。老犬がゆっくり歩く傍らで、介護しながら付き添っています。

 つらいのは、家の前の外階段。あれほど元気に駆け下り、駆け上がっていた、わずか3段の階段。今は、かなり時間を掛けて上り下りするか、時々抱えてやっています。
 排泄は、全くといっていいほど、失敗しない犬でしたが、この頃粗相をするようになりました。こちらは、怒る気もないのに、後片付けをしていると、申し訳なさそうにしています。
 食欲旺盛で、食いしん坊でしたが、今は食も細くなりつつあります。

 17年間のトーマスとの歩み。
 静かに老いてゆく愛犬との暮らしは、ふと自らの老いと重ね合わせられ、胸にしみるものがあります。

  どれだけ疲れて家に帰っても、人であれ、犬であれ、猫であれ、自分の帰りを心待ちにしている人、動物がいることは嬉しいことです。
 トーマスは、17年間、ひたすら私の帰りを待ち続けてくれています。

 こんな日が、一日でも長く続くことを日々願っています。(O)

山あいに吹く春風

2015.04.01

(花)グロリオーサ、ゆり、トルコききょう、アルストロメリア(葉物)ゴットセファナ、ユーカリ

(花)グロリオーサ、ゆり、トルコききょう、アルストロメリア(葉物)ゴットセファナ、ユーカリ

 山あいに、春風が吹きわたっています。

  雪融けが進み、芽吹く頃になると、よく山に出掛けました。
 祖父の山仕事を手伝うためです。
 春休みは宿題もなく、近所の子供たちと思いっきり遊びたいのですが、それでも2人で山へ行きました。

  山仕事といっても、倒れた杉の木を起こす作業です。
 冬の間に、雪の重みに負けて、多くの若木が倒れます。根元から折れる木もあります。倒れた木に一本ずつロープを掛けて起こし、最後は針金を使って2カ所で固定する作業です。苗木を植林してから、自立するまで、約15年間は続けたでしょうか。
 幼木だと倒れても、簡単に起こせます。一定の大きさまで生長した木が倒れると、ひと仕事です。滑車を付けた簡単な機械で、起こす必要があります。離れた別の木の根元に滑車を固定し、倒れた木の幹の上部にロープを縛り、滑車を少しずつ巻き上げ、起こすわけです。

  ただ、倒れた幹にロープを付けるのが、大変なのです。杉の木は、平場より傾斜地に植林している場合が多いもの。なぜか倒れる時は、山側ではなく、ほとんどが谷側に向かって倒れます。しかも、テコの原理の関係で、ロープは幹の中心から少しでも上部に縛る必要があります。

  まっすぐ立っている杉の木に登ることは、慣れればたやすいこと。

  しかし、倒れている杉の木、しかも谷側に向いて倒れている木に登ることは、なかなか勇気がいります。木の上を進めば進むほど、木がしなり、自分の体重で下がるからです。さらに、上に行けば行くほど、幹は細くなり、つかまる枝も細い若枝になります。
 感覚的には、木に這いつくばりながら、谷底に向かって、弓なりにしなったまま下方へ進む感覚です。

  小学生の時は小学生なりに、そして、体重が増えるにともない、別の恐怖を新たに覚えたものです。
 このような作業を、小学4年頃から高校を卒業するまで、亡き祖父と二人で、時には母も交えて続けました。

  このように書くと、いかにもつらいだけの仕事に聞こえるかもしれません。

  実をいうと、この山作業が好きでした。

  木の上の恐怖は、最後まで消えませんでしたが、春の山が好きだったからです。
 春の山には、何とも言えない春の風が吹いていました。
 風は、目には見えません。でも、頬につたわる風は心地よく、さわやかでした。

 ウグイスや多くの鳥も、よく鳴いていました。上手に鳴くウグイスと、下手なウグイスがいることも、初めて知りました。山によって、ウグイスの鳴き方に違いがあることも、祖父から教わりました。

  春の山には、言葉に言い尽くせない、多くの魅力が満ちていました。

  今はといえば、山仕事をする人はほとんどいません。
 山に入る人すら、本当に少なくなりました。
 残念ながら、林業は衰退しています。かつては、林業に従事している人が多くいましたが、今は皆無です。安い外材が大量に輸入されてからは、国内の林業は成り立たなくなりました。
 幼い頃、杉の木は大きな収入源であり、まさに財産でした。杉の木を売って、その金で新築したとか、嫁入り道具を揃えたという話は、当たり前のように聞いたものです。今は、杉の木はもう二束三文の状態。むしろ、切り出すための経費の方が、高く掛かるような有様。
 そのため、山は荒廃し、隣の所有者との地境もわからない状態。世代交代が進んでいますが、若い世代は自分の山が、どこにあるのかも知りません。自分の山に、足を運んだことすら無いのですから。

  若い頃、祖父とともに苦労して育てた木は、信じられないほど、立派な木々に育ちました。
 正直、大木に生長した木を見ると、複雑な思いが募ります。

  それでも、この時期になると、なぜか無性に春の山に足を運びたくなります。(O)

4月以降の貸会議室の予約を開始しました。

2015.03.24

 4月以降の貸会議室の予約を開始させていただきます。

 4月より農協会館の耐震改修工事がスタートすることは、先日ご案内させていただきましたが、4月以降の貸会議室の予約は、まだお受けできない状況でした。耐震改修工事等のスケジュールの確認が終了しましたので、貸会議室の申込みを受付けさせていただきます。大変遅くなり、ご迷惑をお掛けしました。

  本日からホームページの「予約状況」に、4月から8月までの貸会議室の予約状況をアップしましたので、参考にしていただき、申込みくださるようお願い申しあげます。

  なお、ご不明な点がありましたら、係員にお気軽にお問い合わせください。(O)

ある青年の北陸新幹線開業

2015.03.24

気品が感じられます。(花)デルフィニューム、スプレーデルフィニューム、フリージア(葉物)ドラセナ、アオキ

(花)デルフィニューム、スプレーデルフィニューム、フリージア(葉物)ドラセナ、アオキ

 北陸新幹線が、いよいよ開業しました。

 「新幹線に乗ったよ」という声が、周りからも聞こえ始めています。残念ながら小生は、仕事上でもプライベートでも、当分新幹線に乗る機会はなさそうです。
 それでも、富山駅が新しく立派になり、一部工事中とはいえ、駅周辺もかなり整備され、ウキウキと華やいだ気持ちになっています。

 私と同様、富山駅の完成を待ちわびていたであろう、一人の青年がいます。

 ただ、その青年の名前を知りません。
 その青年と話したこともありません。
 その青年は、白杖(はくじょう)の人、目の不自由な人です。富山大学の大学院生であることを、以前、北日本新聞に掲載されていて、初めて知りました。
 その青年を、仮にH君と呼ばせてもらいます。

  H君のことは、乗り降りする最寄りの駅が同じということもあり、かなり前から知っていました。今から思うと、大学入学時だったのでしょうか。朝夕、お母さんが電車で付き添っておられました。白い杖を持つH君の傍らで、座席に座っているお母さん。大学までの順路や危険個所の確認、そしてライトレールの乗り方などを覚えておられたのでしょうか。かなりの期間、お二人の姿を拝見していたように思いますが、いつの間にか、白い杖を頼りにひとり歩くH君を見るようになりました。

  そのうち、新幹線開業にともない、富山駅を新しく建設するため、仮の駅舎が造られました。

  仮駅舎は、やや離れた所にできたため、在来線から改札までの移動距離が、かなり延長されました。仕方がないとはいえ、目の不自由なH君にとっては、かなり負担があったことと思います。
 しかも、新駅舎建設の進捗に合わせて、たびたび通路が変更されました。階段の設置場所が変更になったこともあります。H君の戸惑いは大きかったことと思います。何しろ月曜日の朝、富山駅に着くと、なんの前触れもなく、通路が大きく変更されていることがあるわけですから。晴眼者(この言葉は、あまり好きではありませんが…)ですら、驚きと戸惑いを覚えるのに、目の不自由なH君にとっては……。多くの係員が要所に立ち、アナウンスしているとはいえ、雑踏の中で、H君はきっと不安を覚えていたことと思います。

 「だったら、おまえが付き添ってあげればいいじゃないか」「なぜ、手を貸してあげないんだ」といわれれば、それまでですが……。

  通勤・通学時の人波に揉まれつつも、少しずつ慣れ、黄色い「視覚障がい者用タイル」のうえを白い杖を頼りに、しっかりと歩むH君の姿が見受けられました。

  北陸新幹線が開業し、新富山駅になってからは、ライトレールが駅舎の中まで乗り入れるようになりました。
 しかも、改札口からライトレールの乗降口まで、かなり近くなっています。

  最近、H君の姿を見ていませんが、もう雨風や冬場の凍結にも心配する必要もありません。新しく便利になった通路にも慣れ、白い杖を頼りに、今日も安全に乗り降りしていることと思います。(O)

耐震改修工事が、4月からスタートします。

2015.03.17

春爛漫です。(枝)啓翁桜、(花)トルコききょう、ガーベラ、アストランティア、(葉物)ナルコラン

春爛漫です。(枝)啓翁桜、(花)トルコききょう、ガーベラ、アストランティア、(葉物)ナルコラン

 農協会館の耐震改修工事が、4月からスタートします。

 

 富山県農協会館は、昭和55年に竣工していますが、建築基準法にもとづく耐震基準を満たしていないため、耐震改修工事を実施します。
 農協会館の入居団体ならびに貸会議室等をご利用いただいている皆様に、大変ご迷惑とご不便をお掛けしますが、ご協力くださいますようお願い申しあげます。

 耐震改修工事の終了は、平成28年12月下旬を予定しています。
 今回は、耐震工事だけではなく、空調設備の更新もあわせて実施します。
 そのため、改修工事は土曜日や日曜日、祭日に、騒音・搬入などをともなう工事を集中的に行うことにしています。

 
 貸ホール・貸会議室につきましては、いつもご利用いただき、改めて感謝申しあげます。

 耐震改修工事の期間中、大変ご迷惑をお掛けしますが、次の事項についてご確認のうえ、貸会議室をご利用くださいますようお願い申しあげます。

 (1)耐震改修工事の期間中、貸ホール・貸会議室は、土曜日・日曜日、祭日ともに、ご利用していただくことはできません。

(2)8階の貸ホールについては、平日はご利用いただくことができます。

(3)貸会議室につきましては、後日、ホームページの「予約状況」にご案内しますので、ご確認のうえ、お申し込みください。

(4)空調設備の更新工事を実施しますので、ご迷惑をお掛けする期間が発生します。大変恐縮ですが、お申し込みの際、ご説明させていただきますので、ご了承ください。

 

 色々とご迷惑をお掛けしますが、ご不明な点は係員にお聞きください。(O)

二人の富山県人

2015.03.10

(花)アランセラアンブラック、ゆり、トルコききょう、チューリップ、プロテア(葉物)玉シダ、ドラセナ

(花)アランセラアンブラック、ゆり、トルコききょう、チューリップ、プロテア(葉物)玉シダ、ドラセナ

 二人の富山県人に想いを寄せています。

  一人は、青木新門さん。
 最近、青木さんの著書「それからの納棺夫日記」(法蔵館)を読ませてもらいました。

 ベストセラーとなった「納棺夫日記」(文春文庫)。この本が、映画「おくりびと」の実質的な原作と言われています。
 「おくりびと」は、ご存じのとおり、俳優・本木雅弘さんが主演し、高岡市出身の滝田洋二郎さんが監督を務めた映画。日本アカデミー賞や米国アカデミー賞外国部門賞など、数多くの賞を受賞し、大きな話題を集めた映画です。

  本木雅弘さんが演じた、納棺夫。当時、まだ一般的ではなかった「納棺夫」という言葉。現在では「納棺師」として、マスコミでも取り上げられるようになったのも、この映画のおかげといわれています。

  青木新門さんは、オークス株式会社(富山市)の重役を経て、現在は非常勤顧問に。入善町出身で、30代にもおよぶ地主の長男として生まれた青木さん。様々な出来事を経て、納棺夫に。納棺の仕事を始めた頃は、叔父から「親族の恥さらし」とまで罵られ、親族と疎遠になる程に……。

  ある日、会社から渡された行き先の略図を頼りに訪ねると、そのお宅は、かつての恋人の家。玄関の前を行ったり来たりしながらも、意を決して家の中へ。本人は、見当たらず、ほっとして、彼女の父親の湯灌を始めます。

  「誰が見てもプロと思うほど手際よくなっていた。しかし汗だけは、最初の時と同様に、死体に向かって作業を始めた途端に出てくる。
 額の汗が落ちそうになったので、袖で額を拭こうとした時だった。いつの間に横に座っていたのか、額を拭いてくれる女(ひと)がいた。
 澄んだ大きな目一杯に涙を溜めた彼女であった。作業が終わるまで横に座って、父親の顔をなでたり、私の顔の汗を拭いたりしていた。
(中略)
 その父の死の悲しみの中で、その遺体の湯灌する私を見た驚きは、察するに余りある。
 しかし、その驚きや涙の奥に何かがあった。軽蔑や哀れみや同情など微塵もない。男と女の関係をも超えた、何かを感じた。私の全存在がありのまま丸ごと認められたように思われた。そう思うとうれしくなった。この仕事をこのまま続けていけそうな気がした。」「それからの納棺夫日記」(22P~24P)

  この場面は、「納棺夫日記」にも同じ記述がありますが、この箇所は何度読んでも熱いものがこみ上げてきます。

  
 心に残っている二人目は、井村和清(かずきよ)さん。

  著書「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」(祥伝社)は、100万部を超えるベストセラー。映画・テレビドラマにもなり、多くの話題を集めました。
 砺波市出身の井村さん。日大医学部卒業後、沖縄県や大阪府の病院で医師として勤務。骨肉腫となり、右足の膝から下を切断。それでも、片足で職場復帰。その後、肺に転移していることが判明し、32歳という若さで、この世を去られます。
 長女・飛鳥(あすか)ちゃんは、2歳の誕生日前。亡くなられた後、誕生した「まだ見ぬ子」次女・清子ちゃんは、まだお母さんのお腹の中。

  井村さんは、この遺稿集を書くあたり、このように語ります。

 「まもなく私は死んでゆかねばならない運命にあるのだ、と知ってから、ずっと考えていたことがありました。それは、残されたわずかの月日のうちに一冊の本を書きあげたいということでした。それは、私が三十年余、ここに生きたという証であり、私のために泣いてくれた人々への私の心からのお礼の言葉であり、そしてなによりも知らない幼いふたりの私の子供へ与えうる唯一の父親からの贈り物で、私の心の形見になると思ったからです」
「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」(祥伝社黄金文庫16P)

  そして、ふたりの子供たちへ

「心の優しい、思いやりのある子に育って欲しい。それが私の祈りだ。
 さようなら。
 私はもう、いくらもおまえたちの傍にいてやれない。おまえたちが倒れても、手を貸してやることはできない。だから、倒れても倒れても自分の力で起きあがりなさい。
 さようなら。
 おまえたちがいつまでも、いつまでも幸せでありますように。 父より」(同、21P)

 と祈りをこめて、言葉を残しています。

 井村和清さんのことを初めて知ったのは、確かNHKの特集番組。
 20代半ばだったと思います。富山県にも、このような人がおられたことに驚くとともに、井村さんの奥様・倫子(みちこ)さんが沖縄出身であり、家人との結婚を考えていた時期だけに、とても近しいもの感じていました。

 幼かったお二人も、すでに20歳を超えられました。
 本の中の写真を拝見すると、お二人とも目元がとてもお父さんに似ておられます。この立派に成長された姿を、どれだけ井村和清さんは見たかったことか……。

 
 青木新門さん、井村和清さん。
 お二人のような足跡を残せるはずもありません。
 同じような生き様をすることもできません。
 ただ、気負うことなく、自分なりに牛歩の歩みを続けたいと思います。(O)

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